歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年07月29日(火) もしも自分の日記が研究対象になったなら・・・

今の時代、技術発展のおかげで我々はこの世から亡くなったとしてもいろいろなものを残すことができます。自分が書いたもの、自分が読んだ本、自分が購入したもの、自分の写真やビデオ映像などなど。鬼籍に入った人について研究するならば、いろいろな資料が残されている可能性があるわけです。

過去であればそうではありませんでした。写真や映像などは残されておらず、故人が残した数少ない資料を参考にあれこれ考察をしながら、故人の研究が行われているはずです。例えば、クラシックの作曲家で有名なモーツァルトやベートーベンたちを研究する際、これら作曲家が残したものといえば、自筆の作品や作品を書く際に残したスケッチと呼ばれる下書き、そして、近親者や友人などと交わした手紙などしかありません。中でも、手紙は故人の当時の生活や性格を知る上で貴重な研究資料となっているのです。

この現状をもし天国にいるモーツァルトやベートーベンが知ったらどう感じるでしょうか?手紙というもの、受取人に対して個人的に書いたものであり、公開することを前提に書いていません。それ故、差出人の人となりが手紙に現れるが故に研究資料としては有用なものではあるでしょう。しかしながら、きっとモーツァルトやベートーベンは受取人以外には手紙の内容を知られたくなかったはず。いくら研究のためだとはいえ、故人の意志に反して他人が読んでしまう。僕はモーツァルトやベートーベンが不憫でならなく感じる時があります。

この8月1日をもって、歯医者さんの一服はサイト開設6周年を迎えます。これまで6年間を通じて書いてきたテキストは何らかの方法でインターネット上で読むことができるはずです。万が一、僕と言う人間がこの世から無くなり、研究対象となった時には、僕が書いていたこれらテキストも研究対象になることでしょう。多くの人に生の歯医者の声、考え、生き方を知ってもらいたいという思いから、歯医者さんの一服日記は6年間、公開し続けているわけですが、これが研究となると話は別です。僕という個人の隅から隅まで調べ上げる一つとして僕が書いたテキストが読まれる。それは僕の翻意ではないからです。

もっと平たくいえば、自分が研究対象になること自体、めちゃくちゃ恥ずかしいのです。できることなら、僕と言う人間を研究対象としないで欲しい。僕という人間のプライベートはプライベートでそっとしておいて欲しいと願わずにはいられません。

まあ、僕という人間が研究対象になるなんて話はあくまでも架空の話であり、そのようなことを書く僕は自意識過剰ということですけどね。皆さん、笑ってやって下さい。


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