蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 無題3-5

軽い足音がだんだんと遠ざかり、しばらくして玄関の扉が開閉する音がしたのを最後に、無音になる。

ハルちゃんがいなくなって、急に心細く感じた。

ハルちゃんはシュウスケ達のお兄ちゃんだけれど、あたしにとっても充分お兄ちゃんで、もしかしたらそれ以上に依存しているのかもしれない、と今更のように思った。

そのハルちゃんがいないことで、急に居心地が悪くなる。

何もしなくていいと言われたけれど、そんなわけにはいかない。かたん、と椅子を後ろに下げて立ち上がり、空になったお椀を手にしてシンクへと運んだ。

「置いとけ」

シュウスケが立ち上がる。

それだけで体がぴくんと跳ねた。緊張、し過ぎだ。そんなことをしたら、余計に気まずくなるのに。わかってるのに。そう頭は理解していても、声が喉に引っ掛かってすぐに出てこない。

「でも、悪いし」

「…俺が洗うから、いい。お前に任してたら割れそうだし」

スポンジを手にしたあたしの後ろから、手が伸ばされる。

長い腕は手にしたスポンジをあっさりと取り上げて、ついでのように隣に押しのけられた。

その動作が自然で、固まっていた体は釣られたように、動くようになったと同時に軽く睨んで見上げる。

「そんな不器用じゃないもん」

「不器用とは言ってない」

「どー違うのかわかんないよ」

小さく呟いたせいか、返事はない。あたしもそれ以上何も言わずに、シンクの中に視線を落とす。

お皿を洗う水と、陶器の重なる音。
下を向いたまま黙々と洗う、シュウスケの横顔。

「あたし、」

どれくらい時間が経ったのか、綺麗に洗い上げられた最後の食器が、かちゃん、と水切りラックの音を立てた。

「あたしね、」

気が付けば、シュウスケの袖を引いて。
その次に言う言葉なんて、考えてもいなかった。
ただ、その横顔を見ていたら、そうしていた。

「なんだよ」

濡れた手を気にしてか、袖を引くあたしを気にしてか、僅かに引き戻される腕。

「――あたし」

白っぽい照明が、眩しい。
頬に落ちる睫毛の影さえ、心を捉える。

ああ、やっぱり。あたしって、単純だ。

「…シュウスケのこと、好きだよ」

そう言ってから、もう一度やっぱり単純だ、と笑いたくなった。



2008年03月14日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加