獅々丸の雑記帳
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2006年07月30日(日) 他人に感化されずに自分の主義主張を確立するということ

この雑記は
『2006年07月25日(火)野生動物との共存』
『2006年07月28日(金)スピリチュアルな話とは次元が違う』
から内容的に続いているものです。
掲示板に意見をくださった方へのレスという形で、改めて考えを述べてます。

>それだけ人間の感情というものがオカシクなってきていて、
>それに対する警告、という風にワタシは捕らえましたが・・・

それならば、施設の実名をあげる必要がどこにあったのでしょう?
先の雑記(参照:2006年07月28日(金)スピリチュアルな話とは次元が違う)で
引用された3行を最後に持ってきても、俺にはまるで『自分は感情的に攻撃し
てる訳ではない。こういうことが言いたかったのだ。』とケツまくってるよう
にしか思えなかったです。
逆に最初から実名など挙げずに、『こういう事実があった、なんと惨たらしい
ことか。』とか書かれていたなら、もしかしたらこれほどまでに反感は覚えな
かったと思いますが。
それに、あのくらいのことなぞ昔からいくらでもあったと思います。最近巷で
溢れる『現代の人はオカシイ』と感じられるような事件等とは異質な出来事で
あると思いますよ。
あれは『誰か』を攻撃するための文章だと俺は捕らえました。

>野生動物との共存については謳っていないと思ったけど

あのことに限らず、ああいう話題の根底は本人が意図しようがしまいが、全て
『野生動物との共存』に行き着くと思います。
誰がどういう書き方をしようとも、ああいう文章を世界に発信すれば、誰かが
それを拾い、最終的にはそこに行く着くのではないでしょうか。
逆にもし、あの現実をその瞬間だけ悲しんだり、憂いたり、感情的に騒いだり
するだけなら、それこそ意味ないですよ。

自分はきちんと

・殺してから捨てれば文句言われなかったんかねぇ。
・泣きながら作業してたら文句言われなかったんかねぇ。
・その場だけでも殺さないようにすれば良かったんかねぇ。
・そのままにしておけば本当によかったんかねぇ。

というような内容と、さらに同じように退治されるネズミを例に挙げて提唱し
たつもりです。
あの記事を読んでその時だけの想いでなく、それがどういう原因からこの世の
現実として生まれてくることになったのか。
そこに自身は『野生に対する加害者』として存在していないのか、をもう一度
考えてみてはどうですか?と。
俺は自分の存在を社会の……分かり易く言うと経済を推進してる人間の一味と
して考え、根はかなり深いものだと思います。

そして自分の考えは『野生動物との共存は無理。』に行き着くのです。
殺生の仕方とか、感性の問題なんかじゃないですよ。そんな話で終わるのなら
ば、消された命の持ち主だった存在は、『そんなのお前らの自己満足だ!どん
な殺され方をしようが、ボクは納得できないぞ!』と啼くに決まってます。


本当を言うと、あんな内容の記事をネットにあげて何の意味があるの?って俺
はいつもああいう類の内容を読むと、そう思います。
ああいう事実は世の中にいくらでもあるけど、知ってる人は知ってるし、知ら
ない人はあえて知らなくても良いと思ってるんですよ。
『動かなくては』と考える人は、例え微力であろうとも動いているし、俺のよ
うに目も耳も塞いで現実を知りつつも何もしない人もいます。

ねぇねぇ、あそこの人ったら、この間こーんな酷いことしてたのよ。
まー、酷い。
嫌ぁねぇ。
ネット上やその界隈で一方的にヒソヒソ言ってるのなら、それは井戸端です。
そして、多くの場合、争いの素ともなり易いでしょう。
さらに、その多くが一過性のものであり、人の心に何も残らなかったりするの
が世の常だったりするように思うのです。

『んじゃ一体酷い人は誰なのよ?』そう思いませんか?

確かに今回は惨い殺し方をしました。
しかし、次回も同じ処理の仕方を企業が選ぶ可能性は大いにあると思う。
その時に、せめて殺してからの廃棄が出来るよう、今回あの記事に憤った方達
からの資金援助でもあればいいですね。(これは皮肉的表現です。)
俺はなにもしませんけど。

『この国の人間社会において、野生動物との共存は無理。』です。


ご意見ある方は、引き続き掲示板へどうぞ。


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