世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2014年01月04日(土) 「青春の終焉」と三島由紀夫

  
今日はワインの店で仕事だったのだが、いつもどおり掃除を終えて、新聞を広げてみて、びっくり。ノーベル財団が1963年のノーベル文学賞の最終選考リスト一歩手前の候補6人の中に三島由紀夫が入っていたことを公式に発表したという。なんというタイミングで、また…
動揺。抑えても抑えても、動揺。すっかり調子が狂ってしまった。


記事によると、63年の文学賞に推薦された候補は80名。この中には4人の日本人が含まれており、三島以外の三名は、川端康成、谷崎潤一郎、西脇順三郎であるらしい。


私が動揺したのは付記されていたドナルド・キーンの談話の内容で、三島は作家・評論家として超一流であり受賞の資格は十分あったが、三島が受賞しないように選考委員に働きかけた人間がいた(北欧で日本の専門家とされていた作家とのこと)と書かれていた。


キーン氏が作家本人からきいた横やりの理由は「三島は若く、若い人は左翼」という無茶なものだったそうだが、三島に「左翼だと思われたから受賞を逃した」と冗談として伝えたところ、三島は笑わなかったそうだ。


意図的に横槍を入れた人間がいたことよりも、キーン氏の冗談に三島が笑わなかったということが堪えた。しかしよりによって「左翼」とは…(絶句)


最後にキーン氏は、1968年に川端康成が受賞したことで次に日本人が受賞できるのは早くても二十年後になり、三島は待ちたくなくて華々しい死を選んだのではと、個人的な推測と断ったうえで語っている。これはキーン氏の持論で本にも書いていたと思うけれど…、死の理由がそれだけであるとは、やはり思えない。


川端康成のアカデミーへの推薦状を、本人から頼まれて英語で書いたのは三島由紀夫である。そして、絶筆となった「豊饒の海」四部作の英文翻訳をキーン氏に頼みこんでから自害している。海外でもこの小説が出版されてほしい、そうすればどこからかきっと自分という人間を理解してくれる人間が現れるだろう、と言ったとも伝えられる。


その「豊饒の海」四部作をこの年末に読み始めたばかりなのだが…
三島のあのような死に方は「死なないため」だったのではないかと、いやきっとそうに違いないと、今日、唐突に気が付いてしまった。


三島は忘却という名の死(それは生きた人間の存在すら消し去ってしまう)を避けるために、あのような激烈な死と謎をセットにして遺していったのではないだろうか。「青春」も「文学」も、いまや死に体となり果てた。ずいぶん前から、中学高校で森鴎外の名前を教えなくなったと聞くが、こうなることを三島はあるていど予見していたのではないだろうか。


先日保留にした、三浦雅士の「青春の終焉」という本にも三島由紀夫は出てくる。でも「青春」をキーワードに、青春の作家として三島を扱おうとすれば本丸ごと一冊でも足りない、のみならず、かなりやっかいな問題を扱うことにもなる。だからだと思うけれど、三島はほんの少ししか出てこないし、その扱いもあっさりしたもの。それが、もの足りない。


「青春の終焉」が刊行されたのは2001年だが、書いた当の三浦雅士も現在のように、ここまで「青春」が死に絶えるとは思っていなかったのではないだろうか。
そして三浦雅士曰く「すでに終わってしまっている(予め失われた)青春の作家」村上春樹の少し後方に、なし崩しの終焉から意図的に脱出を図った三島由紀夫という作家がいたことが書かれていないのが、仕方ないとわかっていながら私には気に入らないのだ。(しかも奴、まだ生きているんだぜ)


「三島の貰わなかったノーベル文学賞をどうして村上春樹が貰えるわけがあるんだよ」という私の苛立ちは、川端康成、大江健三郎が受賞したという事実がある以上、当然だと思う。ドナルド・キーンの言葉を待つまでもなく、作品を読めばわかることだ。だから、なぜ最終候補にすら残ったことがなかったのか、不思議でたまらなかったのだ。今日、バイト先のワイン店で私がどんなに興奮し動揺したか。おわかりいただけるだろうか?








付)amazonで検索をかけていたら「村上春樹の隣にはいつも三島由紀夫がいる。」(PHP新書)という本が出ていることを知りました。すごいタイトル(笑)。どうもこの本は、日本の小説はほとんど読んでいないと語っていた村上春樹が、実はとても綿密に日本の作家のもの(三島を含む)を読みこんでいた…という内容であるらしい。
さもありなんて感じだけれど、今は集中して「豊饒の海」を読むのが先。他者のものの見方に影響されちゃうと面倒くさいことになるから、暫くは読まない。












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