蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 きみの笑顔を見せて

二月になった。寒々しさはそのままだ。梅の花に霜が降りている景色は、風情はあるが、低気温を告げるエッセンスにしかならない。
「なんちゅう顔してんの、綺麗な顔が台無しだって」
「台無しで結構」
「おれ、すっごく好みの顔なんだけどなあ」
「おまえ、正気なのか」
瀬名は手元の単行本に視線を落としたまま、顔を上げない。
畳の上で高崎は寝そべり、瀬名は教授が譲ってくれたアンティークソファに緩く腰を掛けている。そのふたりのくだらないやり取りを無視して、さくらはお茶を点てている。
「あれ、いつからウチって茶道部になった? 茶道部って既にあったよな?」
目ざとく高崎が起き上がる。彼は目が良い。否、あちこちが気になって仕方のない性分なのだ。
「だって先生が茶釜くれたんだもの」
「は」
「他も色々、茶筅とか、茶杓とか、茶巾とか」
「茶ばっかつく」
「お茶だからねえ」さくらは柄杓で茶碗にお湯を注ぎながら、けらけらと笑った。
いつもはゆる巻きにしている明るい色の髪を、今日は高い位置にまとめている。
「さくらお前クビほっそいねー」
日に焼けない細いうなじが、きれいだと高崎が騒ぐ。「高崎くん、きれいなものに目ざといんだねえ」さくらは感心したように言った。
「そう、だから俺は瀬名もさくらも大好きよ」
「わたしも」
さくらが小さく言う。高崎はそれは自分にではないだろうと、本音を胸に押し込んで、缶コーヒーをぐびりと飲んだ。瀬名は聞いてるのかいないのか、顔を上げもしない。
はあ、仕方ねえなあ。寝転んでいた体を起こして、高崎が「恭ちゃん」と呼び、少し遅れて瀬名が
「…んー?」と返した。
さくらは茶筅で丁寧に茶を点てている。唇の端は上がっている。さくらはいつも笑顔だ。
「恭ちゃんも、さくら可愛いと思うよな?」
ぴたり、と手が止まったのは、さくらだった。
「は?」瀬名が顔を上げた。さらりとした黒髪が、少し目元を隠す様も、絵になっている、と高崎は思った。
「さくらが?」「そう」瀬名がさくらを振り返る。さくらは振り返れない。
「うん、さくらは可愛いと思う」
「どこが可愛いと思う?」
「全部?」
瀬名が何でもないことのように言った。本を閉じ、ソファの背もたれに片腕の乗せて、さくらを見る。さくらは、瀬名のほうを振り返らない。
「さくらは、顔も可愛い。性格も可愛い。全部可愛いと思ってるよ、僕は」
「って、おいおい、待て待て、きょーちゃんストップ!」
高崎が焦った声で、立ち上がる。なんだ、どうした、いつものシニカルな瀬名恭二らしくない。どこでどう、スイッチが入った。しかも。
「俺いんの、
わかってる?」
「当たり前だ。高崎が聞いたんだろ」背もたれに乗せた腕に、瀬名はゆっくりと顎を乗せる。そうして振り返らないさくらの背中を見つめた。
「さくらは、」
瀬名がまた口を開いた瞬間、高崎は部室の外に飛び出した。恭二は良い。あいつは思ったことを何でも言うし、言われても大して堪えない。だから、構わない。だが、さくらは違う。
高崎はああいう言葉を冗談なんかにして、さくらを無理に一喜一憂させたくはなかった。
「なーにやってんの、高崎」
「おわ、裸足で。おまえ、オーガニックの道極め過ぎて、とうとう」
扉を出たところで、ちょうど入ろうとした梓と新に鉢合わせになる。扉を開けた勢いがよほどすごかったらしく、2人はいつもみたいに、高崎に絡むことなく素直に驚いていた。
「あほか」高崎は吐き捨てる。
そっと中に目線をやって、わざとらしく音を立てて扉を閉めた。
「恭ちゃんが…」
「恭二がどうしたよ」
おしゃべりな高崎には珍しく、「えっとな、えっと」口籠る。
「どーしたん? おまえ、二日酔い? 寝る?」
「だから違うっての。恭二が…恭二に変なスイッチ入った」
「は?」
意味を計りかねた、梓と新の声が重なる。
「なんだそれ。キレさせたんか?」
「そんなわけあるか」
「だめだぞ、どうせ高崎が悪いんだから謝れ。顔面偏差値考えろ」
「どさくさに紛れて悪口言うな」
そうじゃなくて、と高崎がまだ何か言いかけてる梓の口を手で抑えて、息を吐いた。
「違う、さくらをべた褒めしてる」
「なんだそれ」
「俺も知らん。さくらは顔も性格も可愛いって」
「さくらは可愛いだろ」手のひらの下で、梓が言った。
「や、だから」
おまえもか。扉を背にして、立ち尽くす高崎に梓が「んー、でも恭二って正直だから」
いつのまにか、手は外れていた。
「だから?」
「可愛い子に可愛いって言うだろ、それは」
「何で今なんだよ」
梓は器用に片眉をあげて、高崎を見る。「なんだその馬鹿にした顔」「したんだよ、ばか」「てめ、」「いいだろ、なんでも。恭二が褒めたらさくら喜ぶだろ。それでいいんだよ」
く、と高崎が唇を結ぶ。どいつもこいつも、さくらには甘い。5人のヒエラルキーを、高崎はあえて考えたことがなかったが、さくらにたいしての全員の過保護具合はもはや病的だ。
しばらく、3人は黙った。中の声は聞こえない。
新が腕時計に視線をやった。
「カフェ行く?」
「行く。甘いもの食べたい」
「おい、待て。俺、裸足」
「そこらへんにあるスリッパ履いとけよ」
「この棟にカフェないだろ、外何度だと…」
「あーあー、うるさい、スリッパ履きなって」
「あず、声でかい」
新が梓を静止したのとほぼ同時に、高崎が背にした扉が、かち、と開く。そっと、さくらが顔を覗かせた。
さぞ上気した顔をしているだろうと、高崎が振り返った先には、ひんやりした表情のさくらがいた。
「さく、」
「気を遣ってくれて、そこは嬉しいよ。
でも一言一句聞こえてて恥ずかしいから、中入ってくれない?」といつものさくらからは考えられないくらい冷ややかな視線を向ける。
怒られてしゅんとしてしまった高崎と梓の代わりに、「きょうじー俺もどっか褒めて」新がずかずかと部室に入って行った。
「新の美点はそのシンプルな精神構造だよ」
高崎が出て行く前の同じ体勢で、瀬名は閉じた単行本の表紙をとんとんと指で叩いた。


2026年02月01日(日)
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