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フリフリおれ的わたし的ベスト2007はこちらより


2005年09月04日(日) 大野一雄 魂の糧 / 即興演奏 /コンタクト・インプロヴィゼーション

沖縄台風来るんでしょうか。海は荒れ始めてるけどサーファーがここぞとばかりに集っていたり、のんびりしたものです。でも入社以来の休日出勤なんだよねー。それはぜんぜん大丈夫で、ニューオリンズの台風のニュースを呆然としながら見る今日この頃です。

スープ皿と呼ばれる地形に、軍事予算のしわよせで治水工事もままならないという状況。車を持っていない人たちが閉じ込められてしまうという話を聞いて、米国でもNYや大都会ならいざ知らず車を持ってない人たちがいるんだと驚く。自分達を助けろと銃で主張しなければならないなんて、どんな場所なんだいったい。

私の大好きなニューオリンズファンクのドラマーのシガブー・モデリステさんはだいぶ前からLA在住ときいているので大丈夫なんだろう…ミュージシャンでも避難できた方とそうでない方が分かれてしまうというのはつらい。たぶん山岸潤史さんとかは大丈夫なんだろう。ファッツ・ドミノは安否確認がとれた。アーマ・トーマスはまだわからない…ああ、アール・パーマーは、ワイルド・マグノリアスの人たちはどうしてるんだろう。


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大野一雄 魂の糧を読んだ。大野一雄さんの写真とご子息の舞踊家・大野慶人さんのコメント集です。舞踊家の著作は何冊もあって、土方巽などの踊り手自身の文章というのも非常に興味深いものなのですが、こちらは家族そして同業者とはいえ、大野さんご自身ではない方が語る大野一雄というのがとてもおもしろかったです。最初の一冊にするのは反則かもしれませんが、大野さんという方のことがわかってよかったです。

特に代表作のラ・アルヘンチーナ頌の解説が載っているのがよかったですね。これもご本人が語るとまた違うのでしょうが…慶人さんは舞踏の起原的作品と言われる禁色の舞台で土方巽と共演しており、先日専門誌で記録の残っていないその作品を言葉で再現する(!)ということをしてらっしゃった。証言者、アーカイビストとしてもなくてはならない方なのだろうと思う。

印象に残った部分をいくつか。この本は大野一雄の踊りを体のパーツや動きの特徴、またモチーフに焦点を当てて語っています。ここでおもしろかったのは大野さんは踊りの作品をつくる時にまずノートに言葉でイメージを掘り下げる作業を行うのだそうです。実際に創作メモの写真もあって、軽くプロットを組み立てている感じです。イメージを表す言葉とそれをつなぐ矢印の動きが興味深い。踊りの人はこうやってつくってるのだろうか?

前半の部分は踊りの専門的な要素があって、踊らない自分にはよくわからなくてふ〜〜〜んと読むだけだったのですが、後半の大野さんのとりあげたモチーフや、それの生まれた経歴が語られた所がとてもおもしろかったです。たとえば大野一雄さんというと「私のお母さん」、白塗り・女装で踊っている方というイメージなんですが、これは大野さんの踊るということの根源が女性のイメージにあるということであると。ドレスで踊る時とタキシードで踊る時の動きは当然ながら違うのだろうけど、タキシード(男装?)で踊る時には死のイメージが立ち上がってくる、というのがおもしろかった。

女に変身するというよりも、命の根源にさかのぼりたい、自分の踊りを愛するものに捧げたいということ。対極の向こう側にとびこえるダイナミズムということなのだろうか。私が命のイメージを思い浮かべる時は、産まれた子どもそのもので、それもやっぱり男の子だったりするので自分の違いを感じておもしろく思う。そういうものだろうか。自分は踊り手ではないのでどう表現するのかとかはわからないけど、作品としてひかれるものというとそういうのが多い。

また最も印象的だった部分は、大野一雄の舞台の上の愛ややさしさは特別なものであって、日常の中には無いものなんだっていう所だろうか。家族である慶人さんのひとつの謎でありつつ、芸術家としてはわかる所もあるというのがおもしろかったです。これは踊りに限らず芸術家には珍しくないことだろうなと思う。むしろ特徴というか、日常で何の疑問も無く愛ややさしさに満たされていれば(でもそういう人ってほとんどいないか…)そもそも何かつくりたいって思わないだろうし。

特にダンスや音楽といった、絵画や工芸品といったものとして残らないもの、その時限りで消えてしまうものをつくろうという、創作というより蕩尽と呼ぶ方が似つかわしい行為の動機には、圧倒的な(何かの)欠落、不在とそれへ渇望が存在する、と思う。特に即興というのは永遠に失ったものを取り戻す、とか終わったことを繰り返す方法なのではないかと思う。それは惰性ではなくて(惰性というほど簡単だったらどんなにいいだろう)不可能であることをくつがえす挑戦なのであって。未知、未来へ向かう行為は過去、縛りの世界からトランスすることなのだろうと、書いてしまうと当たり前でしかないなあ…でもそのダイナミズムを自分の中で感じてみる。その動きの中に自分があるのだろうから。

死なないですむのが即興演奏だ(多田雅範さん)と言う聴き手と演奏者の間はそんなに遠くはないんだろう。そういう日常生活とは異次元の空間とか約束ごとに託す気持ちっていうのは何なんだろうなと思うけど。そこでなら思うままに死に、失うことができるということなのだろうか。その望み。それにしてもこの蟹座的表現にしびれる。自分も蟹座なので。

ここからは付け足しのメモ。この本を買った桜坂劇場の本棚にもう一冊ダンスの本があって、どっちを買うか迷った。コンタクト・インプロヴィゼーションという本で、私はまだ作品としてみたことはないのですが、デュオやグループでお互いの力を借りて踊るというものらしいです。時代的に社会的な意味合いを持っているもののようですが、バレエなどの既成のダンスを見直してオルタナティブなものをつくろうという所に興味があります。あと技術的に、重力に対抗するのではなく利用するといった考え方とかおもしろいと思います。

でその分野の最前線を報じる著作が出ているというのを知って、メモとして貼っておきます。(いとうせいこうさんの先見日記)これは先日買ったDDDというダンス雑誌にも載っていたのですが、ダンスと武道の出会いということで、アイデアとしてはそんなに目新しいものではないんだろうけど、実際の現場の様子が見てみたいと思った。本屋で見るのが楽しみだ。


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