過去日記倉庫(仮名)
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フリフリおれ的わたし的ベスト2007はこちらより


2008年04月04日(金) 月蝕書簡

疲労というか不調期間突入。映画見れてないなあ…見たいけどこういう時期に見てももったいないというのがある。ぼーっとしてると終わっちゃうのにな。

日記を書いてるとよく猫が寄ってくるんだけど、猫ののみよけ首輪が生姜くさくて、膝に乗ると気になってしょうがない。私は好きな匂いだけど、猫は気にならないのだろうか。これでのみよけになってるのかなー。

先週本屋に行ったら寺山修司の未公開歌集月蝕書簡が出ておりました。高校生の頃よく歌集を読んだなあ。なんかもうクールでゴシックでエキゾチックで(笑)かっこよかったんだよね。その完成度があまりにも高かったので今さらいいのあるかなあと思いながら開いてみると、やっぱり寺山修司自身が早い時期に自己模倣をおそれて作歌をやめていることがわかった。

そのことを書いたエッセイがまたかっこよくてしびれました。ここばっかり熟読。この数ページのために1900円払っちゃいそうだ。ブックナビの書評に引用されているけど、五を消し七を消し一首を消し続けてゆくことで、自分はすっかり健康を取り戻した(笑)、みたいな自嘲的な書き方がおもしろかった。

歌集本編はぱらぱらめくる程度でちゃんと読んでないんだけど、検索していろいろ感想や書評を読んでいる中で引用されて好きな作品は 剝製の鷹抱きこもる沈黙は飛ばざるものの羽音きくため というもの。また履歴書に蝶という字を入れたくてまたうそを書く失業の叔父みたいな(笑)あざとく嘘くさいのはやっぱり好きですね。なんだこれって感じでしょう。映画っぽい。こういうの好きなんだよなあ。

また非常に魅力的だったのが、いろいろ作った作品を短冊上に切り取ってノートに貼付けて整理したものとか、作成メモみたいなのを撮った写真。思い浮かんだフレーズを断片的に書いてある所から寺山修司の短歌の世界で(当たり前だけど)、最初の思いつきから違うんだなあと思った。そして歌集を多く出しているという青磁社のページで、具体的に同じテーマで歌われた作品を並べて模索の跡をうかがっている感想があるんだけどなるほどなーと思いました。(この後の物語消費論に持って行く所はよくわからなかったけど…)

映画のカット編集みたいに、同じような言葉でも並べ方によって少しずつ印象が違ってくるんですよね。こういう方法はいろいろ研究されているんだろうなあ。同じモチーフをどう使い続けるかとか。それを思うと短歌は短いようで長いようで、難しそうだ。寺山修司が俳句より短歌を先にやめてしまったのはそういうことがあるのだろうかと思いました。


aya_nkym |diaryJazz Boxantenna

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