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■ わからないこと知りたいでしょ?
月曜から飲んでしまってちょっと反省している火曜。 土曜も飲んだのにな。しかも土曜は夜の7時に飲みはじめてお開きが日曜朝7時。12時間語りっぱなしの痛飲は女として20代後半としてどうかと思うけど相手が兄貴というのがもっとどうかと思う。バカ兄妹。 しかし焼酎やジンはえらいよ。頭痛、吐き気などのベタな二日酔いにはならない。次の日にすごい筋肉痛がくる。 日曜は筋肉痛に耐えつつギャオで野性爆弾を見ていました。ロッシー、東心斎橋のHarrow'sでバイトしてんのか...。ケンコバのマネージャーの西向寺八郎さん面白い。
地に足つかないことこのうえない昨今です。 きのうは会社の人が心に風邪をひいて1日休む。わりとよくあることではある。去年までの自分であれば資本心理にのっとって、同じ歯車として苦々しく思っていたはずである。 しかし今の苦々しさはそこではなく、社会人としてまた騙されるように働かねばならないこと、たった1日の制限付きの休日でもう心理的にも身体的にも社会に戻らねばならないシステムが働いていること、にある。 すでに心が社会人から離れてしまっている私にとっては、1日でも何日でも自分の身体を(雇用条件の範囲内で)自由に扱うことになんの心理的/身体的制約があるかと思うだけです。
印刷会社で働いている大学時代の友達がいます。あまりの残業時間と自分の無能を痛感して鬱になった。自傷と企死念慮がひどい。上司に相談して仕事を減らしてもらい、今は通院して薬を飲みながら仕事を続けられている。 彼は「鬱になってよかった」という。下請けを大事にし、会社環境をふくめ周囲に感謝しながら毎日過ごしているという。 よかったね、と私はいうべきなんでしょうか。 そんなこといわれたいならこんな根性の人間にいうなよと思う。 そこには義務と呵責と緊張と、たぶん許しと安心がある。「鬱」ということばはいつのまに資本の言葉になってしまったんだろうな。なにかを突破できそうな心の状態すら組み込まれて均されてしまう。 ダメな大人の駄々ですけどね。
2008年02月05日(火)
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