獅々丸の雑記帳
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2007年08月11日(土) 手を下すということ

今日は少し重い話。

俺が好んで読むクルマ乗りがブログで『猫を殺した』と書いたことで、阿呆な
連中から罵詈雑言を浴びせられた。。。らしい。

そんな事態になっちまったのは、こうして世界に垂れ流ししてる環境でもって
格好の餌を蒔いちまったのだから、仕方ないことだと思う。
そうなることを想定してなかったのなら、それは記事書いた彼の落ち度だ。

先に元話を端折って書いておこう。
ある夜、彼が愛車でもって結構なスピードで走っていたとこに仔猫が横断。
彼は急ブレーキで回避したものの、彼を追い越した車がその仔猫を轢いた。
彼が様子を見ると、その仔猫は下半身がない姿でバタバタともがいていた。
で。
彼は見るに見かねてその仔猫を殺した。
らしい。


おそらくね、その行為を肯定というか、賛美する公開ブログ独特のあの何とも
気持ち悪い雰囲気のレスが続いたのが、余計にアンチを引き込んだ、と思える。

まーいーや。
俺はどうとも思わん。肯定も否定もなし。
ただ、『よく出来たなぁ。』と感心はした。
俺なら息の根は止められなかったな。
息を引き取るまで我慢して看取るか、見てられなきゃ来る時のために墓でも堀
り始めただろう。

『殺した』って自戒の意味を込めてだろうが、それはちょと違うように思う。
彼は、仔猫が下半身を失った姿で『生きていた』と書いたが、俺に言わせりゃ、
それは、もう『生きていた』ではなく『死にかけていた』だ。
『後ろ足が両脚ともミンチになった』とかとは違うよ。『下半身がなく、内臓
が出ていた』状態だったのだ。
仮にすぐに獣医に診せられたとしても、結果は変わらん。


『介錯』という言葉がある。
切腹する人間の痛みを和らげるために首を刎ねてやる行為だ。
痛みを和らげると言ったが、扇子腹に至っちゃ、腹を切ってもいないのに首を
刎ねるんだから、ただの斬首と変わりないわな。
誠に残酷。
しかし、それでも俺は介錯に肯定的な考えだ。
そしておそらく俺には出来ない行為だ。

いくらその者が苦しみもがいていようが、それに手を下すことは俺には出来ん。
命が尊いからなぞと奇麗事な理由でなく、単に命を奪う積極的行為が怖いから。
相手が望んでいようが、そうじゃなかろうが、なんて関係ない。
相当な覚悟を持ってなければ出来る行為じゃない。

非人間的所業だの、鬼畜のすることだの言うヤツが居るが、引導を渡すなんて
行為は、複雑な心理・感情構造を持つ『人間』だからこそ出来ることじゃんよ。

彼は具体的にどうしたか、は書いていなかったが、まさか刃物を持っていたと
は思えんし、おそらく窒息させたか、首を折ったんだと思う。

猫好きな男がだよ……相当な想いがそこにはあったんだと想像できる。
その行為への是非は自分の中で永遠に続くだろう。
背負わなくても済んだ『罪』を負ったな……。


外野は黙ってろよ。非難も賛美も。

介錯人の『心』は介錯人が決めればいいことさ。


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