ヒルカニヤの虎



 週末に間に合うように手紙を書くつもり

お盆ですか世間では。日記を更新するということはつまり会社にいるということです。がっつり朝から仕事です。イエス飛び石。

せっかくのお盆だし思い出の夏らしい話でも。創作の怪談じゃないからオチはないし長いし特におもしろくもないけれど。
おばけを信じますか?と聞かれれば今も昔も答えはNoで、暗いところ、怖い話、独りぼっちの田舎の便所、墓場、そういったものが怖くない、かわいくない人間です私は。だって幽霊なんかみたことないもの。
でもそういう次元のものは信じる信じないにかかわらずある。そう知ったのが20歳のころでした。それ以来お盆は毎年体調を崩すのですが、年々平気になってきているのでもういいかなと、ちょっとお祓いのつもりで。

当時アルバイトで家庭教師をしていて、派遣会社から中2の女生徒さんを紹介されました。大学が夏休みに入ってすぐの7月。時給もいいし家から5分、好条件で引き受けて、最初の打ち合わせに出かけました。
そのお宅は並びの2軒に一家で住んでいて、中の壁をぶちぬきにして二軒が繋がってる。1階は裁縫かなにかの家内工場、2階に家族。白い壁の明るい家なのに靄がかかったような空気で、地に足がつかない感じ。うわのそらでとにかく打ち合わせを終えて、朦朧と帰ってきたときには疲労困憊でした。遠方から叔父さんがきてたのに、真っ昼間なのに人前で倒れるように爆睡したらしく(覚えてない)。でもそのときは緊張と夏ばてのせいであろうと思い、週に2回、午後2〜4時の時間帯で通いはじめたのです。行ってみればおばさんも娘さんも明るいし気も合う。勉強内容はなんと中2の英語のみ。勉強嫌いですぐ話を脱線させるのが難でしたが、無駄話も楽しい、音楽と漫画とゲームが好きな女の子。おやつも山ほどもらえます。

休憩時は勉強机ではなくて小さいテーブルでおやつをいただくのですが、私はクーラーを背中にして座布団に座ります。だから見えてはいないけれど、クーラーから水が滴っている、その水がどんどん広がって座布団が濡れそうになる、そんな映像が「見える」。でも振り向いても実際には何もない。そんなことが続いたある日、生徒のIちゃんが私の両手首にじゃらじゃら巻いたシルバーアクセを指さして、先生は霊感がある人ですか?と聞いてきました。ただのファッションやんと答える私に、知り合いでそういう人がいて、感受性を下げるために手首に数珠やバングルを巻いていて、その人も同じ仕草でクーラーを気にしていた。この家は水回りがおかしいんです、と真顔でIちゃんはいいました。

「水回りがおかしい」の意味がよくわからなかった私はそのときはそれきりで、ものすごい疲労を感じながらも通い続けて8月の夏真っ盛り。いつものようにIちゃんとおやつを食べていて、ふと話の切れ間、言葉と言葉の間に低い声がするのに気づきました。工場のモーター音なのか、それとも働いている男性かお父さんか、とにかく思春期の女の子が自分の家で唸り声を聞かれたら恥ずかしかろうという配慮のもと、部屋においてあったギターをつまびいてその音を誤魔化すわたくし。するとIちゃんの顔色が変わり、先生、何が聞こえてる?と聞いてきました。男の人の声、というと彼女は、ここの従業員はみんな女やしお父さんは違う仕事で外におるから昼間に男の人はおらんねん、この家おかしいから家庭教師の先生も続けへんねん、と話し出したのでした。

Iちゃんの部屋がある家ではないほうの家、繋がってはいるけれど私が入ったことのないほうの家は10年ほど前は違う人が住んでいて、1階に風呂場で隣家のご主人が溺れて亡くなったと。お隣さんは引っ越してしまって、そのあとにIちゃんのご両親が2軒とも買い取って改築したそうですが、家中の水回りが悪く、1階の風呂場にいたっては気持ち悪くて入れないので親がお札を貼ったりしてるのだといいます。じゃあ何故Iちゃんは平気で暮らせてるのかときくと、なんだかその男の人は自分に悪意はもっていない、むしろ好かれている気がするからスルーできるんだという。
この時点で私はまだIちゃんに作り話で担がれてるか、まあそうでなくても思春期の女の子特有の神秘主義的なアレだろうと思いました。だってよくできた話だけど、全部「気のせい」ですむからね。

さてもうすぐお盆というある日、島根で一人暮らしの幼なじみに会いがてら、地元の仲のいい男女5人で島根旅行をする計画がもちあがりました。島根といえばラフカディオ・ハーン。みんなで怪談をしようぢゃないか!となり、じゃあ私は中学の通学路にあって信憑性も高いIちゃんちの話でもするかと。それで家庭教師の日、休憩中にIちゃんに軽い気持ちで「旅行で怪談やるからこの家の話していい?」と言ったのです。
その瞬間、ドォン!とものすごい力と勢いで両肩に落ちてきた「なにか」。それが皮膚の毛穴から入ってくる、しかもそれは冷たくてしめった「なにか」である、というイメージで、そのイメージだけで立っている私が勉強机に突っ伏して絶句してしまうほど。もちろんなにも見えないしなにも乗っていないのだけど、肩が極限まで凝った状態で息ができず、もう気分がわるくて寒くて仕方ない。これはとにかくこの家から出なくてはだめだ、と授業を30分残して切り上げさせてもらって、震えながら家に帰ると親不在。まだ実家にいた兄が出かける準備中、というところでした。私は家に帰ってなお冷たい「なにか」が肩に乗ったままであることに耐えられず、頼むから今出ていくのはやめてくれ、と兄の腕をつかんでガタガタ震えるしかなく。尋常でない私の様子に兄は家の前にある祖母宅に私をつれていきました。母と祖母が仏壇のまえで盆提灯を組み立てており、それを手伝ううちに肩の上の「なにか」は消えたのですが、旅行でIちゃんちの話はできませんでした。またあんなものが乗るかと思うとイヤすぎた。

それ以来お盆の提灯を組み立てるのは私の役目になりました。なぜかというと、それ以来チャンネルというか、チューニングのような回路が自分のなかにできてしまい、特に夏になると疲れたり障ったりがひどくて体調がおかしくなるから。
まあその後もいろいろとございまして、見えないけれど「あっあのときの感じ」という手触りをたよりに危なげな場所は回避する術を身につけました。なんというのかな、頭に映像のイメージやキーワードがぽんと浮かぶ感じ。いまだに泉の広場は通れない。家庭教師もいくつもかけもちでやりましたが、プライベートスペースというのはパブリックスペースにくらべてすこしくらい異常でも外部にはわからないものなんだと思い知った。異常でもみんなそこで生活している。引っ越し業者、配線業者、エアコンのとりつけ屋さんなんかは日常茶飯事にでくわしてるんじゃないかな。

その後半年以上もIちゃんの家庭教師を続けたのですが、やめるときに初めて隣の家の中をみせてもらいました。隣に繋がる踊り場に入った瞬間、空気がすさまじく冷たくなり、圧迫されて息ができないほど濃密になにかが満ちて、それは隣家の1階の風呂場で最も濃く感じられた。怖いというよりイヤな感じ。お札の貼られた浴室のドアをあけると中はタイルも浴槽も山盛りの塩で雪景色のようで、あらためてここはちょっと違う場所だったんだなと感慨深かったり。

あれから7年、どんどん回路はせまくなって今年は提灯を組み立てることなくお盆を過ごせそうです。
今でも兄はお盆になると、当時仲良くもなく兄に甘えたり頼ったりすることも皆無、なおかつ全く恐がりでない私が、真夏の真っ昼間に青い顔で震えていたことを思い出します。

2007年08月13日(月)
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