蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 土曜の夜は「黒」

土曜の夜は「白」の伊聡視点。


呼ばれて顔を上げれば、明かりを背にした愛夏が頬を上気させていた。
黒目がちの大きな瞳がたっぷりとした水気を帯びて、困惑したように揺れる。
そんな表情に内心そっと舌を出して、わからない振りを装ってもう少し近付いて。

つんとして澄ました顔は今は鳴りを潜めて、快感に流される寸前、のような濡れた唇が目に止まる。
軽く舌なめずりしてから、ゆっくりと起き上がり口付ければ甘い声があがった。

「い、さと」
「しー…」

繰り返し俺を呼ぶ唇に自分のを押し付けて塞いで、テレビの電源を手にしたリモコンで落とした。
俺達以外誰もいない家は、いつも以上に静かで冷たい空気を感じさせる。

両親が健在にも関わらず、この家に家族が揃う事なんてほとんど無い。
年に数回、どちらかと顔を合わせる事があるにはあるけど。
ああいうのをカウントすると、家族か他人かの線引きが微妙だ。

手に余るほどの自由と、俺しかいないこの家。
人からは羨ましがられるくらい自由だったけど、あまりにも周りが目まぐるしいから、誰が誰かなんて認識するのも一苦労で、その内そんな努力もしなくなった。

でも、そんな努力をしなくなっても、誰も俺を責めないし。
適当に懐いていれば、偉いね、賢いねって言ってくれるからそれでいいんだって解釈して。
高校に入ったら入ったで、尚更口出す人間なんていなくなってその部分は増長していく一方だった。

金で雇われた全くの他人に世話されて育って、年が変わる毎に出入りする人間も変わってその度に名札でも付けてくれりゃ楽なのに、なんて考えて。

そうやって色々な人間が俺の周りで入れ代わり立ち代わりして行く中、変わらないのは気付けば愛夏だけ。
そりゃ頼めば傍にいてくれる子もいたりする。でも、その場限りの女の子を覚えるのは、ガキの時に放棄した努力のせいで困難なことだったし、楽しいけど『居心地が良い』かと聞かれればそうでもなくて。

愛夏は俺より勝手なところも沢山あるけど、ずっと傍にいた分、心地良さのほうがウェイトが高かったし。

だから、昔から『特別』な存在だったのは自覚してた。自覚してたんだけど、『そういう』特別かどうかまでは認識していなかった俺は、愛夏に「好き」と言われて初めて「俺もそうなのかも」って考えた。

実際好きかどうかなんて、正直自分自身でよくわかってなかったりはするけど――未だに愛夏からも適当な奴と言われたりする――それでも、愛夏が俺を好きだって思うなら、俺も愛夏が好きなんだと思う。
一緒に過ごす度に思ってた『居心地の良さ』を恋愛感情に置き換えて考えても、何の違和感もなかったし。

収まるべき場所に、すとん、と落ちたような自然な感覚はきっと誰にもわからないだろうけど、俺がわかってるからそれでいい。
いいから、誰にも言わない。
勿論、今キスしてる目の前の幼馴染にも。

唇を離して、ちらりと時計を見れば八時ちょうど。
あぁこれで、三十五分のオーバー。
せっかく今日一日言わないでいたのに、これじゃ全然意味が無い。
記憶力は悪いほうじゃないと思うだけど、愛夏の傍はやたらと眠くなるんだ。
昨日でも明日でも意味が無いってのに。

「…また考え事してる」
「ぁ? してないって」
「してるよ。いいよ、約束あったんなら行ってもさ」

つんと拗ねた小さくて赤い唇が、小憎らしいことを言ってくれて。
脱ぎ散らかして少し皺になった制服に袖を通して、また俺を見るものだから。

「ちょい、待って」

細い手首を強めに握れば、振り返る愛夏の目は僅かに揺れて。
その目の中の感情は、きっと俺のものだと思うから。

「誕生日、オメデトウ」

零時ぴったりなんて、俺らには当たり前過ぎるし。
だから。たまには生まれた時間に言うのもアリかなあ、なんて思ったんだけど。

「…。ん、ありがと」

ふわりと綻ぶ愛夏の顔を見れば、来年こそは眠ってしまわないようにしよう、と決めた。

【END】

2008年10月06日(月)
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