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男子は30歳になる前に - 2011年09月15日(木)

むかし杉山治夫さんという悪徳金融屋が昼間のテレビによく出ていた。僕と同年代かそれ以上の人ならばスタジオで1億円をばら撒くパフォーマンスを覚えている人も居るのではないか。

僕も小学生くらいだったのでハッキリとは覚えていないのだがいつも番組後半になると「借金を返せないならば臓器を売ってもらうぞ!ガハハ!」などと叫んで札束をばら撒きスタジオの客席にいる主婦たちからブーイングを浴びるという芸を披露していた。

大金持ちの経営者がテレビに出るのは出演料を稼ぐためではなく宮路社長のように本業の会社宣伝が目的だと思うのだが、杉山治夫氏の場合はそのパフォーマンスが彼の商売にどのようなプラスに作用していたのかがよくわからない。

ただ彼の場合1億円をスタジオでばら撒いている時の表情が恍惚としたまるで甘美な麻薬でも味わっているかのようなキラキラした笑顔で。きっと公共の電波で「偽悪者プレイ」というのをやりたい特異な人だったのではないかと思う。

最近知ったのだがその杉山治夫さんは「金満家教会」という宗教を開いていた。その宗教での神は「現金」の一神教。神殿に行くとあるのは仏像などのご神体ではなく現金1億円が鎮座しているらしい。何とも言えないエピソードだが、確かに「宝くじに当たりたい」とか「会社の経営を立て直したい」などの現世利益を求めるならば仏像とかご神木を奉るよりも、現金1億円に両手を合わせて拝んだ方がご利益はあるような気がする。

しかし日本人のメンタリティっていうのは「お金=汚い」ってのが強くある。例えばお金は汚いものなので人様にお渡しする時には綺麗な封筒に包むって感覚。日本には清貧って言葉はあるが清富って言葉はない。貧乏を恥ずかしがらない生き方は美しいが、財産を隠そうともしない人間は下品と。

実際に就職説明会や入社面接で給与の話をズバリ聞くとマイナスになると考えている大学生は多い。一通り質疑応答があった時に「あのう、、、最後にもう1つ質問なんですが、、、」と申し訳なさそうに給与の話題を聞くならばOKと思っているようだ。しかし「お金の話をする=はしたない」と思っているうちは子供だよなーと思う。むしろ聞きたいことを相手の気分を損ねない形で尋ねるという能力が大学生にもなって身についていないことの方がよっぽどマイナスかと。

ところで僕の友人たちの中には会社を辞めて独立してカフェだとか小物屋を始めたの人がわりと多くいる。このご時世にも関わらずうまくいっている人が多いので嬉しい。同世代が会社という檻を飛び越えて活躍するのを見ると痛快である。

しかしその一方で残念ながら窮状に陥っている人もいる。多分うまくいっていないのはお店に魅力が無いとか商品がダメとかではなくて「積極的にお金を稼ぐことに罪悪感を持っているのに商売を始めた」っていう歪みを解決できていないからだと思う。

そのあまり経営がうまくいっていない友人たちに共通して言えることは赤字にも関わらず必要以上に「良心的な」料金設定を敷いていたり、真剣に営業活動をしていなかったり。「これ以上お金を取るなんてお客さんに申し訳ない」「営業活動なんてブラック企業がやるもんだ」と抵抗感があるみたいな。そういう人ってあまり経営に向いていないから会社を辞めずに働き続けて、たまに無銘喫茶みたいなところで1日店長みたいな形で自己実現をすれば良いと思うのだがどうなのだろうか。

「赤字覚悟の良心的な値段設定」なんて誰でもできる。「あまりお金を取らずに満足させる」で赤字ならばちゃんと現実に向き合って「お金を取るけれども満足もさせる」にシフトしようと考えられないのだろうか。「自分が儲かる=相手から搾取している」と考えてしまっているならばちょっと幼い考え方かと思う。

「働き方には色々あって利益を追求しないスタイルを取っているだけ」という意見が当然あると思うのだが、利益を追求しないことと赤字を容認することは全くの別次元の話だ。利益を追求しないことでやりたいことを曲げずにはできるかもしれないが赤字ってのはそのやりたいことを根本から壊してしまう。

ちょっとの工夫で解決しそうな赤字なのにお金への抵抗感という目に見えないもののためにせっかくのお店を潰してしまうのは本当にもったいない。

ビジネスの基本は「相手を幸せにすることでお金を稼ぐ」でしかないので、ぜひ僕がたくさんお金払っているのに「いやー高いけど良い買い物したわー」と思わせて欲しい。




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