舌の色はピンク
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| 2022年04月04日(月) |
朝からいらいら、ベビーカー話し合い、自由と責任と運命 |
寒い。雨。部屋の中がくらい。 Eテレの朝は今日から新編成となるのか、 見慣れない企画をしていた。絵を描いていた。
弁当は電子レンジのシュウマイと、 醤油みりんめんつゆをひと煮立ちさせて野菜あげを浸したもの。 早く換気扇復活してほしい。 月曜なのにゴミ箱がすかすか。 通常なら週末にわんさか溜まるはずの生ゴミが出ていないから。 まぁ楽だけども。
炊飯器の電源が昨晩からつけっぱなしになっていた。 というのも、この炊飯器は洒落ぶって、 操作ボタンがすべてタッチパネルになっている。 でこのタッチパネル、度々反応しない。 指に付着した水気や静電気などの問題ではなく、 何をどうしてもダメなときはダメ。 調べても同じ悩みを持つ購入者は少なくないようだ。 メーカーも仕様だとして開き直っている。 タッチパネルをやめろよ…。 物理ボタンならオンオフすら効かないってことはまずない。 タッチパネル式はちょっとした不具合が致命的にダメで、 商品として売り出せる品質に達していない。 とてもとても苛立たしい。 それこそ物理的に電源ケーブルを引っこ抜けば動作は当然止まる。 だがもう一度差すと、あろうことか保温モードになるよう記憶している。 それを解除できない。 ただ何時間か待てばこのアホパネルも反応することはわかっている。 だから昨日は苛立ちながらいったん放っておいたのだが、 そのまんま朝を迎えてしまったわけだ。 うーん間抜けだねえ、で済むかアホボケカス。 なんでこっちが反省しなきゃならんのだ。 と思ってひたすらむかむかした。
むかむかといえばこの前買ったバターケース。 こいつは密閉することだけが役割なのに それが果たされていない。 蓋がすぐに開く。なんだこいつ。 じゃあタッパー…ジップロックでいいだろ…て話だ。 こいつ…こいつは本当になんなんだろう。 ケース、っていうならまだわかる。 ケースではある。 それでも蓋は閉まっていてほしいが、 密閉度が高くなくともケースはケースだ。 でもお前はバターケースなので…。 憤懣やるかたない。
そうして家を出てみても外は冷たい雨だし イヤホンは断線。 朝から苛立ちがやまない。 九段下に着いてからコンビニに寄りゃあレジが混んでいる。 モップがけをしていた店員が随分遅れてレジカウンターに加わろうとする。 しかし客の列に阻まれて進めない。なんだこの店。 いやに時間を食って店を出ると9時27分。 大通り一本挟んで会社は目の前とはいえ遅刻しかねない。 しかも信号が変わらない。長い。 そういえばこの通りはストレスフルなんだった。長い。 ようやく信号が切り替わりビルへと駆け込む。 雨で足元が濡れる。 遅刻はしなかったが気分が悪い。 ものすごく悪い。
あとキーケースが見つからない。 家にないのだから ウッカリ会社に置き去りにしてきてしまったものかと思われきや まったく見つからない。 しかし家のどこかにある可能性が高まったともいえる。 コレに関しては自分のせいだししっかり省みよう。 焦らない焦らない。
夕飯はレトルトカレー。 煙が出ないから。 早く並の料理がしたい…。
妻はトライアングルストラテジーが最終局面とのことで 随分と込み入ったラストバトルに苦戦していた。 さきほどお義母さんと電話したらしく、 何を買ってもらおうか、 とりあえず来々週末に一緒に百貨店に繰り出す予定を立てたとのこと。
その流れもあって、ベビーカーについての話し合いをした。 使いやすさを重視する妻に対して、僕は安全面の追求を論じた。 ベビーカーを使う時点でリスクがある。 この世に自動車というものがなければいいが、あるので、 ガードレールのない歩道にはキケンがつきまとう。 あらゆる道具は身体を延長させる。 スポーツをしている、してきた人間にとって、 身体感覚の延長は馴染みがある。 しかし僕ら夫婦のような人間には、この認識は難しい。 ましてや妻は体力の無さに加えて機転がきかず、 そういう手合が赤ん坊を乗せた大型のベビーカーを 車の走るすぐ横でどれだけ安全に操れるものか、疑わしいのだ。 こちらに自責が問われずとも大小の事故は起こりうる。 これが、赤子が1歳や1歳半ともなれば 段々と日常的な危険性も減ってくるものだが、 半年やそこらでベビーカーに乗せて 外へ引っ張り出す機会は、僕は避けたい。 日常的な散歩なら抱っこひもで十分なのだ、 用途をシミュレーションしてみれば 産まれた当初からベビーカーがなくともいいだろう、 と長々論じた。 安全性重視については呑み込んでくれたようだが、 じゃあ取り回しし易いベビーカーにするね、 と話をまとめているあたり、論旨の勘所はつかめていないようだった。
アルベール・カミュは随分な自動車嫌いだったそうで、 他の手段があるなら自動車に乗ってこなかったし、 自身が運転する際には決して急がずとろとろ走らせていたようだ。 自動車事故で死ぬほど馬鹿げた話はない、という言葉を残してさえいる。 である日、友人だかなんだかの車に乗って移動せざるを得なくなって、 で 事故にあって死んだ。
これは大変強烈なエピソードなわけだけど 僕もあんまり 車が車が と言ってるの、 それこそが怖いんだよな。
ああ、「運命」の話もした。 社会の発展…正確には欧米の目指す民主主義的な近代社会の実現によって 民衆に自由が獲得されていくごとに、 選択が迫られ、責任が発生し、後悔の種が蒔かれる。 この無限の選択肢は現代の人々を日々疲弊させきっている。 絶えず責任逃れに窮して後悔に怯え、大きく息を吸い込めないでいる。 インドのカースト制は近代的な視点から見れば問題だらけで、 諸外国を知る若者たちは職業選択の自由を叫んでもいるが、 この文化に親しむ現地人や宗教者、研究者からすれば 素晴らしくよくできた社会制度でもあるという。
僕は 「自分への言い訳」 こそを、当世の地獄の本分であると見定めている。 すると天国には 「自分への言い訳」 がない。 完全に調和のとれた世界では、 あらゆる言い逃れの余地が無いのだ。 自由にはどうしたって責任がつきまとい、 責任の裏には言い逃れという影が常に落とされる。 不自由には責任が求められない。 奴隷は仕方なく奴隷をしているのであって、 どんなに日々を嘆き世を呪おうとも、それは彼のせいではない。 だが奴隷制が解放された状況で尚もその境遇から脱しようと努めないのなら、 彼は自己責任を追求されてしまう。
仕方ないと受け入れる、 自身の境遇を受認するにあたっては、 選択の余地がない不自由のほうが都合いいことがある。 おかげで吐ける毒もある。
無限の選択肢は、オモテ面では民主主義の綺麗事に飾り立てられるが、 ウラ面では大量消費社会が支配する耕地となる。 大量消費社会と「不安」の心理は相性がいい。 「不安」あってこその大量消費社会とすらいえる。 ここには論理の転倒が仕掛けられている。 「満たされるとは素晴らしいことだ(幸福モデルの設定)」 「あなたは満たされていない(渇望の惹起)」 が円環的に結び付けられて 必要でないものを必要と思い込む。 絶えず刺激される”不安感”からより良い安寧を求めるようになる。 新製品には”差異”がいる。 というより”差異”さえあればモノは新製品となる。
人々が選択の余地なく 先祖代々から受け継がれた道具だけを使い続けては、 消費社会は困ってしまうわけだ。 その場合においては、様々な不合理な現実もある。 古い、ぼろい、ださい、手入れが手間である、…… しかしトータルで見ればよっぽど健全だと思う。 なにしろ自己責任の余地がなく、後悔が発生しない。 究極に合理的だ、とすら思う。 目先の合理性を追求して人々の精神が圧迫され いずれは自殺に導くような現行の社会を、 僕は合理的だとは決して認めない。
アメリカでは 精神科医にかかるメンタルケアが社会に普及しているのに 日本では未だに精神科医の効果的に使われておらず嘆かわしい、 というような記事を読んだ。 まぁアメリカさんはそれでいいかもしれない。 自由と自己責任、目先の合理性の高速回転、 高度なソリューションの社会でやってってください。 しかし日本には全くそぐわない。 折口信夫の風土による文化的価値観解析、 いろいろと批判されてもいるようだけれども 大筋において僕は支持する。 日本人には受容、受忍が合っている。 選択肢は無ければ無いほどいい…とはいいすぎだが、 あればあるほどいいわけじゃない、と僕は強く主張する、 不自由の価値を見直しておくれ。 「運命の出会い」は地に足の着いた自由とかけ離れた天空にある。
今夜の民話読み聞かせはパキスタン。 世界のどこの国もすーぐ美少女を登場させて結婚させたがるな。
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