蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 無題(5)

「今日って多いよな、人」
「そんなに出るの?」
「出るんじゃねえの」

人の間を擦り抜け、言っていた集合場所にはすぐに着くことが出来た。正面玄関からは見えないが、裏口から入ればすぐにあるスペースだった。楽器ケースを持った、同級生や後輩たちが数人談笑している。

「一年と二年だけだよね?」

うちの高校はどの部も夏を最後に、三年が抜ける。だから一番中途半端な時期にある大会なのだ、と前に聞いた。

「いや、何人かは来てる。まあ、出るわけじゃないけどな」

手元に缶ジュースが手渡される。しばらくして、ミーティングが始まり、後ろに下がった。ふと見れば、輪の端っこのほうに、ナミコ先輩の姿を見つけ慌てて目を逸らした。あの別れ話を聞いてから、あたしはナミコ先輩と話したことがない。避けることもなく、夏の大会を終えた時期と重なり、会うこと自体がなくなった。今までだってそんなに親しくしてたわけじゃないけれど、廊下で擦れ違った時のことを思えば、会わずに済んでほっとしていたのが本音だった。

たった一度の関係。

シュウスケは何も言わなかった。あたしも、何も聞かなかった。だから何も始まることもなかったし、進んでいくこともなかった。
あの日のことはまるでなかったみたいに、あたし達の仲は今まで通りで[幼馴染で同級生]の位置から少しもずれることなく秋になった。
辛いとか思う前に、シュウスケとナミコ先輩は終わってしまっている。
でもこうやって先輩の姿を間近で見ると、やけに緊張して強張ってしまう自分がいた。

「そろそろ行くから」
「あ、うん」

ミーティングを終えたらしいシュウスケが、背中を押す。片手にはクラリネットのケース。もう片手が、あたしの背に触れたままだというだけで、どきどきする。長く細い指が、ずっとあたしに触れていればいいのに、と思った。

「俺らはこっち行くから、お前はそこの階段上って好きなところから見てろよ」
「え、何番目?」
「正面玄関から入ってきたくせに、プログラムも取ってねえのかよ」
「だって、人多かったし…そんなのあるの気付かなかったんだもん」
「お前な」

少しくしゃくしゃになったプログラムを黙って手渡され、シュウスケが背中から手を離した。

「ありがと。終わったら、一緒に帰れる?」
「うん」
「どこで待ってたらいーの」
「さっきの集合場所」

愛想の欠片もない返事。それでも一緒にいれるなら嬉しい。頑張ってね、と手を振ろうとした時、背後から割って入る声がした。

「シュウくん」

落ち着いた、アルトの声。とくん、と心臓が跳ねた。ナミコ、先輩。

「今日、頑張ってね」

綺麗な顔立ちに淡く笑みを浮かべて、先輩は立っていた。それから先輩はシュウスケの返事を聞こうともせず、「じゃあね」と先に客席へと行ってしまった。

「シュウ……」

何か、言ってほしいと思った。そんな場合じゃないのは、充分わかっていたけど。

「――じゃ、また後でな」

でもシュウスケは余計なことはなにも言わず、立ち止まってしまったあたしを置いていくように、さっさと背を向けて控え室のあるほうへと歩いていく。
その後姿をぼんやりと見送ってから、差し入れを渡すのを忘れたことに気付いた。

2007年12月10日(月)
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