ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年11月30日(金) 気楽に行こうよ

11月もとうとう最後の日。
明日からは駆け足のような師走が始まってしまうけれど
ゆったりとした気持ち、大らかな気持ちを大切にしたいものだ。


さて昨夜まで迷っていた神戸旅行であったが、
今日がキャンセルの締切日でもあった。
けれども今朝にはもう行ってみようと決めている自分がいて
勇気が足りないのならもっともっと勇気を出そうと思い始めていた。

諦めてしまったらもうどこにも出かけられないような気がした。
臆病風に吹かれて閉じこもってばかりの人生になってしまいそう。
それではあまりにもつまらないではないか。動けない人になってしまう。

動けばきっと良いことがある。動いてみなければ何も始まらない。

だからとにかく「行く」そう決めると不思議と気も楽になってきた。

些細なことをくよくよと思い詰める悪い癖。
いいかげんにしなさいよと天から声が聞こえてきたような気がした。

気を楽にすること。ながいながいあいだの私の課題のようなものでもあった。
不安と緊張はいつも身近にあってもがいたり苦しんだりしていたけれど。

それに打ち勝ってこそ人生が明るく広がっていくような気がする。

一度きりの人生だもの。もっともっと楽しまなくてはいけないよ。



2012年11月29日(木) 勇気を出して!

今夜は雨の予報なのだけれどいまだ雨音は聞こえず
窓の外は静まりかえっていてふいに夜空が落ちてきそうだった。

うまく受けとめられるだろうか。どうしてこんなに不安なのだろう。
落ちてくるわけないでしょともうひとりの自分の笑い声がきこえる。


楽しみにしていた神戸旅行があと5日後にせまってきて
何しろ初めてのバスツァーでおまけに日帰りなものだから
あれこれと考えていたらだんだん不安になってきてしまった。
当選した時は舞い上がるほど嬉しくてたまらなかったのに
いったいどうしたことだろう。すごく緊張している自分を感じる。

夫に相談したら笑いとばされてしまった。
もう二度とないかもしれないぞ。行って来れば良いじゃないか。

行きたい気持ちが半分。行きたくない気持ちが半分。
行ってみればきっと楽しいかもしれないのだけれど。
半分の不安が邪魔をしてすごくすごく迷い始めてしまった。

空飛ぶじゅうたんに乗ってすいすいっと神戸に行けたら良いな。

ああ来て良かったってきっと思うことだろう。

いまこそ勇気を出さなくちゃ。けれどもちょっぴり勇気が足りない。



2012年11月27日(火) 日々をいただく

昨日の強風はおさまったものの今朝はぐんと冷え込む。
北国では吹雪いているようだった。どんなにか寒いことだろう。
おまけに停電のニュースを聞きなんとも気の毒でならなかった。

そんなことがあるたびに自分の暮らしがどれほど恵まれているか思い知る。
当たり前のことなんて何ひとつないのだとつくづく思ったりするのだった。

今日も平穏無事。それがどんなにかありがたいことだろう。
日々をいただいているのだと思って感謝する気持ちを大切にしたいものだ。


いつもの散歩道。大橋のたもとの休憩所でまた青年お遍路さんと出会った。
昨日のお遍路さんは先を急いでいたけれど
今日のお遍路さんはちょうど野宿の場所をさがしていたところだった。
お大師堂を教えてあげたらとても喜んでくれてほっとする。
案内がてら一緒に歩いていてもしや?と思った通りだった。
足がとても痛そう。両足を引き摺るようにして歩いていた。

先月出会って無事に結願したお遍路さんの話しをする。
彼も同じように足を痛めていたこと。それでも最後まで歩き通せたこと。
だからきっと大丈夫。そう言って励ますのが精一杯だった。

最初は我武者羅に歩いていたのだそうだ。とにかく進む事ばかり考えていたと。
けれども足を痛めてから気づいたことがいっぱいあって心のゆとりが出来たらしい。
嬉しい出会いもたくさんあった。急いでいたらなかっただろう縁に恵まれた。
ゆっくりのんびり行きなさいよってお大師さんが教えてくれたのかなって。

お遍路さんはお大師堂の床に腰をおろして川面を見つめながら呟いていた。

なんかここってすごく癒されますね。さらさらと静かに川が流れていますね。

その言葉がすごく嬉しくてたまらなかった。

日々をいただく。ご縁をいただく。今日もありがとうございました。








2012年11月26日(月) みんなみんな茜色

午前中は雨。なんだか春の雨のように暖かかった。
そんな雨があがるなり強い北風が吹き始める。
やはり冬なのだなと思い知らされたような午後であった。

帰宅するなり真冬用の防寒着を引っ張り出した。
フードを被るとおばあちゃんになった赤ずきんちゃんのよう。
これでどんなに寒くても大丈夫と元気いっぱいに散歩に出掛ける。

お大師堂でお参りを済ますと今度は大橋のたもとまで歩く。
万歩計は5千歩がやっとだけれどそれでじゅうぶんだと思っている。
出来る事を少しずつ。無理せずこつこつがいちばんではないだろうか。


大橋のたもとの休憩所でひと休みしている若いお遍路さんと出会った。
真新しい白装束がとてもまぶしくて笑顔の素敵な好青年であった。
大きな荷物を見ただけで野宿ではないかとすぐにわかった。
時刻は三時半、今夜はどこで泊まるのだろうとすごく心配になる。

青年は微笑みながら「まだ三時半だから」って応えた。
伊豆田トンネルという長いトンネルを抜ければ野宿出来る場所がある。
「そこまで頑張りますよ」と元気な声で応えてくれた。

なんのお接待も出来なかったけれど、声をかけることが出来て良かった。
日々のささやかな出会いこそがありがたくてならない自分がいる。


夕食の支度をしていたら夫が「外を見てみろよ」って叫んだ。
窓の外が真っ赤だった。路地も土手もこんなに茜色に染まるなんて。

夕焼け空は明日への希望でもある。そうして今日の平穏をかみしめる。

生きていたんだなってすごくすごく清々しい気持ちになった。





2012年11月25日(日) かぼちゃのスープ

娘が「おいでよ」と言ってくれた日は朝からそわそわと落ち着かない。
一週間はあっという間のようでもありとても長く感じることもあった。

孫に会えるのはほんとうに嬉しい。そしてありがたいことだと思う。

生きなくちゃ生きなくちゃとすごく元気をもらっているバーバだった。


お昼に離乳食。「おばあちゃんに食べさせてもらおうね」って娘。
その一言を待ってましたとばかり喜び勇むのは言うまでもないこと。

今日はお粥さんとかぼちゃのスープだった。
「はい。あ〜んちて」「ごっくんうまうまだよ」なんてね。
一口ずつゆっくりと綾菜に食べさせている時が最高に幸せだった。

そのうち綾菜の口のまわりがかぼちゃ色に染まる。
それも愉快なことで娘もバーバも笑顔でいっぱいになるのだった。

食後はミルク。哺乳瓶を小さな手でしっかりと支えられるようになった。
ぐびぐびとあっという間に飲み干す。空っぽになってもまだ吸い続ける。
もうお終いだよと取り上げると怒ってちょっと泣きそうな顔をする。

笑ったり怒ったり泣いたり。そうして甘えたり。
いろんな表情を見せてくれていつまでも見飽きることのない存在だった。


その後、二時間ほど一緒に遊んで帰路につく。
いつもいつも後ろ髪を引かれるような思いだった。

また会えるよね。それが当たり前のことのように感じている自分がいた。

けれどもこんなにありがたいこと。自分はなんて恵まれているのだろうか。



2012年11月24日(土) 嬉しいこといっぱい

青空が嬉しくなって洗濯物をたくさん干した。
寒い朝だったけれど贈り物のように陽射しが降り注ぎ始める。

朝のうちに障子貼り。それは手抜きで破けたところだけ貼る。
そこだけ真っ白なのも何か変だなと思いつつもそれで良しとした。
師走に入ればあっという間に日々が流れていくものだから
今のうちに出来ることをしておこうと思ったりしていた。

海苔の漁場を見回りに行っていた夫が帰って来る。
ずっと悪さをしていた例の黒い海草がずいぶんと減ったそうだ。
目の前がぱあっと明るくなるような嬉しい知らせだった。
もう大丈夫だろうと微笑む夫に私も笑顔でいっぱいになった。
希望を捨てずに一生懸命手入れをしてきたかいがあるというもの。
後は海苔が順調に育ってくれる事を祈るばかりである。

何事も諦めてしまってはお終いなのだとつくづく感じたことだった。



午後は例のごとく炬燵にもぐり込んでとろとろしていたのだけれど
何だか外が騒がしいなあと思って窓の外を見てびっくりした。
またまたドラマのロケ隊がやって来て我が家の目と鼻の先にいる。
二階にあがって見るとすごく良く見えた。窓の外に生田君と真木さん。
ふたりは自転車に乗って目の前を何度も横切って行った。
セリフも聞こえた。真木さんの笑い声もすごく可愛かった。

撮影は二時間ほど続き、おかげで私のたいくつ病もどこへやら。
わくわくと興奮しながら一部始終を見守ることが出来た。

ドラマではほんの数分のシーンだと思うのだけれど、
何度も何度も撮り直してすごく大変なことなのだなとあらためて思った。

ロケが終ると集まっていたギャラリーも去りし〜んと静かになる。

「ここってやっぱいいよね」ってあんずに語りかけながらいつもの散歩道を歩いた。



2012年11月23日(金) 一条さんの日に

どんよりとした曇り日。いちだんと肌寒さを感じる。
昨日から「小雪」に入り季節はもう冬に違いなかった。

今日から我が町の一条神社の大祭が始まる。
地元ではみな「一条さん」と呼んでいるのだけれど
公家行列などもあり土佐の小京都ならではのお祭りだった。

子供達が小さい頃には家族そろって出掛けたことも懐かしい。
今となっては「一条さんやね」と夫とうわさするだけとなった。

せめてもと思い、今年はJA主催の農業祭に足を運んだ。
人混みは苦手だけれど良い気分転換になったと思う。
神社にも行くかと夫が言ってくれたけれどそのまま帰って来た。

農業祭で買った筋なし豌豆の美味しかったこと。
バター炒めにしたらすごく柔らかくてたくさん食べられた。



そんな一日、とても嬉しい知らせが舞い込む。
先月お大師堂で出会った足を痛めていた青年お遍路さんが
無事に八十八ヶ所を巡り結願したという知らせだった。
痛い足を引き摺りながらほんとうによく頑張ったと思う。
最後に会った日からほぼひと月が経っていたけれど
毎日手を合わせながら無事を祈り続けていた。

負けない勇気、あきらめない勇気、彼から教わったことはとても貴重なこと。
出会えてほんとうに良かったと感謝の気持ちが込み上げてきた。

この先どんなことがあっても彼は立ち向かって行くだろう。

そんな姿がきらきらと眩しくてならない一期一会であった。



2012年11月21日(水) せつなさ

朝の寒さは日に日に増しているけれど
日中は風もなく穏やかな小春日和となった。

山里の母が庭の木を剪定するのだと言って
高切り鋏を持って一日中奮闘していた。
それは体調の良い証拠でもあるのだけれど
後からどっと疲れがきやしないかとはらはらしながら見ていた。
私は事務所でひとり仕事、手伝おうかと言っても断られてしまう。

同僚はすっかり枯れてしまったコスモスを引き抜いていた。
それも母の指図で私が口をはさむことは出来ないけれど
去年はそれを母がしていて私も手伝ったことを思い出す。

あの時はもう咲いてくれないのではないかと心配でならなかった。
少しでも種を落とそうとふるい落としながら引き抜いたことだった。

そのかいがあってか今年もたくさん咲いてくれたコスモス。
さようなら秋。ありがとう秋と心でつぶやきながら作業を見守っていた。


「綺麗」とはどういうことだろうかとふと考える。
枯れてしまったものは綺麗ではないというのが母の考えだった。

私は違う。私は枯れてしまったものも美しいと思う気持ちがあった。
人も植物もその時がくれば枯れてしまうのが運命なのかもしれない。

それはとてもせつないことだけれど、そのせつなさのなかに「命」がある。

        その命がうつくしいものなのだ。




2012年11月20日(火) テレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」

夜明け前、あんずと散歩に出ていた夫が帰るなり
土手にテレビ局のクルマが来ているみたいだぞって教えてくれた。
その時は何か中継でもあるのかなとあまり気にしていなかったのだけれど
朝食後にテレビを何気なく見ていてびっくり仰天してしまった。

なんと先月から始まっているドラマ「遅咲きのヒマワリ」の出演者達が
生中継で番宣をしている映像が映し出されていたのだった。

そこは私の毎日の散歩道、お大師堂のすぐそばの河川敷だった。
好奇心旺盛な私が大急ぎで駆け出したのは言うまでもない。

けれども案の定すぐ近くまで行くことが出来なくて
仕方なく遠くからわくわくしながら見ているばかりだった。

ほんとにあっという間の出来事、生中継はすぐに終わってしまう。
出演者達が乗っているであろうクルマがあっけなく帰って行ってしまった。


そうして今度は仕事から帰宅した時、大橋を渡ると土手の道が通行止め。
ドラマのロケをしている様子だったけれど詳細は何もわからない。
生田君かな桐谷君かなと想像ばかりがふくらんで少しはがゆかった。

すぐさまあんずと一緒に散歩に出掛けたけれど、土手にはあがれず。
かろうじてお大師堂には行くことが出来たけれど、その間にロケは終った。

あとはドラマを見てみないとどんな撮影だったのか何もわからない。
けれども身近な風景が映像になるのがすごくすごく楽しみだった。

早寝の私も火曜日だけはテレビにかじりついている。
オープニングの香椎由宇ちゃんが出ている場面が私の散歩道だった。

みなさんもぜひぜひ今夜も見てくださいね!



2012年11月19日(月) だいじょうぶだよ

山々の紅葉をわずかに残し景色は日に日に冬枯れていくけれど
民家の庭先には山茶花の花が咲き水仙の花も見られるようになった。

ほっとする景色がそうしてあることがとてもありがたく思える。
冬ごもりしてしまいそうなこころにもひだまりがあるのだ。
それはこれから真冬になってもそっとあたためてくれることだろう。


ずっとずっと平穏な日々が続いている。
不安なことはたくさんあるけれどそんな不安を打ち消すように。
「だいじょうぶだよ」ってそんな声が天から聞こえてくるようだ。

何事もなく一日が過ぎ、夜が来るとほんとうにほっとする。
けれども欲張りなものだから今度はちゃんと朝が来ますようにと祈る。
そうして無事に朝が来るとまた一日の平穏を祈っているのだった。

朝に晩に「ありがとうございました」感謝の気持ちは決して忘れない。


お大師堂からの帰り道、夕陽が川面を射してきらきらと眩しかった。

わたしのなかにもおひさまがいるよって声をあげてさけびたくなった。



2012年11月17日(土) 雨がやんだよ

雨の音で目覚める。ぴちぴちちゃぷちゃぷと雨が踊っていった。
その後も雨脚がひどくなりかなりまとまった雨が降る。

川仕事にも行けずなんとも手持ち無沙汰なこと。
たいくつを絵に書いたような一日になった。

10時頃まで炬燵にもぐり込んでだらだらしていたけれど
夫が喫茶店に行くと言うので喜んでついて行く事にした。

こんな日はとりとめのないおしゃべりなどをするのもよし。
人と会うと気分も明るくなって活き活きとしてくるように思う。

喫茶店は夫の従姉妹たちの溜り場にもなっていて楽しかった。
自分の母親と歳の変わらない従姉妹たちを「姉さん」と呼ぶのも良い。

嫁いで30年以上経ったけれど「身内」のありがたさをしみじみと感じる。
みんなのことが大好き。それも縁あってのこそと感謝せずにはいられない。



午後も雨音を聴きながら炬燵でとろりんとろりんと過ごしていた。
天気予報ではそろそろ雨がやむ頃。期待通りにやんでくれて良かった。
おかげでいつも通りにあんずと散歩に行くことが出来た。

土手の道でランちゃんに会えてあんずの嬉しそうなこと。
はしゃいでいるあんずを見ていると老犬だとは思えないほどだった。

友達っていいね。仲間っていいね。楽しいこと嬉しいこと。

これからもきっとたくさんあるよってあんずにも自分にもおしえてあげた。



2012年11月16日(金) 家族のありがたさ

昨夜からかなり冷え込んでいてしんしんと寒い朝。
山里へ向う道の銀杏の木がすっかり葉を落としていた。
黄金色の絨毯を敷きつめたように地面だけがあたたかく見える。
裸木はさびしいけれど骨のような枝が伸び伸びとたくましい。

山里は初霜。冬枯れ始めた風景が目にとびこんでくる。
秋の名残も少なくなって急ぎ足で冬に向っているようだった。



昨夜は予定通り家族揃って炉ばた焼きのお店に行っていた。
ちょうど山里の母も帰路の途中で寄ってくれてにぎやかになる。
囲炉裏や炭火の懐かしいこと。そしてなんともあたたかいこと。
またみんなで集まろうや!と息子の一言にみんなでうなずいた。
家族みんなの笑顔がとても嬉しくて幸せなひと時であった。


ふっと夢のようにおもうひと時がある。
当たり前のことなんだとは決して思えなくて
天から贈り物をさずかったような気持ちになる時がある。

だからこそありがたい。感謝の気持ちが湧き出てくる。

これからもそんな日々に手を合わすように生きていきたいものだ。



2012年11月14日(水) 明日の楽しみ

北風強し、晴れたり曇ったりしながら時折り時雨れる。
12月中旬並みの気温だと言うことで一気に冬が押し寄せてきた。

朝の台所でお味噌汁を作っている時がなんだかしあわせ。
寒さあってこその楽しみが他にもたくさんありそうだった。

年々寒さが身に堪えるようになったけれど負けないぞって思う。
冬がなければ春もない。日々を受けとめるように暮らしていきたいものだ。


今日も川仕事、二人で頑張ったかいがありなんとか漁場を一回りする。
また数日すれば同じ作業を繰り返さなければいけないのだけれど
不安が少しずつ薄れてきて希望がふくらんできたのが何よりに思う。
欲を言えばきりがない。わずかでも収穫できれば充分だと思っている。



夕方、隣町の炉ばた焼きのお店に明日の予約をした。
息子の提案で家族揃って出掛ける予定である。
少し遠いけれど鶏肉専門店ですごく美味しいのだそうだ。

わくわくと楽しみにしながら明日の夜を待ちたいと思う。

明日のことをかんがえていられるのもすごくしあわせなことだ。



2012年11月13日(火) とつぜんの雷雨

晴れのち曇り、午後思いがけずにとつぜん雷雨となる。
めまぐるしく変わる天気に戸惑いながらも
これが季節の変わり目の儀式のように思えた。

冬が押し寄せてきている。秋の名残がすこしせつない。


午前中は川仕事に行ってきた。
夫が毎日見回りに行っているのだけれど
例の黒い海草との闘いがまだ続いている。
どこも家族総出で頑張っているのだもの
夫ひとりの手に負えないのは当然だった。

悪条件にもかかわらず海苔は緑の芽を出し始めている。
それがどんなにか励みになっていることだろう。
なんとか全滅の危機だけは避けられそうだった。
「負けないで、負けないで」と語りかけるように手入れをした。



ちょうど散歩の時間にとつぜんの雷雨となったけれど
しばらく様子を見ているうちに雨がやんでくれてほっとする。
お大師堂に向っていると、一台のクルマがすぐそばに停まった。
「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わすと助手席からお遍路さんがおりてきた。

運転していた人は隣町の「観音さん」のご住職だと言うこと。
突然の雷雨に見兼ねてクルマでお接待を申し出たのだそうだ。
お遍路さんはとても喜んでいた。ずっと野宿の旅を続けているらしい。
屋根のある所で寝られるだけでありがたいことだと言ってくれた。

ささやかな出会いであったけれど二人に会えてとても嬉しかった。
観音さんのご住職はとても明るくて朗らかな人だった。
お遍路さんはおっとりと落ち着いた雰囲気で優しそうな人だった。

日々の出会いはほんとうにたからもの。

これからもそんな出会いを楽しみに日々を送っていきたいと思う。



2012年11月12日(月) 北風の赤ちゃん

穏やかな晴天と思いきや風が思いがけず冷たかった。
生まれたばかりの北風の赤ちゃんなのかもしれない。
そうしてだんだん大きくなって北風小僧になるのだろう。

落ち葉がからころと山道で舞っていた。
それを合図のように雀達が一斉に飛び立っていく空。



仕事でとあるお客さんのお宅を訪ねた。
なんだか暗い顔をしているなと思ったら
長年可愛がっていた猫が死んでしまったと言う。
思い出話を聞いているうちにもらい泣きをしてしまった。
とても他人事には思えないこと。どんなにか辛かったことだろう。
いつまでも悲しんでいてはいけないのだけれど
そう呟きながら奥さんはぽろぽろと涙を流していた。

亡くなった猫ちゃんがあんずと重なる。
いつかはその時が来るのだとわかっていても首を横に振る自分がいた。


仕事を終えて帰宅するなりあんずがきゅいんきゅいんと泣いた。
ちょっと待っていてね。声をかけて急いで洗濯物を取り入れた。

散歩道の風は冷たいけれど、陽射しを浴びるようにして歩く。
お大師堂で出会ったお遍路さんがあんずと遊んでくれた。

なんと中国から来た留学生だと言うこと。
日本語がとても上手なので外国人だとはとても思えなかった。

笑顔の爽やかな青年だった。明日も頑張りますよって元気な声が嬉しい。



2012年11月11日(日) おでん日和

雨音を聴きながらとろりんとろりんと過ごす。
時折それはどしゃ降りになって心をざわつかせた。


お昼に玉子を茹でておいて午後からおでんを作る。
一番好きな餅巾着を上に乗せてとろ火でことことと煮込む。
家中におでんの匂いが漂う。それがとても幸せに思えた。

一時間ほど煮込んでから茶の間の炬燵にもぐり込む。
夫がワオワオで映画を観ていたのだけれど
それがなんとも残虐な映画で目を覆いたくなった。
たくさんの人があっけなく次々と死んでいく。
観たくなければ寝れば良いと夫は言ったけれど
逃げ出したい気持ちのまま最後まで観てしまった。

大震災から一年と8ヶ月の今日のこと。
たかがテレビとはいえもっと配慮が必要ではないかと思った。
それは常日頃から思っていること。
心がほっとするようなあたたかな映像を求めてやまない。


雨がやんだ。そうしてほんの少し陽射しも見え始める。
今日は無理かもと諦めていたけれど散歩に行くことが出来て良かった。

雨上がりの散歩道はきらきらと眩しい。
気がつけば土手の緑も雀色に変わりつつあるけれど
老い始めたススキの穂が生きているよと輝いていた。


さあ、おでんの時間。大相撲を観ながらふはふはと美味しかった。
餅巾着をいちばん先に食べてハンペンと大根、さつま揚げを食べて
最後に玉子を食べる。よく滲みていて最高のごちそうだった。



2012年11月10日(土) 空のように風のように

曇り日。明日は雨になるらしい。
雲の上にはかならずおひさまがいるのよって。
母が言ってくれた言葉をふと思い出す。

どんな日もあってよし。空と一緒に生きているのだもの。
ちょっと昔の私は気分の浮き沈みが激しくて
自分で自分のことがよく理解できない事が多かったけれど
今は違う。今はこれが自分なのだと胸をはって生きているように思う。

空のように風のように私の日々も流れていく。



散歩道の河川敷で栴檀の木の実を仰いだ。
つい先日までそれはオリーブ色だったのに
いつの間にか色づいて黄色がかっているのだった。

木の実ってすごく好きだ。実がなるってすごい事だと思う。
その実が落ちてまた木になるのかなって思うとなんか感動する。

人間ももがきながら実になろうとしているのかもしれない。
そのために花を咲かそうと一生懸命頑張っているのかもしれない。

私もいつか大きな木になれたらいいな。
雑草みたいな人生だったけれどあともう少し生きられたなら。

空に手を伸ばして風に吹かれながら「生きているよ」って叫びたい。





2012年11月09日(金) 優しいおひさま

ここ数日、日中は風もなくぽかぽかと暖かい日が続いている。
もう小春日和という言葉を使っても良いのだろうか。
ほんとに小さな春のようでおひさまがとても優しい。

仕事の手を休めて少しだけ庭に出てみた。
陽だまりに腰をおろしてつかの間の日向ぼっこをする。
そうしたら思いがけずに蝶々が飛んできてくれて嬉しかった。

白いのと黄色いのとオレンジ色に黒の斑点がある蝶々だった。
名前で呼んであげなくてごめんなさいとつぶやきながら
ひらりひらりと可憐に舞う姿を童心に返ったように眺めていた。

こころがほんわかとあたたかい。ありがたき蝶々たちだった。



帰宅しての散歩道。土手の上でランちゃんに会った。
あんずとはとても仲良し、お互いを見つけるなり駆け寄って行く。
そうしてキスみたいなことをしたりお尻の匂いを嗅いだりするのだ。
いかにもじゃれあっているという感じでなんとも微笑ましい光景だ。
ランちゃんはあんずの唯一の友達と言っても良いだろう。
他の犬には決して見せない仕草をする。吠えられて逃げ出す時もあった。

また明日ねって約束して別れる。きっと会えたら嬉しいね。




2012年11月07日(水) 冬がはじまるよ

ついに立冬。ここ数日で木々の紅葉がいちだんと鮮やかになった。
毎朝楽しみに見ていた銀杏の木もすっかり黄金色になり
今朝はもうはらはらと散り始めていておどろいてしまった。

落ち葉はなんとも哀愁を感じるものである。
せつないような哀しいような秋のかけらそのもののような姿だった。


仕事は順調。どんな時もあるものだけれど、みんなが笑顔でいられる。
ずっとこんな日が続けばどんなにか良いだろうと欲のように思った。
お客さんのお宅を訪ねたらちょうど畑仕事をしている最中だった。
「大根持ってかえりなさい」と畑から抜いてくれて一本いただく。
ほのかに土のにおい。ふっと懐かしいようなにおいがした。
笑顔で手を振って見送ってくれる。とても嬉しい出来事だった。



帰宅していつもの散歩。お大師堂でまた若いお遍路さんと出会った。
大阪から来たという青年は自転車で八十八ヶ所を巡っているらしい。
笑顔の素敵な好青年で人懐っこい感じが初対面とは思えなかった。
自転車には小さな釣竿が括り付けられていて時々釣りをするのだそうだ。
釣った魚を晩ご飯に野宿をするのがとても楽しいのだと話してくれる。

きらきらと眩しいひと。なんとも清々しい出会いであった。




2012年11月06日(火) いろんなことがありました

朝の冷え込みが少し緩んだだけでずいぶんと暖かく感じる。
日中も穏やかによく晴れてなんだかふんわりとした気分だった。

とはいえ明日はもう立冬。秋が終わり冬が始まる。
ついつい身構えるような気持ちになってしまうのだった。

そうではなくて受けとめるような気持ちになりたい。
冬には冬の日々を楽しむ余裕が必要ではないだろうか。



今日は人生初の「乳がん検診」を受けてきた。
これまであまりにも無関心だったような気がする。
それではいけないと積極的に申し込みをしていたのだった。

触診だけかなと思い込んでいたのだけれど、
実はレントゲンでかなり痛い思いをした。
マンモグラフィ検査と言うものらしい。
聞いたことはあったけれどこれがそうかと思った。
あまりの痛さに涙が出てしまったほど。

けれどもそうしてちゃんと調べてもらってこそ安心出来る。
次回は二年後、また必ず受けようと決心をした。


午後は川仕事。例の黒い海草との闘いであった。
夫が毎日手入れをしているけれどほんとうにイタチごっこ。
取り除いても除いても明くる日にはまた付着している。
だからと言って決して諦めてはいけない。
闘いはまだまだ続きそうだけれど根気よく頑張るしかないようだ。


いつもより少し遅くなったけれど散歩に出かけた。
お大師堂からの帰り道に若いお遍路さんと出会う。
道を間違えて高台の神社まで行っていたそうだ。
なんとも気の毒な事、案内がてら一緒にお大師堂へ戻る。

今頃は疲れた身体を少しでも労わっている頃だろうか。
ゆっくりと休んでまた明日から元気に歩き出してほしいと願っている。

いつもの時間なら会えなかったひとだった。
これも一期一会かな。出会いってほんとに不思議だなって思った。



2012年11月04日(日) そうして今日も暮れていく

晴れのちくもり。お天気はまた下り坂のようだ。
おひさまがかくれんぼをしてしまうとなんとも肌寒い。

朝から娘の家に行って一緒に買物に出掛ける。
ずっと綾菜を抱っこさせてもらえるのが嬉しい。
6ヶ月になりずいぶんと重くなったけれど
その重みが愛しいと思えるバーバであった。

今日は娘婿のお誕生日だった。
お昼には奮発してピザを注文する。
美味しいねえと言いながら三人で頬張った。
来年のお誕生日には綾菜も一緒に食べられたら良いな。

娘達と過ごす時間はあっという間に過ぎていく。
お昼寝中の綾菜にそっと声をかけて退散してきた。

また一週間もすれば会えるだろう。
その日を楽しみに日々を送っていこうと思う。


帰宅してお大師堂で昨日会ったお遍路さんの一人と再会した。
昨日もそうだったけれどちょうど帰ろうとしていた時に姿を現す。
ほんの1分の差で会えないところだった。これも偶然だろうか。
聞くと昨夜は大橋の下で野宿をしたのだそうだ。
もう一人のお遍路さんがそうしようと言ったらしかった。
そうして今日は買い物があり市内のホームセンターへ行っていたとのこと。
もう一人のお遍路さんは先に行き取り残されてしまったのだそうだ。

今夜こそここでお世話になります。そう言ってくれて嬉しかった。

20年ぶりのお遍路だと言う。前回はまだ30歳の若さだったそうだ。
まさに青年お遍路さん、その頃の姿が目に浮かんでとても眩しかった。

20年前とはいろんなことが変わっていて随分と戸惑ったらしい。
「なにも変わらない」そんな四国であって欲しいけれどそうはいかないのか。

なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

けれども若き日の思い出を胸にまた歩こうと志したそのひと。
もしかしたらそのひとのなかでは何も変わっていない何かがあるような気がした。

それはなんだろう。知る由もないけれど深い思いを感じた出会いだった。



2012年11月03日(土) 山茶花さいた

お隣の庭のコスモスもすっかり枯れてしまった。
ご主人が手入れをしたらしく綺麗に刈られてしまっている。
殺風景にはなったけれどこの秋を彩ってくれたコスモス。
来年もきっとたくさん咲いてくれることだろう。

そうしてバトンタッチをしたかのように山茶花の花が咲き始めた。
まだほんの一輪だけれど蕾がふっくらとたくさん見えている。
冬には冬の花がちゃんと咲いてくれる。なんとありがたいことだろう。

我が家には土の庭がないのでお隣の庭を楽しみにしている。
ブロック塀越に眺めてはまるで自分の庭のように思うのだった。


今日は台所にストーブを茶の間に炬燵を出した。
炬燵はまだコンセントを抜いてあるけれど、
そこに炬燵があると言うだけでほんわかと温もりを感じる。
これで冬支度は整った。冬よいつでもいらっしゃいの気持。


散歩道のお大師堂で到着したばかりのお遍路さん二人に会った。
少し休憩してもう少し先へ歩くかもしれないと言っていた。
お節介な私は泊まることをすすめる。それで良かったのだろうか。
二人のお遍路さんは顔を見合わせてはただただ笑顔でいてくれた。

どんなにささやかな出会いであってもそれが縁だと信じている。
お大師堂から見える夕陽をふたりに見せてあげたかった。



孫の綾菜。今日で生後6ヶ月になりました。







2012年11月02日(金) カラスなぜ鳴くの

今朝はぐんと冷え込みとうとう暖房のお世話になる。
そろそろストーブや炬燵の準備をしなければいけないようだ。

嫌いではなかったはずの冬が年々苦手になってきている。
まだまだ寒さはこれからだと言うのに先が思い遣られる話だ。

昨日の強風はおさまり日中は穏やかな晴天となった。
ひだまりがとても優しい。日向ぼっこをしたくなるような。


午後、母が急に気分が悪くなったという。
心配になり近くの診療所に行かせたのだけれど
血圧が異常に高くなっていたようだった。
気丈な母であってもどんなにか心労が溜まっている事だろう。
母にもしものことがあったらと思うと目の前が真っ暗になる。

ゆっくりと休ませてあげられたらどんなに良いだろうか。
はらはらと見守ることしか出来ない自分がはがゆかった。

大丈夫よ。それが母の口癖。それを信じようとしている自分もいた。


後ろ髪を引かれるような思いで帰路につく。
どうか母を守ってあげて下さいと祈りながら帰った。


そんな日であっても散歩道はいつもと変わらない。
なにもかもが優しくて微笑んでいるように見えた。

河川敷の栴檀の木にカラスが一羽とまっていた。
私が近づくと大きな声で「かあかあ」と鳴いた。

カラスなぜ鳴くのって歌いながら歩いて行った。




2012年11月01日(木) 北風ぴいぷう

北風が冬の足音をつれてくる。
ぴいぷうぴいぷうと口笛を吹きながら近づいてくる。

いつもの散歩道も今日はとても寒かった。
向かい風に立ち向かうように突き進んで行った。

ススキの穂だけは嬉しそうに揺れている。
もう若くはない。なんだか自分の歳と重ねていた。
そうそんなふうに微笑んでと私もススキの真似をする。
老いることをおそれてはいけない。
風にまかせてゆらりゆらりと生きていけば良いのだ。



夕方、息子がふらりとやって来る。
「腹減ったぞ!」ってその一言が母は嬉しい。

肉じゃがを作った。ほっこりと美味しそうに出来た。
三人でわいわいおしゃべりしながらの夕食。
仕事の話しを一切しない息子に少しほっとする。

みんなが穏やかでいてくれるのが母はいちばんしあわせだった。
どんな日もあるけれどきっときっと乗り越えられると信じている。



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