蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 土曜の夜は「白」

眺めてるテレビから流れる笑い声。
どこが笑いどころなのかわからないまま、番組は後半に差し掛かって。
チャンネルを変えようかどうしようか、と悩んだけれどそのままにしておいた。
このバラエティいつもは面白くて好きなんだけど、今日はちっとも面白くないのは一人だからかな。

ちょっと、寒い。
素肌にかかったシーツを引き寄せれば、眠っていた伊聡がもぞりと身じろぎする。
それから、驚いたように目を開けた。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「…あ? いや、俺、寝てた?」

寝起き特有の少し掠れた声音が、あたしに向けられる。

「うん」
「どれくらい?」
「一時間、くらいかなあ」
「マジで? うぁ、最悪」

小さく軋むベッドの上。
ぼんやりとした眼差しで、あたしに寄りかかってくる頭から髪が滑り落ちる。
あたしとは違うシャンプーの匂い。
何使ってたっけ、この間変えたって言ってたような気もするけど、わりと好きな匂い。夏の終わり、みたいな。

後で入った時にでも確認しよう、と考えて寄りかかってきた身体を、押し退けるように腕を突っ張る。
機嫌が下降した時に、すぐに人を支えにしようとする癖は、いい加減やめてほしい。

「重いってば。何、どうしたの、用事でもあったとか」
「んー…」

土曜の時間割をこなし帰る間際に会った友達と少し話してから、あたしはそのまま伊聡の家へと直行して。
少し遅れて帰って来た伊聡にいいようにされてから、まどろむようにして今まで過ごしていたのが、さっきまでの事。
昔あたしが持って来てそのままになっているアナログの時計が、ぴたりと八時十五分前を指している。
後十五分で、テレビを騒がしている番組も終わるのか、なんてどうでもいい事を考えた。

「まぁいいや、別に」

あたしに寄りかかって保っていた姿勢が、ずるずると下へ降りていく。
誰かと約束してたんだろうか。
勝手に来られて迷惑とか、思われてたりして、本当は。

さらさらとした黒い髪が太腿に触れ、気持ち良さと擽ったさと。
妙な逡巡が綯交ぜになって。

「用が、あったの?」

聞いても、言わないだろうけど。

「別にー」

ほらね。
子供みたいに目を擦り、眩しいのか何度も瞬きをする伊聡の目を覗き込めば、少しだけ笑い返されて。
ほんの少し目元が優しくなったその表情に、まあいっか、とか思ってしまう辺り、自分でも驚くくらいこいつの事が好きらしい。

「って、何してんの?」
「膝枕。愛夏の足って、気持ちいーよな」

そのまま、腿を撫でる掌が擽ったくて身を捩る。
何かこう、胸の奥がきゅうっとするような、こそばゆいような、今まで感じた事のないような感覚。
伊聡を好きって理解してから、あたしは自分の気持ちに面白いくらい鈍感だったんだって思い知らされた。

自分自身が知らなかっただけで、結局あたしは伊聡と一緒にいる事をいつも選んでた。
さっきシてる時だって、そんな事を考え出したらちっとも集中出来なくて伊聡に笑われたのは、最近ずっと感じてるこの妙な高揚感がよくわからないからだ。
気持ち良くない?
首元に顔を埋めて聞かれた台詞は、否定したけど。
いいけど、いいんだけど、何ていうか。

この空気に慣れない。

自分の部屋よりも居心地が良かった筈なのに、どうしてこんな緊張感と高揚感を感じなければいけないんだか。
だから、変に――。

「愛夏」
「…ぁ、なに」

だからすぐに反応出来ないのも、変な返事になっちゃうのも、仕方がない事だと思う。
そう。こうやって太腿にかかる吐息、一つにしても。
横目で下から見上げてくる視線一つにしても。
何ていうか。
やけに情欲に満ちて艶めいて見えるのは、今までと同じなんだけど。そうじゃなくて。
何ていうか。

見た目もそうだけれど、伊聡は『そういう』雰囲気が物凄くあって。
でもそれは今までだって同じで、あたしが慣れないと焦るような事じゃないから、そういう意味じゃなくて。

問題は、その中に混じる今までにはない、柔らかさの混じる視線があたしをいつも困らせる。
見てもいないテレビの画面に視線を固定して、どうしても下に向かう意識を無理矢理そっちに集中しようとしては失敗して。
半ば諦めて仕方なく自身の心理分析に戻ろうとした時、脚を生温かい物が這った。

「…ひ…ゃっ」
「さっきからさー。愛夏、ぼーっとしすぎ。つまんない?」
「――なくない…っ」

小さく叫ぶようにして下を向けば、シーツを捲り上げて腿に舌を這わす伊聡がいて。
薄く笑ってわざとらしく出された舌は、赤く濡れていて、信じられないくらい扇情的だった。
―…見なきゃ良かった…っ、後悔しても遅いくらい、慣れた身体は喜んで反応を返すだけ。

思わず立てた両膝を抱えられてしまえば、あたしにはもうどうする事も出来なかった。
跳ねる脚を押さえつけて、腿の内側を舐め上げられる、という感覚さえ視線を天井に向けていても、わかりすぎるくらいわかって。

あぁ、こうやって今夜もあたしは流されちゃうんだなあ、なんて半ば諦めにも期待にも似た妙な感情を今夜も持て余しつつ。

「伊聡、」と、呼んだ。

【END】


2008年10月02日(木)
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