ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年02月26日(木) あったかな古巣で

つかのまの青空をいただき。午後はどんよりの曇り日。
ゆるやかに優しく南風が吹き。ふっと海の匂いを感じた。


昨夜たくさんカレーを作り過ぎてしまい。息子君に連絡をする。
サチコがお休みだったので今夜はカツカレーにすることにした。

サチコがトンカツを揚げてくれるというので。母はらくちん。
「早く洗濯物を畳まないとお母さんに怒られるよ」って言われ。
母は縁側でそれをしながら。くすくすと笑いが込み上げてくる。

ほんとうに愉快な娘だこと。もっともっと漫才ごっこをしたい。

久しぶりに家族四人そろって晩御飯を食べる。わいわいにぎやか。
息子君もサチコが居てくれると愚痴ひとつ言わなくて上機嫌だった。

父も母もテンションがあがり。父は息子と晩酌をしたいのだけれど。
泊まれないからと断られ。それでもひとりで美味しそうに飲んでいた。
「またゆっくり来いよ」としきりに誘う。母も好きな物を作ってあげたい。

息子君が帰ってしまうと。し〜んと静かになる。いつもの夜が訪れる。
「お兄ちゃんって嵐みたいだね」ほんとうに風のように去って行く子。


もう一年なのか・・去年の今頃を思い出す。そういえばそんなことも。
あったねと思うくらいのささやかな過去になった。とても大変だった。
けれども時はやはり薬になってくれて。今はもう傷跡さえ見えなくなる。

そうして何事もなかったかのように。またこうして季節が巡ってきてくれる。

なるようになって。なってくれたのがありがたくて。いまは平穏で無事。

父も母もここで老いていくけれど。あったかな古巣をまもり続けていくね。




2009年02月25日(水) てるてる坊主さんありがとう

朝の窓辺。今にも雨が降り出しそうな空を眺めていると。
ふっと思いたって。てるてる坊主を作ってみたくなった。

懐かしいものだ。童心にかえったように目を書いて口を書く。
赤いマジックでほっぺを染める。にこにこ顔のてるてる坊主。

そうして軒下にぶらさげてにんまり。空も笑っているようだ。


雨は決して嫌いではないけれど。川仕事にとっては不都合で。
海苔の天日干しが出来ないと困る。川の水も少し濁り始める。
汽水域の塩分濃度が薄くなると。海苔も弱ってしまうのだった。

自然の恵みだからこその自然まかせ。空の顔色をつい伺ってしまう。


ありがたいことに雨にはならずにいてくれて今日も仕事に精を出す。
でも天日干しは無理だろうと諦めて家に帰ろうとしたその時だった。
一気に空が明るくなる。西の空を仰ぐとなんと青空が見え始めている。

てるてる坊主さんのおかげかもしれない。大喜びでふたり海苔を干す。


午後の三時間ほどだったけれど青空に恵まれ。とてもとてもほっとした。
晴れているうちにとお散歩にも行く。今日はちゃんとお大師堂も参れた。
ちんまりと正座して目を閉じていると。ほんとうに心が洗われるようだ。

帰り道は昨日と同じ道。いやいやをしそうなあんずを道端の木につなぎ。
今日こそはとゆっくり桜を愛でた。蜜蜂も一緒にいてその姿も可愛らしい。

染井吉野が咲く頃はまだ少し遠い。けれども早咲きの桜のおかげの春らしさ。

こころはほんわかあたたかい。こころにも花を咲かせてあげたいなと思う。










2009年02月24日(火) 夜の鼓動を聴きながら・・・

もう菜種梅雨の頃なのか。ぐずついた空模様が続くのだそうだ。
小春日和を恋しく思いながらも。春雷もまた待ちわびている頃。

いつだったか三月に大雪が降ったこともあった。そうして桜が。
一斉に咲き始めたことを思い出す。そんなふうに季節はめぐる。



今日もあいかわらずの川仕事。いよいよ最盛期を迎えて。
日に日に収穫量が増えてくる。そのぶん忙しくてきつい。
けれどもそんな疲れも程よくて。やはり好きだなと思う。
食欲も旺盛で甘いものにも手が出る。豆大福がいちばん。

午後の空いた時間に少しずつ自動車保険の仕事も出来る。
自分にとってはとても理想的な状態にやっとなれたのだ。
母とのメールのやりとりも穏やかで。ほっとするばかり。
今週はもう来なくても大丈夫と言ってくれとても助かる。

ふっとあの山道が恋しい。山里の風景が目に浮かぶけれど。



夕方ちかくなれば。あんずといつもの散歩に出掛ける。
雨が降らない限り彼女は「く〜ん」と呼んで待っている。
川からも空からも水が匂う日。こんな日の散歩も良いものだ。

お大師堂に和菓子を供えようと持って行ったのだけれど。
すでに泊まりのお遍路さんの靴が見え。諦めて引き返す。
わたしは毎日だって行けるのだもの。明日があるのだもの。

帰り道は土手を通らずに。民家の続く小路を歩いてみたくなる。
寒桜だろうか庭先に綺麗な桜を見つけたのだ。近くで見たくて。
花曇という言葉がとてもよく似合う。なんとも可憐な花だろう。
立ち止まってしばらくお花見。ほのかに匂う春が心に沁みいる。

それもつかの間。あんずがいやいやをし始めリードを引っ張る。
一瞬にして私は苛立つ。もうなんでよとついつい怒ってしまう。

そっか。帰りたいのか・・母さんのこういうとこが我侭なんだ。
あんずがいてくれるからお散歩が出来ることをもう忘れている。


そんなこんなで日が暮れる。夕陽の見えない夕暮れ時はふっと。
暗くなる。そうして静かに雨がただあたりを濡らすように降り始め。

いまはその雨だれの音を。夜の鼓動のように感じながらここに。

ひっそりと私も佇んでいるらしい。記すことがなんになろうと。

なにも伝えられないけれど。ここにいることを夜空に伝えたい。





2009年02月23日(月) もうわたしは鳥だった

生まれて初めて鳥になった夢をみた
かもめのような白い鳥で仲間たちと
真っ青な空を群をなして飛んでいる

けれどもじぶんはどうしでだろうか
その空から落っこちてしまいそうで
必死になってみんなについて行こう
そう思いばたばた羽根を動かすのだ

うまく飛べないちっとも心地よくない
疲れてしまってもう羽根を動かせない

もういいやって思う諦めちゃえって
そう決めて羽根を動かすのをやめる
じぶんはみんなとはちがうのだって

そうしたら不思議なことにふわりと
からだがうそみたいにかるくなった
羽根を広げているだけだというのに

追い風に恵まれているわけでもなく
ただただ空が青くってはるかに続く

飛んでいるああなんて心地よいこと
暖かくて優しい空気につつまれては

わたしは飛んだもうわたしは鳥だった






昨夜のこと。思いがけない電話があった。
去年の暮に会えないままでいた『ひろた君』
絵のことや詩のことやいっぱい話してくれた。
そうしてなんとギターも弾いて聴かせてくれる。
一度も会ったことがないというのに。知っている。
とても近くにいつも感じているその存在が不思議で。
ならなかったけれど。やはり深い縁のあるひとだと思う。

『ひろた君の詩』がとても好きでならない。
いちばんすきなのは『風の朝』という詩で。
そのこともちゃんと伝えられてよかった。

これは過去だという。けれどもこんなふうに僕は暮らしたいと彼は言った。




今日のこと。北国の友から便りが届く。
手紙はほんとうに嬉しくてありがたくてならない。
とても遠いところに住んでいるけれど。ひろた君と同じように。
とても近くにいつも感じている。かけがえのない縁あるひとだ。


ありがたいことがいっぱい。
自分はこんなに恵まれて今日も生かされていた。




2009年02月21日(土) いっぱいのしんこきゅう

朝の寒さは冬らしくあったけれど。
川仕事のかたわら鶯の初音を聴く。

それはほうけきょだったりほうだったり。
まだ上手くは鳴けなくてすこし愉快な声。

ほらもうすこし。あらまあよっこらしょ。
ついつい声をかけては私も鳴いてみせる。

おかげでたくさんの微笑をいただき。
心を浮き立たせつつ仕事に精を出す。




午後。何日ぶりだろう川辺の道を散歩する。
夕陽の頃も良いけれど小春日和をありがたく。
お昼寝をしていたあんずが首を傾げてみせる。

ふたりほぼ等身大の影が道に映るのを横目に。
太陽の光をいっぱいに浴びながらゆっくり歩く。

久しぶりのお大師堂だった。暦は18日のまま。
その日捲りを一日ずつ千切りながら今になる。


川辺にはタンポポが花盛り。いつかの綿毛も。
風にのって旅立ったのだろう。かたわらには。
幼子のようによりそうその姿が可愛らしくて。

帰り道は。土手をみあげながらのつくしん坊。
黒かったあたまもすっかりきらきら光ってる。

きもちいいね青空。私もいっぱいしんこきゅう。










2009年02月19日(木) 雨あめふれふれ母さんは

寒の戻りもあれば。ひと雨ごとにと春に向かう雨もある。
たとえ冷たい雨だとしても。ふくらんだ花のつぼみには。
恵みの雨となり得るのだろう。雨あめふれふれ母さんは。

こんな雨が好きです。静かな雨音に耳をかたむけています。



火曜日の早朝のこと。姑の姉にあたる伯母が息をひきとる。
去年の夏から体調を悪くして入退院を繰り返していたけれど。
暮には帰宅していて親戚の法事があった日に会った。それが。
最後になってしまう。お刺身が好きで美味しそうに食べていた。

その時の笑顔ばかりが目に浮かび。きょうその骨が粉々になり。
みんなが嗚咽をもらし泣きじゃくっているというのに。なぜか。
いったいどうしたわけだろう。わたしは泣けないひとになった。

死ぬんだなって。ひとはみんなこうして最後は粉々になるのだな。

この冷静さがどこからくるのか。じぶんでもよくわからない現実。

ひとの『姿』って『かたち』って確かにあるけれど『無』にもなる。

その無いものがとてもつよく存在しているように思う。不思議な事。



明日からまた日常が始まる。早朝から三日ぶりの川仕事に行こう。
午後からは山里の職場に行こう。久しぶりに峠の道を越えて行こう。

晩御飯もちゃんと作ろう。夜は体育館へ行って仲間達とふれあおう。
帰宅したら焼酎を飲んでぐっすり眠ろう。明日のことはわからない。

というのに。あしたのことばかりかんがえている今夜になった。

雨あめふれふれ母さんは。いまとてもあっけらかんと元気です。



2009年02月16日(月) テールランプを灯しながら

すっかり春を思わす陽気が続いたあと。一気にまた冬らしくなる。
西風が強く吹き荒れる寒さのなか。さくらんぼうのなる桜の木に。
薄桃色の蕾をたくさん見つけた日。そのふっくらさに心を和ます。



昨日から川仕事を再開し今日もがんばる。彼は荒治療だと言っては。
大丈夫!を連発するばかり。はらはらしながら見守るしかなかった。
おかげで私は少しだけ楽をさせてもらえる。やはり男手はありがたい。


晩御飯は焼き鳥。サチコの好きな麻婆豆腐。ほうれん草の胡麻和え。
ふっと息子君の事が気がかりになり。電話してみたらとサチコも言う。
よかった。まだ職場にいて帰りに寄ってくれるとひとつ返事が嬉しい。

お兄ちゃんに会うの久しぶりやって。サチコがお休みの日でよかった。
母はそわそわと落ち着かない。窓の外ばかり気にしながら彼を待った。

ほうれん草をポパイみたいに食べてくれる。麻婆豆腐はご飯にのせて。
そうして少しだけ愚痴。仕事のことや体調のことや母は心配性だから。
うるさい!とか言いながら話してくれる。八つ当たりも嬉しいものだ。

実は昨夜夢を見たのだ。まだ子供のままの彼がどこかすごく痛がって。
病院へ連れて行こうとしたのだけれど。どうしても嫌だと暴れる夢だ。

もうすっかりおとなのおとこ。わかっているけれど・・・私のこども。


そんなこどもを窓からそっと見送る。明日は今日より冷えるそうだ。
風邪を引かないように暖かくしてね。そんな言葉も言えないままに。

こどもは振り向きもせずに帰る。暗い路地にテールランプを灯しながら。




2009年02月14日(土) いつもそこに空がある

土の中から出てきたばかりの土筆の坊やの。
あたまはちょっと黒くって痛々しいのです。

ぐいっと力んでしまったのな。怪我したのかな。
よしよしと頭を撫でてあげたくてならなくなる。
もう大丈夫。明日もお陽様にきっと会えるから。



日中の気温は一気に桜の頃に似て。汗ばむほどの陽気になった。
そんな朝。彼が散歩に出掛ける。自転車にも乗れるようになる。

ほっと安堵。まだまだ無理は出来ないけれど明日から川仕事の予定。
今日は頂いたお休みだと思って。私もいちにちのんびりと過ごした。

晩御飯はオムライス。好きなんだこれが。ふわふわの卵が美味しい。
食後に芋焼酎のチョコボンボンを食べた。三つ食べたらほろ酔った。

なんだかへいわ。へいわすぎてこわくなるくらいへいわ。




2月14日。いまのHP『雲にのりたい』をたちあげてまる7年を迎えた日。
もうそんなに。ただ在り続けるだけのこれといって特別な事もなくって。
それなのに忘れずにいてくれるひとがいてくれる。思い出してくれるひと。
毎日のようにそっと足跡を残してくれるひともいてくれる。このありがたさ。

いまのわたしはむしろ『雲ひとつない』けれどもいつもそこに空がある。

見上げることの出来る日々を愛しく。このさきも許される限り生かされていたい。

出会ってくれてありがとう。こころいっぱいの感謝をこめてこれを記す。


『雲にのりたい』





2009年02月12日(木) ささやかな春にありがとう

とうとう昨日から黄砂が。まさに春霞の陽気となる。
そうして晴れているのだろう空からやわらかな陽射。


彼のぎっくり腰の痛みは少しだけましになったけれど。
やはり安静が第一。今日もふたりでのんびりと過ごす。

私は暖かな陽気に誘われ。ちょこっと漁場の見回りに行く。
干潮の頃すっかり水が引き。そこはまるで緑の畑のようだ。
何年ぶりだろう久しぶりに漁場の写真を撮る。愛しき海苔。

帰り道には。もしや土筆がとゆっくりと軽トラを走らせた。
けれども坊やはもう少し。土の中でむくむくっとしている。

そのかわり河川敷の牧草地の若草。はっとするほどの緑だ。
そうして農道脇のビニールハウスの横には一面の菜の花だ。

数日前からそうだったのだろうけれど。今日やっと気づく。
川仕事の帰り道にはそれほどゆとりがなかったのかと思う。


ささやかな春。ことしも巡ってきてくれてありがとう。











昨夜のまみむメモ。

例の手紙をくださったお遍路さんの奥様から。昨夜電話をいただく。
IP電話だから大丈夫よって言ってくれて。なんと二時間の長話し。
偶然にしてはあまりにも不思議な共通点があり。ふたり感動ばかり。
感極まる話しをたくさん聴かせていただき。とてもありがたく思う。

出会うべくして出会うひと『縁』なくして人生はありえないと心からそう思う。






2009年02月10日(火) むかしとった杵柄があったさ

真夜中にはもう雨があがっていたらしい。
夜明けと間違えるほど窓の外が明るかった。

昨夜が満月だったことをそうして知っては。
今夜の月も素晴らしく綺麗で夜空をあおぐ。

日中も穏やかに晴れて春のように風がそよぐ。
うぐいすの声はまだ聴けないけれど何処かで。
名も知らぬ鳥が透き通った声で啼くのを聴く。


例のごとくで川仕事。すこしも苦にはならず。
むしろ楽しい。体調も良くきょうもがんばる。

けれども彼が。とつぜんちゃがまってしまう。
船から荷を降ろしている時に腰の筋がズキン。
以前からぎっくり腰の癖があるのでそのよう。
なんとか軽トラの助手席に座らせ連れて帰る。

後は頼むよ。そう言われなくても肝っ玉母さん。
むかしとった杵柄があるのだもん。任せなさい。
家で彼の手当てをしてすぐさま作業場へ向かう。

収穫した海苔を機械で洗い脱水機をかけて干す。
ひとりでそれをするのはほんとうに久しぶりだ。
じぶんも捨てた者じゃないなと少し悦にいった。

そうして自信もわいてくる。まだやればできる。
すべての作業を終えて太陽の恵みをありがたく。
干し場に並ぶ緑の海苔を感慨深く愛しんでいた。

あすはやすもうね。あさっても休みにしようかな。
彼が無理をしないように。私も怠けることにする。

どんな時もあるのがあたりまえ。こんな時もある。
そのぶん海苔も順調に育ってくれるのだとおもう。


明日の朝は夜明け前に。あんずとお散歩に行こう。
ちょっとびっくりするかな。あれ?お父さんは?

いそがなくてもいい。すこしも焦らなくいいから。
ゆっくりぼちぼち動けるようになってねお父さん。

土曜日には。焼酎ボンボンのチョコきみにあげるよ。



2009年02月09日(月) それはほのかにせつなくて

晴れのち雨。小ぬか雨というのだろうか霧のようにそれが降る。


月曜日でもあり。山里の職場が気になりつつも家業を優先する。
母はひとりで大丈夫だろうか。気にし始めたらきりがないけれど。
わたしのからだはひとつきり。いまこそ気楽になるべきだろうか。

おかげで午後からゆっくりと寛ぐことができるありがたさだった。
せめて母に電話をと思いつつそれもせずにいると。メールが届く。
業務連絡のメールに。なんだか私のほうが上司みたいで可笑しい。

損保会社に申請してあるもうひとつのIDがまだ届かないままで。
自宅で保険業務が出来るまでもう少しかかりそう。少しだけ焦る。
けれども仕方ないこと。保留出来る業務はしばしお預けにしておく。

「便利になるね」母からの返信に「もうちょいだね」とまた返信。

茶の間の炬燵で寝転びながらそんなことをしていると。メールって。
やはりありがたくてならない。声を聴くとついつい動き出してしまう。
それが私の性分だと知っている母の。心遣いに思えてならないのだった。




そろそろお散歩に行こうかなと思っていたら。外はいつのまにか雨になり。
そっと犬小屋をのぞくとあんずも諦めているらしく眠っているようだった。
静かで優しい雨だったけれど。まあいいかと今日のお散歩はお休みにする。


しかしその直後けたたましくサイレンの音。近くの山が燃えているらしい。
消防団の彼は大急ぎで出動し。私とサチコも野次馬になって表にとび出す。
その騒動にあんずもびっくりしたらしく。なに?何?と目を覚ましたらしい。

火事はすぐに鎮火しほっと帰宅したところ。犬小屋の外であんずが拗ねていた。
どうして自分も連れて行ってくれなかったのかと。うらめしそうな顔をして。
その顔がなんとも哀しげででたまらなかった。ごめんようっと謝りながら。
「春雨じゃ濡れていこう」と。とうとうふたりいつもの散歩道をてくてく歩く。


雨は匂うものだ。それはほのかにせつなく。それはささやかに心を潤してくれる。



2009年02月08日(日) 風にのっていけるところまで

ありがたい事に。立春を迎えてからずっと暖かな日が続いている。
うららかさはこのうえなく。冬のことをもう忘れてしまいそうだ。


昨日から今年の海苔漁が始まる。例年より少し遅れているけれど。
今年もなんとか順調に育ってくれてほっとしている。自然の恵み。
時々は雨も。そうして冷たさも。何よりも陽射しにたすけられて。
水の中で生きて育ってくれたことに感謝しつつ。それを摘んでいく。

今年はぼちぼちやろうなとふたりで決めた。彼も私も少しは老いた。
体調の悪い日には無理せず休もうな。そんな言葉に救われるおもい。

なんとかなるだろう。なるようになるだろう。やれるだけで良いのだ。

若い頃には苦に思ったこともあるけれど。いまはこれが天職に思える。


初日の昨日はさすがに疲れたのか。午後はふたり炬燵で寝入ってしまう。
晩御飯の支度もろくに出来ずにいて。あんずのお散歩どころでもなかった。

それが今日はずいぶんと楽になり。ゆっくりと身体が慣れてきてくれる。
明日はもっと楽だろう。どんな日もあるけれどそう信じて頑張りたいと思う。

午後はまあるく掃除などして。陽だまりの庭で花いじりなどをして過ごす。
そうしてふっと思い立ち。近くの美容院へ行き髪をさっぱりと切ってもらう。
またまた中学の部活少女みたいな髪型になった。気分リフレッシュいい感じ。


夕暮れにはまだ少し早い頃。あんずと気持ちよく川辺の道をお散歩に出掛ける。
昨日さぼってしまったせいか。今日はとても大喜びの様子ではしゃいでくれた。

きらきらの川面には観光船が行き交う。歓声が聴こえたりとてもにぎやか。
けれどもそんな声さえものどかに思え。楽しさが伝わってくるのが嬉しい。

お大師堂のそばに見つけていたタンポポ。もう綿毛になっていておどろく。
ふわふわさんがまたちいさな旅をするのだな。風にのっていけるところまで。


川は輝きながらゆったりと海に流れいく。南風の頃には潮の香りがとどく。

そんな春まっさかりまで。もうすこしあとすこし西風にふかれていよう。








2009年02月05日(木) 『猫やしき』を見つけた日

三月中旬なみに気温があがり。すっかり春の陽気となった。

暖かでやわらかな陽射しがありがたくてならず。むくむく。
からだじゅうから芽が出てくるような感覚を味わった一日。

木の芽起こしというけれど。わたしもそんなふうでありたい。
いつか咲こうなどと思わず。緑になれるかもしれないいつか。



そんな陽気に誘われるように。今日は少し外回りの仕事をする。
一軒の農家を訪ねたけれどお留守で。どこか畑に居るのかもと。
山里の細道をうろうろと進んでいたところ。お〜いっと呼ぶ声。

すぐご近所のお宅の縁側にその方が居た。日向ぼっこをしながら。
話し込んでいたらしい。諦めて帰ろうと思っていた頃でほっとする。

そのお宅の庭先で用事を済ませる事が出来たのだけれど。ここって。
初めて来た場所なのに見覚えがある。確か・・そうだあの写真の家。

去年のこと友人に見せてもらった写真を思い出す。大きな柿の木と。
たくさんの猫がいて。友人は『猫やしき』だよって言っていたのだ。

ながいこと山里に通いながら。私はその『猫やしき』なるものを知らず。
町に住む友人はとても好きな場所なんだと言って目を輝かせていたっけ。

やっと見つけたよ。すごく嬉しくなってすぐに電話しようかなと思った。
暮に入院していて今は自宅療養している彼女の喜ぶ声が聞きたくなった。
ああ・・でも夜にしよう。仕事中でもありそのまま職場へ帰ることにする。



早目に帰宅していつものお散歩。ずいぶんと日がながくなり夕陽はまだ。
紅く染まらずにいてただただ眩しく輝いているばかり。川面もきらきら。
帰り道のあんずはぜぇぜぇ。この暖かさに参ったのかと少し心配になる。
犬は寒いのが好きだというけれど。今年の夏を無事に越せるだろうか・・。


そうして窓から紅い夕陽が見え始めた頃。あんずが来客を知らせて吠える。
誰だろう?と玄関にとび出して行き。あまりの思いがけなさにびっくりした。

なんと今夜電話しようと思っていた彼女がそこに。笑顔で佇んでいたのだ。
職場復帰が近くなり体力をつけようと。ふっと思い立って散歩に来たと言う。
大橋のたもとにクルマを停めて。もう一時間近くそこらを歩いていたそうだ。

もちろん『猫やしき』の話しをする。「やっと見つけてくれたのね」って。
話しながら私は不思議でならなかった。昼間思い浮かべていた彼女の笑顔が。

いまここにある。ただ想っただけだというのに。こうして会えるものなのか・・。


お大師堂のほうへ今から行くね。彼女は元気に手を振って路地を遠ざかって行った。



2009年02月04日(水) その時を知り咲いてくれる花

立春。曇りのち晴れの予報だったけれどずっと曇天のまま肌寒く過ごす。

夕方のローカルニュースで『雪割り桜』の映像を見せてもらった。
薄桃色でなんとも愛らしく。その花にメジロがとまり戯れていた。
ほのぼのとこころがあたたかくなる。ありがたい春の便りだった。

まだまだ冷え込む日もあるだろう。ゆっくりと春にあいにいきたい。


職場の庭も。昨日の雨をそのままにしっとりと潤ったまま春が匂う。
白いのも紅いのも梅の花が咲き始めてくれて。母がとても嬉しそう。

仕事が暇だったおかげで少しだけ庭で寛ぐ。そうするようにと母が。
私の体調を気遣ってくれていることを知り。ほっと身体が楽になる。
事務所に居る時の私は。背中に鉄柱を差し込んでいるように見えて。
カチカチに固まっているのだそうだ。無意識のうちに緊張している。
いつも身構えている。それは自分でもそうかもしれないと思っていた。

『いいかげん』という言葉がある。雑だとか適当だとかともとれる。
けれど。それは『ちょうどいい感じ』ということでもあると学んだ。
お風呂にたとえると自分がいちばん好きな湯加減だということらしい。

それはどんなにか心地よいことだろう。ゆったりとお湯につかる気分。


そう心がけようとこれまでどれほど思ったことだろう。実行出来ても。
またすぐにそのことを忘れている。それを性分だと言えばきりがなく。
焦らずゆっくりと自分を見つめ直していきたいものだ。人生はながい。


今週末頃からそろそろ家業に取り掛かる予定になった。なるようになる。
それなりに頑張って。あたふたせずにゆとりをもって日々をおくりたい。

そうゆっくりと春を待つように。その時を知り咲いてくれる花にあおう。







2009年02月03日(火) 鬼さんこちら手のなるほうへ

ひと雨ごとに。もうそんな頃になったのだろうか。

そぼふる雨にうなだれもせず梅の花が咲きほこる。



もっとおおらかにもっときらくにゆったりと過ごすように。
行くたびにそういわれて背中を優しくさすってもらうのだ。
けれども。そんなありがたい魔法もつかのまに消えてしまう。

頼りすぎているのだろうか。甘えすぎているのかもしれない。

じぶんのなかに潜む鬼は。じぶんで退治するしかないと思う。
負けてもいいのだ。弱音をはいてもいい。作戦を練ってみる。
闘わずにむしろ仲良くする手はどうだろう。拒まずにいたら。
手をつなげるようになるのではないか。うんそれがいいかも。


鬼はそと福はうちの日。鬼の気配を感じながら今ここにいる。



鬼さんこちら手のなるほうへ。今宵は一緒に焼酎のみましょう。








2009年02月01日(日) 雲ひとつない

それはおだやかな春の海のようだった

波はまだきっと深く眠っているのだろう

風もまたそのありかを知らせずにいては

ただただ朝の光に映しだされているばかり


雲にのりたいといったあのひとのねがいは

失われたわけでもなく消えたわけではない

みえなくてもいいことがきっとそこにある


生きづらい世の中だけれど大切なことが

ほんのすこしわかってきたような気がする

あのひとはそう言って空を仰いでいるだろう


雲ひとつないもうなにもさがさなくていい

雲ひとつないもうなにももとめなくていい


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