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サマーウォーズ - 2011年08月25日(木)

友人がブログで「狼は生きろ、豚は死ね」とか「鉄を喰え!飢えた狼よ!死んでも豚には喰いつくな!」などと過激な発言を繰り返している。

出典はハードボイルド小説とか尾崎豊の言葉とかなのかしら。しかし僕は8:2で豚サイドの人間だと自覚をしている(太っているとかそういうことではなく精神的な意味)ので、上記の発言には肩身が狭い。

「狼は生きろ、豚もなるべく頑張って生きろ」
「鉄を喰え!飢えた狼よ!豚はなるべく野菜を食べろ!」

というのを自分のモットーとして人生を生きたいと思う。

とか書いていると無神経な鈍感キャラかと思われてしまうので少しだけ神経質な話を。

自分が1人部屋を与えられた小学校5年生の頃の話を書こう。今でもその頃のキラキラギラギラ感は忘れない。同級生の多くは自分の部屋など持っていなかったから鼻高々であった。部屋は与えられてすぐに秘密基地みたいになり、カードダスとかカセットテープとか好きな漫画や小説を棚に並べて大人になった気分を満喫していた。

更に母の持っていたレコードプレイヤーを譲ってもらって、部屋でKUWATABANDやフィンガー5のレコードをカルピスを飲みながら聞くという贅沢をしていた。そういや角川映画の主題歌も聞いていた。「紳士同盟」とか「セーラー服と機関銃」のサントラとか。

1人部屋があるということは父親のいびきにガマンしながら家族と雑魚寝もしなくて済むし、母親がせんべい食って姉が光GENJI聞いている横で宿題をやるような状況も回避できるようになる。だからいざちょっとでも嫌なことがあれば部屋に逃げてしまえるような環境も出来上がったのである。

その頃から他人の干渉がシャットダウンできる環境が当たり前になり、他の人が勝手に部屋に入ってくるとイライラすることも多くなった。部屋にズカズカ入ってこられたり勝手に部屋のモノが移動していると一気に気分を害した。

そして親の側も「子供といえどもプライバシーというのは保障されるべき」という世の中の風潮に理解を示し、僕の部屋というのは一種の聖域みたいになっていったのであった。

大人になってもプライバシーを侵害されると腹が立つことは多い。
家族でも勝手に部屋に入ってこられると気分が悪いし、考え事をしている最中にあれこれ話かけられて中断されると本当に疲れる。つい先日も「自分で掃除するから部屋に入ってくるな」と言っているのにその言葉を無視して勝手に部屋に入って掃除をしはじめた妻と大喧嘩になった。

しかし妙なもので『そういう系統』以外のことで僕が他人に腹を立てることはあまりない。レストランで1時間待たされても(結局注文は忘れ去られていた)、電車の中で気分が悪くなったサラリーマンにゲロを靴につけられても相手に文句を言うことはない。誰にだって過ちがあるのだから感情的になるだけ無駄だ。

僕が感情的になるのはやはり自分の部屋を荒らす無神経な足音についてだけだ。そこさえ尊重してくれれば僕と誰かが喧嘩になることは無い。

・・・と、そこまで書いてみて「プライバシー」ってのはそんなに尊重されるべき聖域なのか?と疑問にも思ってみる。もしやプライバシーというのは現代が勝手に作り上げた儚い幻想なのではないかと。

金払っているのに1時間待たされたりゲロをかけられたりするよりも、勝手に部屋の掃除をされる方が腹が立つというのは感情の動きとしてはいささかバランスが悪い。

例えばちょっと前(100年前)の日本住宅にはプライバシーを守るような空間はない(生田緑地の日本民家園を観にいくと良くわかる)1人部屋なんて暖房効率から色々な点で効率が悪いのだから、その存在自体が許されなかったのだろう。しかし現代人からしてみると親と一緒に暮らしている新婚夫婦や年頃の男子などはエロで悶々として爆発するよなー、と思ってしまう。(実際のところはどうだったんでしょうか?)

少なくともプライバシーを守る感覚っていうのは戦後から生まれたもので日本の歴史の中ではほとんど発見されずにいたことだと思う。無ければ無いで済んでいたことが発見されて言語化されてしまったがために人々の頭から離れなくなってしまったことってよくある。その1つが「プライバシー」って言葉だと思う。

プライバシーって昔は無ければ無いで平気だったのに、今は本棚の少年ジャンプの位置が変わっているだけで大喧嘩とか下手すると殺人事件にまで発展することがある。殺された側の母親はたまったもんじゃない。母親はその子供が生まれてくるときには自分のプライバシーなど全て捨てて朝から晩まで一緒に居て面倒を見たというのに。実際に僕の友人たちも子供が生まれてくる時には赤ちゃんのスペースを作るためにバイオレンス漫画を捨てたり個人的な趣味にしか過ぎないもの(家族の財産にはならないもの)は処分するって話を良く聞く。

僕もプライバシーを尊重して欲しい側の人間であるが、もしや世の中のストレスの多くはこの目に見えない「プライバシー」という名の魔物のせいなのではないか、という気にもなってきた。

あー、この話は長くなるのでまた近々続きを。


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