舌の色はピンク
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2021年08月12日(木) 天使の遅延証明(後編)

曇り。
朝の時点で、今日はあまり暑くない。
電車は空いていた。
コロナ患者急増中の事情もあり、お盆期間でもあり、
本当ならもっと少なくてもいいはずだが、そううまくはいかないか…


業務中なんかまたアホからアホアホ対応取られた。
依頼主から送られてくる書類をもとに
社内データベースに数値などを打ち込んで情報を照会し、
その結果によって
作業したりしなかったり…といった業務があるのだけども、
書類上にこれまで確認が不要とされていた項目があり、
ある二欄が空白の場合には、
他の情報が作成条件に合致しても、
作業不要となる…という特殊ルールが今日判明した。
それ自体はどうでもよくて、
しかし見逃しがちな項目だから
気をつけましょうねで済ませず、
データベースにそのチェック項目を組み込むか、
または作業するたびに記入している伝票に記載された
チェック項目一覧に今回の件を足すか、
どちらかはした方がいいですよねと無能に提言したところ、
 ウーン
というアホアホな答え。
データベースの方も伝票の方も、
ちょうど数年に一度の更新期を迎え、
各種の書き換えをしているタイミングでもある。
ただ、そうとはいえ見えない事情もありうるから、
却下なら却下でいいのだが、
 ウーン
から先何も言わない。これがアホだ。
無能さにもいろいろあるが
即座に方針を指し示せない無能さはとことん上には向かない。
即座というほどでもないしな…。
猶予を与えたところで無為に時間が過ぎていく。
同じことを言い回しだけ変えて二度三度伝えて、
あなたのターンですよ、
という調子を言葉尻に込めてやってもこれという返事がない。
もうあんまり呆れ返ってしまい、その場を離れた。
こうしてバカの介護をしているのだが、
今のカイシャとしては、残業をいとわない彼のほうがその一点で
上に立つ適正アリなのだ。
別に、アホでも無能でも上に立っててくれていいんだけど。
何だかんだのしわよせで、将来的にしなくてもいい残業に結びつく、
そういう結果がもたらされるのだけ納得いかない。


妻用の弁当は鶏団子。
醤油黒酢の味付け。
僕の方はインドカレーをナンでいただいた。
ワクチン接種二回目から9日が経つ。
病院では、
およそ1週間から10日で効果が期待できる、
という話を看護師さんから聞いた。
まだ油断はできないが、
換気しっぱなしの客の少ない店で
一人さっさと平らげる分には、そう問題ないだろう。




ナンチャッテではない
チャントした唐揚げをいっぺん作ってみたい、
つくらねばならぬ、やり遂げる、
そう思い着手した。
とはいえやはり、そう手間のかかるものでもない。
下味をつけて
衣をつけて
二度揚げする、
つけダレを用意する。
せいぜいこんなものだ。
本当は高級めなブランド鶏肉買いたかったけど
スーパーでは売り切れてた。
下味は
醤油みりん塩コショウ練り生姜チューブニンニク。
いつも通りだ。スパイスでも加えりゃあよかったかな。
さて揚げ油は
いつもフライパンにやや浮く程度の量しか注いでないが
今日ばっかりはナミナミと…
ちゃんと肉全体が浸る量を入れた。
この油は再利用しないからもったいないが…
値段でいえば、2リットル250円のキャノーラ油の、
500ml分にあたる50円分ほど。
これをケチっても20円分はかかるのだから
わずか30円で唐揚げの本気が買えるならまぁいいだろう。
汁気をよくふき取った鶏肉に片栗粉を遠慮なくまぶして
さらに薄力粉もかけて煮えたぎる油に投入。
3分揚げて
3分休ませたあと、
40秒揚げる。
つけだれは酢漬けの玉ねぎに黒酢とハチミツ加えた汁に
ごま油で炒めたニンニクみじん切りを加えたもの。
さてお味は…
うん美味い…
とても美味い…が…
ナンチャッテ唐揚げとほとんど変わらない。
こっから改良の余地あるのか?


荻窪の住居、審査通っちゃったらしい。
緊急連絡先の件があったから
落とされてもおかしくないと思われたけど…
あぁ本当にあそこに住むのか…
不安だな…


以下、昨日の続き。

[天使の遅延証明](2/2)


 兄は日に何度も少年の部屋を訪れるようなった。あるときは毒づき、あるときは口も開かず、部屋部屋を行ったり来たりしていた。ろくに足の踏み場もなかった少年の部屋には道ができた。少年はたびたび棚に積まれた本やら紙類を置き散らして道をふさいだ。何度ふさいでもすぐに道ができていた。
 やたら自分の死について語りたがる兄の本心は読めなかった。だいたいいつも少年にとっては明け透けだった兄を、これまで脅威に感じたことはない。
「なんで生まれたところに戻っちゃうんだろうな。これ、要はロスタイムだろ。8分間だけだって、もうちょっと他に、やっておきたいことありそうなもんだ」
「さんざんシーウィーンで語られてたじゃない。まず僕が立てて見たその仮説からして、信じられるかあやしいもんだって」
「いやあ、でも、俺、なんか実感してるよ。9月末のその日に俺が…んだら、たぶん、俺が産まれ落ちたところに戻るって、なんとなくわかる」
「8分間でしたいことがあるの」
「あるような、ないような」
 そこいらにある書類を手すさびに折ったりつついたり弾いたりしている兄を見て少年は違和感をもった。自分も同じ動作を試してみたが数秒も続かなかった。兄の視線に射抜かれている。
「お前さ、ほんとに天使、いると思う?」
「いないよ。あのグラフに絵みたいな図が出るから、勝手にそこに意味を見出して、それを天使って呼びならわしてるだけなんだから」
 兄は顔からはみ出るほど口を横へ広げて、
「俺が…ぬとなったら、試してみるか。天使に抵抗してみる。あいつらが俺を連れていくつもりならな」
 そう言って書類をにぎりつぶした。

 兄の死に様は、常日頃まず動じることのない少年でさえも震え上がる奇景ぶりだった。兄は体育館内の側面に設置された中二階から柵を越えて転落し、真下にあった低鉄棒に直撃した。落下の瞬間を目撃した者はいない。中二階はたいした高さではなく、衝突音も振動も館内にいた他の生徒の活気にかき消される程度のものだった。しかし脛骨を打った勢いで体が半回転し、前頭部を床に打ちつけて、頭蓋内損傷により敢無く死亡した。転落は事故であったと見られている。文化祭に向けて体育館内の飾りつけを下調べしていたところ、柵から強引に身を乗り出した拍子に血流が圧迫され急性心不全が起こり、バランスを崩した…。
 少年には信じがたい顛末だった。なにしろあれだけ10月22日を取り沙汰していたのに、まさかその当日に柵から身を乗り出すなんて真似をするだろうか。とはいえ自ら飛び降りるなら一も二もなく屋上を選ぶだろう。やはり事故は事故なのかもしれない。不可解なのは遺体の体勢だった。下半身は側面を向き、ゆるく曲げられた左足の上にぴったり右足が重なっていた。上半身は仰臥位で、両手がそれぞれ胴体の横にふっくらした楕円を描くように広げられ、腰元に指先が接していた。誰かの悪ふざけとしか思えないほど出来すぎていた。兄は一枚の羽根になっていた。
 少年は事故現場を直接見てはいない。ただ現場に居合わせた一人が事故直後に撮った写真が出回っていると聞き及び、抗議するという名目で、何人かを通して見せてもらったのだった。
 兄の死の情報をグラフには仕立てなかった。少年はなけなしの優しさをしぼりあげ、悲しみに明け暮れる父母に寄り添った。

 以来、少年は明るくなった。人という人を小ばかにしたかつての悪態はなりを潜め、悪趣味はすっかり洗い落とされたようだった。部屋中にあふれかえっていたノートやバインダーの類はことごとく処分した。父母との会話が増えた。母とは近所の花々を網羅した図鑑を一緒に作成した。父とは週に一度将棋を指すようになった。
 少年とは対照的に教師は軽薄さを失い、押し黙りながら今にも叫びだしそうな不穏さを漂わせていた。伏し目がちなその目は角度によっては凍てついて、何かを隠しているような寒色を瞳際に沈めながら、また角度によってはぎらついて、何かを暴き立てようとしているような熱気が眼球中にみなぎり、老若問わず誰をも寄せつけなかった。
 少年は教師との付き合いを再開できないか機を伺っていた。ちょっといいですか、と話しかけても一瞥くれるだけで無視される変事が二度あった。そのまま冬休みを迎え、年が明けた三学期、教師は学校にこなかった。

 それきり音信が途絶えていた教師からの連絡を受け取ったのは少年の母だった。電話口で名乗られてすぐに彼女は、あの頃は息子たちがお世話になりましたと礼を述べた。
 互いに挨拶を重ね、電話を切ろうとしたところで息子が帰宅した。
 かつて青白い少年だった彼も今は溌溂とした青年となっていた。
 あの事故から十年の月日が経っていた。

 はじめ教師は久しぶりに家を訪ねたいと提案してきたが、それはなるべく避けたいと答えると、では小学校近くの公園にしようと申し出を改めた。電話を通じて聞こえる声からは、あの頃の怖ろしいような雰囲気は感じられなかった。
「先生はいつでもいいんだが。明日でも明後日でも」
「今日これからでもいいですか?」
「おおっ、いいぞいいぞ。ちょっと遅くなるけどな」
 彼は青年になった今も、特定の日付に意味を与えられることを忌避していた。その強迫観念は年月とともに薄れてきているものの、あの事故を想起させる関係にある人と、約束の日を取り付けたくはない。

 十年ぶりの再会したというのに、教師はほとんど前置きもなく、問わず語りにあれからの身の上話を始めた。
 …当時確かに自分は正気を失っていた。しかしそれは事故の一件だけが原因ではない。当時複雑な関係にあった女性の身にも時期を同じくして不幸があった。なにか人知の及ばぬ呪われた因縁を感じ、職も住まいも捨てて失踪した。親戚を頼ることもなく、日雇いでどうにか食いつなぎながら地を這い泥水をすする思いで生きながらえてきた。紆余曲折を経て、去年ようやく会社勤務の働き口を得た。ある同僚と世間話をしていると、都市伝説の一環として”天使の遅延証明”を紹介された。思いの外平静に受け流すことができた自分に驚き、もはやあの日を過去にできていると自覚した途端、当時縁のあった面々に会いたくなって、連絡網を引っ張り出し電話をかけた…
「先週は、その、付き合いのあった女性の地元に行ったんだよ。案外歓迎されて、びっくりしたな」
「僕も歓迎しますよ。お帰りなさい。先生」
「もう先生じゃないよ」
 月明りに乏しい夜だった。雲の隙間から僅かにこぼれた月光が蛍光灯の照射と混じり合い、土に残った子どもの足跡を照らしている。雲の挙動によっては光の粒子がちらつき、土埃の身元を照会して、あたかも夜空が昼間の痕跡を見張っているようだった。二人はベンチに座り、当時にはなかった親密さで思い出を語りながら、お互いに本題を探っているらしき気配を感じ取っていた。
 思い出話は時系列に沿って進み、やがて事故の日に近づくと、元教師の目が、いつかのようにぎらついた。その瞳にただよう鈍光に堪えかね、本題は青年のほうから切り出した。
「先生は何か、知っていたんですよね。兄が、初めて自分の死を口にしたとき、僕は馬鹿にしたけれど、その後二人で数分抜け出しましたよね」
「うん。口止めされてたわけじゃないが、でもやっぱりこれは口外すべきじゃないと思ってね」
 どのように口を割らそうか奸計を巡らすまでもなく、元教師はあっさり白状した。 
「"天使の遅延証明"を本当に信じてるかどうかって、訊かれたよ。真面目な顔つきだった。私は信じていると答えた。彼は真面目な顔を奇妙に歪ませて、こう言った。
 『生きていることに意味を見出せなくても、死に意味を与えてやることはできる』」
 
 箴言じみた文句の意を読み取るより先に、兄にとってそんなに人生は無味乾燥なものだったのかという、ぼんやりした衝撃があった。兄の言動一つ一つを思い返して検証したくもなった。
「その時は、自分を対象にした言葉なのかどうか、わからんかった。今もわからんけどな」
「あれでけっこう思い悩むタイプだったんですよ。中学の頃は家出とかして」
「悩みね…たしかにあいつは、悩んでいた」
「僕が原因でしたか?」
 不穏な沈黙があった。意味の込められた沈黙だった。
「きみは賢い。私はね、いつも通知表の書き方に悩んだよ。明らかに問題はあるのに指摘できなくて」
「兄は、僕の理論が嫌いだったんじゃないですか? 僕はあれ以来、あのサイトを見てません。でも確信していることがあります。兄の死期を明かすこととなったシーウィーの発信者が誰か。はじめは特定しようともしませんでした。でもふいに閃いた。ほんの思いつきです。人に伝わるような根拠はないけれど、なんとなくわかる。兄が取り憑かれた理論の提唱者は、兄自身ですね」
 つい今しがたの沈黙とはまた異なる、閉じ込められていた意味をあたりへ拡散させたようなこの沈黙は騒がしかった。二人は目を合わせず会話していた。しかし今、二人の視線の先は交差していた。
「あの夏の終わり…秋の始まりにかけてまでか。あのひと月は楽しかった。いつ思い返しても愉快になれる記憶を量産してるって、当時は思ってたよ。そんな自慢の記憶にまもなく蓋をするなんて見越せようはずもない。でもお兄さんにとっては…違ったんだろう。きみの思いつきについてはなんとも言えない。はぐらかしてるって思うだろうが、私もこれで…」
「僕、兄ちゃんはまだ生きてるって、たまに考えるんですよ」
 この公園は新しくもなく、広くもなく、遊具も揃っていない。その割には子どもで賑わうらしく、昼間彼らがどれだけ楽しんでいたか、あちこちにその証が残っている。植木の脇に置かれたサッカーボールはきっとこの公園を利用する子ども全員の共有物で、また明日も使うからと放置しているのだろう。幼い彼らはその明日を全く疑っていない。
「兄ちゃんは天使を騙してやろうとした…。今もしてるんですよ。死んだふりをして確かめるつもりなんだ。僕たちも全員騙されてて、あいつ、本当は生きてるのに…。なんて、こんな風に考えたって、あれでしょう、死んだ者は返ってこないっていうでしょう。起きた過去は変えられませんからね。でも過去の意味を変えることはできるはずです」
「過去の意味ね。難しいことを言う」
「兄のほうがよっぽど、難しいこと言ってたそうじゃないですか」
「知ってるか。シーウィーンが閉鎖するらしい」
 むしろまだ存続していたのかと意表を突かれた彼の反応を待たず、元教師は畳み掛けた。
「あの頃、たくさんの人の死亡時刻やら場所やらから、例のグラフをこさえていったよな。ていっても情報の出所があそこじゃ信憑性がない、結局は、半信半疑だった。なあ、"天使の遅延証明"について話した同僚がいると言ったろ。そいつは否定派でね。つい最近親戚の最期を看取ったとかで、まぁ細かい経緯は知らんが、算出してみたそうなんだよ」
「合わなかった?」
「そうだ。合わなかった」
「はあ、まあ、でしょうね。やっぱりなんかの勘違いだったんですね。結局、事実関係をオカルトにこじつけただけだった。小さい頃にありがちな牽強付会だったわけだ」
「小さかったのはきみだけだろ」
「あの頃の僕からしてみても、二人は幼かったですよ」
「はは、懐かしい舌先じゃないか。しかしまあ気になっちゃってな。その後すぐ、自分でもしっかり確かめてみることにした。個人的に懇意にしている病院の事務員にねだって、十数年分のそういったデータを手配してもらったんだ」
「はあ、まあ、昔から見抜いてましたよ。先生は小悪党を手なずけるフェロモンを発してるって」
「するとどうだ。きみのお兄さんのあの日を境にして、これより以前は、ちゃんと羽根が現れるんだよ。そして、これより以後は…」
「羽根が現れない?」
「そうだ。だから、天使はもう遅れてこない。きみのお兄さんは、どういうわけなんだか、人が死んでからの猶予を奪ったんだなあ」
 月が雲に隠れようと公園の明度に変わりはないが、あやういところで鬩ぎ合っていた光の均衡が崩れると、園内の事物はことごとく生気を失くした。ゴミ箱の近くに横たわったジュース缶はアルミ製の円柱に過ぎず、砂場のある隆起ある陥没はたまたまそうなった地形でしかない。サッカーボールはただの白黒の球だった。家々に挟まれた狭い路地へ大型車両が侵入したついでに、ヘッドライトの光線が園内をゆっくり一閃していった。低木から一匹の小動物が暗闇へ走り去り、ビニール袋が中空を舞って、静かに落ちていった。
 二人の目が合った。
「いや、いや。それはおかしい。遅れてこないっていうんなら、じゃあ、死亡時刻と同時に羽根が現れるはずだ」
「ん? そうか? そうなるか。たしかにそうだな」
「呑み込めてきた。あぁなるほど、そうだ、とんでもないな! 先生、だからね、つまり……。8分じゃなくて、きっと、もっとずっと延びたんですよ」
「猶予が?」
「そうですよ! 8時間? 8日? 8年?」
「今も逃げ延びているとでも?」
「天使は遅れてこないどころじゃない。遅れっぱなしなんです」
 昼間の足跡をせいいっぱい隠すようにビニール袋は横たわり、表面に付着した水分が、蛍光灯の光をきらきら反射させていた。光の粒子が水気から立ち上がって、ほんのわずか、上か下か、右か左か、進路に惑うそぶりを見せてから、表面を滑落していった。どこから来たものか自身にも知れない水滴はこの夜長い旅を経て、昼間の名残りを濡らした。
「先生。だからその…女性も」
「もう先生じゃない」
「でも、今なら、ちゃんと僕への通知表が書けるんじゃないですか」
 その賢立てに元教師は、いかにも悔しげに笑った。
「自由研究が完成したな」

 こうしてかつて少年であった彼は、兄の死に意味を与えてやれた。
 天使は実在するかもしれないし、実在しないかもしれない。そのどちらも同じ意味に変革してやった兄と兄の死を、今ではひそかに誇りにしている。

(おわり)


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