かたほうだけのパンプス
敦子



 沖縄返還前のパスポート

今日5月15日は、1972年の忘れもしない沖縄返還の日。この日が来るまで祖母は、日本へ行く、日本へ行くからと言っていた。私が沖縄に住んだのはこの年から三年間だった。身軽だった。パスポートを持たずに沖縄へ行けることは。
父の荷物を整理しているなかで沖縄返還前に東京から沖縄へ行くために取ったパスポートを参考のためにここに披露したい。
沖縄八重山竹富島で行われる種どり祭と那覇の父の実家へ行くのが主な目的だった。

DSCF0974 (300x169)父が一冊。私は母と一緒で一冊。ここに三冊あるのは、父がその前に取った一冊をとりあえず一緒に載せた。なかは・・・DSCF0985 (300x225)このとき母は父と結婚してはじめて竹富島へ行った。母の両親も竹富出身なのだが、母は東京生まれ東京育ち。この手帳の取得する前に保健所で注射をしたときの手帳。
DSCF0976 (300x225)なかは・・・
DSCF0977 (300x225)DSCF0978 (300x225)DSCF0979 (300x225)このほかに母は、身分証明書を携帯していた。それがこれ・・・
DSCF0983 (300x225)DSCF0984 (300x225)その頃の母は、まだ若くて(現在74歳)私は言葉の意味がよくわからないくらいだった。当然通貨はドルだった。
沖縄は、戦争直後から一年間はお金の流通が止められたそうだ。
まず、軍票→軍票にA軍票、B軍票とあった。つぎにB円というのが沖縄の通貨となっていった。ところがB円の札も度々変わったそうだ。紙に判が押された程度でサイズも小さくて簡素だというイメージだったそうだ。そして変換まで使われたドルに変わっていったそうだ。
DSCF0986 (300x225)これは荷物に付けた札。父はこんなものまで取って置いてある人なので整理するのにたいへん(汗)だったり貴重な資料だったり・・・している。


2014年05月15日(木)
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