世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月05日(日) 百年目



今日もワインの仕事。
曜日の感覚がむっちゃくちゃになってる。


夕方までお客さんが少なくてひまだったので読書三昧。「豊饒の海(一)春の雪」、面白くなってきた。
読んでいて、主人公の清顕(四部作中、最初に夭折する主人公)が亡くなってから今年で百年目にあたることに気がついた。「春の雪」は大正2年に物語の幕を開け、翌年の早春に主人公の死をもって終わる。大正3年は西暦1914年だから、今年はちょうど百年目。偶然とはいえ、ちょっと呼ばれたような気にもなるというものだ。


この頃、25年(四半世紀)、50年(半世紀)、100年(一世紀)という単位で物事を捉えてみることが多くなって、それは自分が半世紀を生きてしまったことと関係があるようだ。現実の半世紀がだいたいこれくらいという感覚が身内にあると、それまでとは過去の歴史のとらえ方が微妙に変わってくる。


たとえば、少しまえにバッハの直筆の楽譜をTVでみたとき、バッハがおおよそ三百年前のひとだと聞いて「意外に最近のひとだなあ」と感じた。今までは感覚的にもっと大昔(たとえば五、六百年前とか)のひとだと思っていたのだ。
歴史を知らなすぎると言われればそれまでだが、それが50年(自分の年齢)×6=300年という認識ができるようになると、まったく想像もつかないくらい大昔のひとでもないのだな、と思うようになる。


そうやって「春の雪」の時代背景である百年前ということを考えたときに、もうひとつ思い当ったのが「大正百年」。
2011年は大正元年から百年目に当たったわけだけれど、1968年の「明治百年」に比べるとあまりそのことにスポットが当たらなかったような気がする。自分でも驚くのだが、明治百年のときには世の中に結構賑やかに祝う気分があったことを、おぼろげではあるが覚えているのだ。


それで、このタイミングでこういう本を読むことになったのも三島由紀夫や亡くなった自分の父親など、大正年間に生まれて戦中に生きたひとたちの「大正、忘れすぎなんじゃないのか」的な思いが届いちゃったのかな、とも思った。いや、仕事がひまだと考えすぎちゃうよね、あれこれ。


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要らんこと考えすぎたついでに、もうひとつ馬鹿婦女子的な発見をご報告。
昔、村上春樹が自己を語るときによく使った言葉で、自分は「山羊座、A型、水曜日生まれ。マザーグースによると、水曜日生まれの子どもは最悪(悲しい人生をおくる)らしい」というのがあった。ちなみに当時春樹ミーハーであった私は、自分も同じ三重苦(笑)を背負っていることを知り嬉しくなってしまったのだが。


先日、三島由紀夫が山羊座であることを知ったので、どうしても確かめたくなってちょいと調べてみた。そしたら、ビンゴ。三島もピッタリこの三重苦に該当してました。


それと、、、「羊をめぐる冒険」は1970年11月25日、三島が自決した日の午後から始まる、という指摘なども発見してしまい…(そうだったっけ。あまりに古い話で忘れましたが)
こうなると、インターネットというのは本当に、開きっ放しのパンドラの匣みたいなものですなぁ。


「村上春樹−三島由紀夫、関係大あり?問題」に関して言うと、どうも春樹は確信犯ではないかと思うのだけれど、いまはこれ以上追及せず、読書に戻りたいと思います。読んだ本(3)は次回更新します。











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