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スネ夫ポジション - 2011年09月03日(土)

「戦争を経験していない奴の文章なんか読むに値しない」ってのは戦前派vs戦後派の論争でよくあったフレーズだが、現代においても似たようなことはよくある。

「就職もしていない奴の文章がなんか〜」
「子供を育てたことが無い奴の文章なんか〜」
などは実際に良く聞くし、学生時代に言われたことがある。

「喧嘩もしたことがない奴の文章なんか〜」
は数年前にヤンキー風の男性に言われたことがある。(ちなみにそいつの武勇伝は後に全てハッタリと判明)

「精神を病んだことがないやつの文章なんか〜」
などは半分病気自慢が入っているので、もはや文章とはあまり関係が無い。

我々はそれぞれが人生を変えるような強烈なドラマを多かれ少なかれ経験している。そしてその自分と同じようなドラマを経験しなかった人間を軽んじる傾向にあるのだ。きっとこれは人間のサガみたいなものだ。

かの小沢健二先生の「うさぎ!」が圧倒的な名著にも関わらず『就職したことが無い世間知らずのオザケンに言われたくねえよな』って論調が圧倒的なのはそういうことだ。


もちろん僕もそういう経験が無い人を軽んじる性質を持っている。

先日、教育学部に属する大学3年生の男子たちと1時間くらい初等教育の問題点についてお話をする仕事があった。その会では初対面にも関わらずみんなよく喋ってくれた。しかし彼らが言っていることは全て正論なんだけど非常にイライラした。

「学校任せにせずにもっと自覚と責任感を親は持つべきだと思います」とか「地域コミュニティを復活させるために他人の子供を叱る風習を取り戻すべきだと思います」とか。

50歳主婦が唱えれば拍手をしたくなるフレーズでも大学3年生に言われると腹が立つのってどんなメカニズムなんだろうか。

彼らの主張自体には何の誤りもないけれども、子供が生まれた時に親がどんな気持ちだったのかとか、その後にどれくらいの苦労があったのかとかそういう「家庭の歴史」を全く考慮しないで、「現在の問題点」だけを偉そうに学者みたいに展開しているから腹が立った。

例えるならば、先人が荒野を開拓して何とか人が住めるようになってやっと一息つけるようになった後で、旅行者が「うわー田舎で何にもないなあ。スーパーとか誘致すればいいのに」などと勝手な意見を言って去っていったみたいな。

教育論は立派なものを持っているが一般常識に欠けるのが大学生の常なわけで「陣痛が始まってからだいたいどれくらいで子供が生まれるか知っている?」「2時間くらいっすかね」みたいなやりとりがマジであった。そんな奴が何を偉そうに・・。






と、ここまで書いてみてこのお話の中で1番ズルい人っていうのは誰かというと圧倒的に僕だということに気がついた。うわー自己嫌悪。

上記の話は僕が「経験が浅い学生に腹を立てている思慮深い社会人」という風のポジションに立って展開をしている。「経験がないお前らに言われたくないんだよ!」っていう立場で。

でもそういう僕にもまだ子供は居ない。だから子供を育てた経験が無い大学生に腹を立てる権利は無い。にも関わらず子供を苦労して育てている人たちの立場で大学生を批判している。

イソップ童話で言えばライオンの威を借りるキツネでありドラえもんでいえばジャイアンに便乗してのび太を苛めるスネ夫のポジションを僕は取っているわけです。


この経験していないくせに、さも経験したかのような「エア経験」って何なんだろうか。万年フリーターが学生に「社会の厳しさってのはなあ・・」とか語ったり、童貞が恋愛必勝法(女の落とし方)を語ったり、引きこもりがサッカー日本代表の布陣を本気で批判したり。

自分の経験の乏しさについては常に謙虚でいたいものよ。にんにん。




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