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2016年06月15日(水) 共産主義の崩壊を目にして

 東ヨーロッパから起こった民主化の波がついにソビエト連邦におよび、ソ連が崩壊した。これによってアメリカ対ソ連、東西の冷戦という時代が終わった。

 思えばこの冷戦は長らく世界の情勢に不思議な均衡と緊張をもたらしていた。

 たとえば、1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻したために、1980年のモスクワオリンピックはアメリカ、韓国、西ドイツ、日本など50カ国がボイコットした。

 それへの対抗ということで、1984年のロサンゼルスオリンピックには、ソ連、東ドイツ、ポーランドなど東側諸国がいっせいにボイコットした。このとき共産主義陣営から参加し、盛んな拍手をあびたのがルーマニアであった。

 しかしそのルーマにはは、チャウシェスク大統領の完全な独裁であったことが明らかになり、チャウシェスクは1989年に処刑された。

 今の若い人々には、なぜ私たちの世代に共産主義への憧れがあったか、なんのために私たちは闘っていたかがわからないであろう。それはすこし説明しておく必要があるだろう。簡単に言えばこういうことである。

 世界は戦争の危機に満ちていた。共産主義国家ができようとすると、資本主義諸国はそれをつぶしにかかった。

 その典型的な例は、チリのアジェンデ政権である。アジェンデは1970年に合法的な選挙で大統領になった。そして共産主義政策を進めた。その一つが企業の国営化だった。国営化されると資本家が儲けることができなくなる。それでチリの資本家はアメリカのCIAと結託し、あらゆる方法でアジェンデの政策を妨害した。アジェンデの経済政策は失敗に終わったとされ、アジェンデは軍事クーデターに敗れて自殺した。

 しかし、私たちは共産主義政策に期待をかけていたのだった。

 資本主義の社会では、資本家が大もうけをし、その下で働く労働者は搾取される。もうけの「おこぼれ」として賃金や福利厚生を恵んでもらったとしても、それは雀の涙である。資本家に力があった日本の高度経済成長時代には、どこの企業も今日でいうブラック企業だった。それが当たり前だった。

 中には公害を出し、死者まで出す企業があった。しかし、そのような企業を批判すると、右翼ヤクザがやってきた。企業のボスとやくざのボス、地元の政界のボスと警察のボスは一つ穴のむじなだった。

 私たちはただ豊かになりかたった。私たちの声を偉い人に聞いて欲しかった。戦争のない世界をつくりたかった。

 それはこの資本主義体制のもとでは無理なのであった。合法的にできることは弱々しい嘆願に過ぎず、それはいつも無視された。

 だから我々は闘った。組合を作り、労働条件の改善を求めて団体交渉をし、ときには罷業(ストライキ)をすることは労働者の権利なのだった。

 だが、組合が強くなりすぎ、労働者福祉を手厚くし過ぎたために衰退した国があると言われていた。イギリスだった。イギリスにサッチャーが現われると、イギリスの労働運動は露骨に弾圧された。

 東欧の情勢やソ連の情勢が徐々に西側に入ってくると、それは官僚機構が巨大に膨れ上がって、すでに合理的に機能していない政体であることがわかってきた。共産主義政権は今やプロレタリアートを露骨に弾圧し始めた。

 私はそのころ映画を見た。地下集会が開かれている・・・心配する母と子にキスをして、労働者である父が集会に出かけていく・・・彼は秘密の通路を通り、ときに地下にもぐって集会所へ急ぐ・・・このような筋の映画があるとき、昔は労働者は共産主義者、彼が怖れている弾圧は資本家による弾圧だった。しかし、冷戦が終わりかけた今はそうではない、彼は資本主義者。彼を弾圧するのは共産主義政権の威を借りた官憲である。

 私は奇妙な倒錯を覚えた。

 私たちの戦いはごくまっとうな気持ち、「みんなが豊かで幸せになるように」、「地上から戦いがなくなるように」、最初はたったこれだけだった。

 共産主義の崩壊は私の心に穴を空けた。今や人生の真の目的はなくなった。

 私は窓もなく、時計もなく、温度と湿度が一定に保たれた実験室にこもり、外界とはひたすれら接触を断って暮らした。h


aqua |MAIL

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