舌の色はピンク
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2022年03月24日(木) イヤホン戦争、感情論を切り捨てるな、弱者の叫び

晴れ。
まだ寒い。
日中は気温が上がる見込み。
週末は暑いくらいになるそうだから寒暖差に気をつける。

弁当は生姜焼き。
妻が昨日あました豚コマを
醤油砂糖生姜酒のタレに漬けておいたので
それを油も引かずにただ焼いただけ。


ワイヤレスイヤホン、くじけずリトライ。
デジタル機器も結局は物理機構だから
まったく同じ施行でも
繰り返せば違う結果になったりもする。
で10回くらい繰り返したところでつながった。
しかし音が出力されない。
今度はそっからまた、できるかぎりのことを試していく。
すると一度だけ音が鳴った。
だが途切れ途切れ。
これではまったく用をなさない。
しかし直感的に、
これこのまま放っておいたらちょっとずつ
音の途切れがなくなっていくのでは…と
根拠なき期待がほとばしった。
果たして数分耐えてみると、
しだいに音の途切れが緩和してきた。
そして10分ほどでほぼ正常に鳴るようになった。

よかったよかった、で済ませるほど人間できてない。
この本来あるべき格好にたどり着くために、
昨日今日で都合1時間は無駄にしてるのだ。
そもそも有線ならば、という問題も解消されていない。
ただそれはそれとして、
根拠なき直感が正答を導いたことだけは愉快に思った。


感情論について。
理詰めで物を考え(てると思い込んで)る層が
たびたび敵視する感情論は実のところ一義的じゃない。

「自身の感情を論理の中枢に組み込んでおり、普遍性、客観性が確保されず、
広く適用するには妥当といえない論理展開に陥っている」
これは感情論と呼ばれるだろう。
例として。
 …私は過去に身内を殺されたことがある、
 本当に悲しかった、さらにそれがきっかけで人生が狂った、
 他の誰にもこんな思いはさせるべきではない、だから殺人はいけないことだ。…

さらに

「議論を始める前から自らの答えが定まっており、
その固定された答えに向かって理屈がこじつけられ、論理の飛躍や転倒が起きている」
これも感情論と呼ばれるだろう。
 …殺人はいけないことだから、殺人に使われるような道具は流通を規制するべきだ。
 殺傷事件の記録を見ると刃物が多く使われている。
 だから包丁を始めとする刃物を誰もが買えないようにしなければならない。 
 それで支障があったとしても仕方がない。
 なぜなら殺人はなによりいけないことだからだ。…
 
例に挙げたのは二つだが、この他にも感情論と片付けられる論の様式はいくつもある。
それらを一緒くたに「感情論」と名付け、等しく無価値と見なし、
「感情論だから」と切り捨てる態度は、到底理性的とはいえない。
「感情論だから」と切り捨てる態度は、まさに彼等がそう判断した理由から
「感情的な」振る舞いとなってしまう。

まず
「それは感情論であるのか」、
次いで
「どんな感情論であるのか」、
さらに
「なぜ感情論ではいけないのか」、
……最低限このくらいは考えるべきなのだけど、
その程度すらも面倒臭がって自明扱いしたがる横着者は、
そりゃもうあなたは理屈側じゃなくて感情側ですよって話だ。

僕は、いわゆる感情論のほとんどに価値を置いている。
命題を繊細に切り分けて、適用すべき部分にだけ慎重に限局すれば、
大いに意味も意義も認められるのだ。
だから自称理屈屋が安直に感情論をばかにしている様には呆れる。

それなりに理詰めで物事を考えてきた自負のある者にとっては
ヒステリックな声など相手取りたくないだろう。
まるごと聞き捨てたい、切り捨てたい、
そういう”感情”もわかるだけに、
諭されるのは本来君らのほうだよ、と思うのだ。

あと感情論に対して理屈屋なりの反論をして一向に埒が明かない、というのも、
だいたいアプローチが妥当でない。
相手の論理の破綻を指摘するよりも、
相手の中でだけ成立しているらしい論理の整序をすべきなのだ。力を合わせて。
そうしてようやく、
聞くに値しない感情論でしかなかった話に、論理めいた道筋が見えてくる。
これがスタート地点。
こっからあとは、相手を納得させることだ。
あなたの言っていることは部分的には正しく、
たしかに、これこれこういう場合には妥当である。
しかしながら、私の論もあなたの論も、場合が違えば妥当でなくなる。
今回の場合に妥当であるかどうかを、今一度考えていってみましょう。…

ディベートのような「議論そのものが目的」であるケースを除けば、
おおむね「議論は何らかの目的のための手段」に過ぎないはずだから、
その目的の方を達成するために理は最大活用されるべきなのだ。
であるのに、対話者の非論理性を難詰するのに終始しては、
イヤハヤかえって理に振り回されている。


弱者の叫びについて。
たとえばブラック校則で、
女子生徒の下着が白でないとけない決まりがあり、
それを男性教師がチェックする悪習がある、
実際に私の学校ではそうだった…
という”叫び”があると、
そりゃあ学校がオカシイよと、つい信じてやりたくなる。
というか、そこに疑念を挟むと「寄り添ってない側ね」って扱いをされる。
しかしそこは切り離して考えるべきだろう。
問題の焦点がブレるから。
恒常的に男子教師が担当していたのか、それとも状況次第であったのか。
チェックするというが毎回どの生徒に向けても無条件で視認していたのか。
ある問題事を非難や批判、あるいは摘発、告発しようとするにあたっては、
たいてい、非難しやすく、批判しやすく問題点を抽象する。
多くの人が多くの場合そうする。
しかしここには、ものすごくたくさんの事情が省かれているわけだ。
省くこと自体に正当性も認められるけれども、
そうして問題事を解決できたとしても、
うわべの問題が取っ払われだけで根っこの部分に干渉できておらず、
これが後の火種になる……てことはままある。

疑いは信頼と離反しない。
むしろ信頼を構築するためのパーツであるはずだ。
無条件的に弱者の言い分を信じる姿勢は
果たして彼らのためになるだろうか。
表面上の優しさにとどまって、
いずれ結局は肥大した害を食らわせちゃうんじゃないか。

告発されている側を擁護するためってわけじゃなく、
告発側の正当性を保つためこそ、
両者の言い分を公正に扱うべきだ。
そして片側の言い分しか聞けていないときには、
もう片側になんらの悪感情をもつべきじゃない。
いや悪感情が発生すること自体は仕方ないにしても、
見えていない事情について察しようとする努力はするべきだ。

それが、弱者に優しい社会のありかたってもんでしょうよ。


今日は西荻から。
肉屋でラム肉を買うはずが品切れ。
たずねてみたところ、しばらく入荷はないとのこと。
ガーン…。
やむなく、調味済みの牛肉買った。焼けばいいだけのもの。

電車内でちょっとだけ乗り物酔いしたような感覚に見舞われて、
帰宅してからすこしだけ休んだ。
妻も、痛んだ腰をいたわって休んでいた。
僕は数ヶ月前に実は腰を痛めていたと白状した。
たしか初日だけ伝えてたきり、以降は隠していた腰痛。
「それ病院とか行かなくってよかったの」
「腰の痛みだからね…。安静にしてろってなるだけだから」
「そうかもしれないけど…」
「きみも、できることはほぼないから、ただ休んでたらいい。
そして不安にならないことだね」
「妊婦で、ずっと痛む人もいるんだって」
「そりゃあ情報が省かれてるよ。
個人差のレベルで、妊娠が理由となる腰痛が発生する妊婦さんがいる。
そのなかに、割と長期にわたって断続的な腰痛に苦しむ人がいる。
そのごく一握りのなかに、出産まで毎日ずっと腰痛に苦しむ人がいる……。
ずっとって言えば悲観的にも捉えられるけど、
だいぶ可能性は低いだろうから、あまり心配しないほうがいい」
と伝えてみると、まずまず納得したようだった。

妻にとって腰の痛みは
出かけたいのに出かけられないという絶望に結びつくらしく
精神的にキツそうだった。
パフェが食べたいという。
「喫茶店で。一緒に。パフェが食べたい」
「年中家でケーキ食べさせてもらってると、人はこうなるんだな」
「パフェ食べたい」
「いいよ」
「いいの? かわいそうだから?」
「うん。悲惨だから」
「やった。パフェだ。調べよ。『にしおぎ』、『パフェ』、『おしゃれ』…」
土曜日に食べに行くことになりそうだ。


牛肉はそれなりに美味かった。
にんにくの芽が嬉しい。
なぜかこのあたりのスーパーや八百屋には置いてないので。

食後20時あたり、買い出しへ。
荻窪に行って富澤商店で粉糖を買うつもりが、品切れしていた。
店員さんに訊いてみても、今は1kgの製品しか置いていない。
400gがちょうどよかったのだが…しかたないか、と諦めかけたところで、
純粉糖なら200gで置いていると指し示してもらった。
「純粉糖だと、どういった違いがありますか」
「グラニュー糖だけなんです。普通の粉糖だと、水あめとかが入っていたりもするので」
なるほどいつかどこかでそんな説明を読んだ気もする。
しかし袋越しの手触りでは塊ができているように見える。
「固くなりやすかったりしませんか」
「固く…は、大丈夫だと思います。私もいつも、純粉糖の方使ってます」
その言葉を信じて、ちょっとだけ割高な純粉糖を買った。
あと渋皮栗のパックを。
その足でOKストアにも寄りトイレットペーパーや炭酸水などを買った。

21時前に帰宅。
妻はゲームをしていた。
「面白いキャラが入ったよ」
「見てくれが? 言動? 性能?」
「ぜんぶ」
見るとブリキ人形であった。
「まさか人間じゃないとは」
「でもこれ、誰だっけ、声優も有名な人だよ」
釘宮理恵。
「とらドラの、タイガーの人だね。ものすごい上手な。
そして…ミュークルドリーミーの、ゆにさまでもある」
「ああ」
聞こえてくる声は確かに聞き覚えがある。
「日曜までは…」
「え?」
「日曜まではいい。この声を聞いても。
でも日曜が過ぎたら…。
ミュークルドリーミーが終わってしばらくは、
この声聞きたくない…」
妻は笑っていたが、僕には真面目な問題だ。


妻が初恋の世界を最新刊まで読み切った。
西炯子の。
楽しんでくれていたようで何より。
魅力的な女は多いのに魅力的な男がいない、
という意見を合致させた。


今夜の寝入りの民話読み聞かせは日本から。
頭に柿の根を植え付けられた男が
これだけなってるんならっつってその柿を売るようになって
枯れたら今度は頭からキノコが生えるようになって同様に売って
今度は頭に池ができて鯉を売って
最終的には頭に野原ができて
それを畑として耕して農作物を得られるようになって
人にその農地を貸すようにまでなって
地主になった。

狂ってるにもほどがある。


れどれ |MAIL