歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2007年12月12日(水) 喪中葉書を出す寸前だったこと 前編

今週に入ってから僕はあることの準備を始めています。それは、年賀状の印刷。
我が家では年賀状の印刷は僕の仕事です。自分の分はもちろんのこと、嫁さんや親父、お袋の分まで印刷を担当します。四人分の年賀状の印刷となるとかなりの量にはなるのですが、年賀状作成ソフトとプリンターのおかげでストレスを感じることなく印刷することができるのは有難いことです。
年賀状を印刷する前に必ずすることは、喪中葉書のチェックです。年賀状作成ソフトでは喪中葉書の送り主を省いた人たちを選び出すことができ、該当者の年賀状を印刷するわけです。最近の年賀状作成ソフトの便利さには驚くばかりです。

さて、今年我が家に届いた喪中葉書を点検しているとあることに気がつきました。それは、喪中葉書に送り主のお父様が亡くなられたことを記載したものが多くを占めたからです。毎年、喪中葉書を受け取りますが、それにしても今年ほどお父様が亡くなったことを記した喪中葉書を受け取る年は珍しいくらいです。
いつもの年であれば簡単に流せるところですが、今年の僕はお父様が亡くなった喪中葉書に非常に感じるものがありました。その理由は、僕も一歩間違えれば、今年は喪中葉書を出さなければいけないところだったからです。親父の喪中葉書をです。


あれは2007年(平成19年)が明けて間もない1月10日過ぎだったでしょうか。親父が突然風邪をひきました。

“新年早々、風邪をひくなんて親父もついていないなあ”
と思いながらも、最初のうちは単なる風邪だろうと高をくくっていました。ところが、親父の風邪は一向によくなる気配がありませんでした。一週間以上37度台の微熱が続いたのです。微熱とはいっても一週間以上続くと体力的にはこたえるもの。まして、今年76歳の親父にとってはかなり体力的にきついところがあったのですが、それでも、親父はまだ診療を続けているくらいの元気がありました。

“たかが風邪くらいで仕事を休んでなんかいられない。”
親父はそのように考えていたようです。 今となって思えば、これがよくなかったかもしれません。

微熱が続いていた親父の体調が急変したのは1月下旬でした。午前中の診療を終えた親父は、昼食を取ろうとした時、突然体調不良を訴え、寝込んでしまったのです。

”親父は大丈夫だろうか?“と思っているうちに、親父は突然身震いを起こし始めたのです。当初、僕は冗談かと思っていましたが、そうではなく本当の身震いでした。よく寒い外気に触れると体が震えることがありますが、親父の震えはそのような震えよりも更に深刻な状態。尋常な震えではなかったのです。専門的にシバリングと呼ばれる震えでした。

直ちに近くの病院に勤務している内科医の弟に親父のシバリングについて相談したところ、シバリングは風邪が長引いた際、ちょくちょく出る症状であるが、直ぐに入院しなくてはいけないものではない。念のためにリンゲル液を点滴しておいて欲しいとアドバイスしてくれました。
僕は弟の指示に従い、僕は親父にリンゲル液の点滴をしました。実は、この点滴が一苦労でした。シバリングにより親父の血管は収縮してしまっていたからです。いつもなら難なく点滴の針を入れることができる親父の血管でしたが、収縮することにより、点滴用の針を血管に入れることがなかなかできませんでした。僕は点滴の針刺しある程度自信を持っていたのですが、何度も点滴の針を刺しても血管の中に入らず、気ばかりあせりました。それでも、何とか針を入れることができたのですが、この時ばかりは自分の点滴針刺し能力の力の無さを嘆いてしまいました。
リンゲル液を点滴することにより、親父のシバリングは落ち着いてきたのですが、風邪の経過が芳しくないのは明白。心配して家に駆けつけた弟が直ぐに親父を診てくれました。親父を診た弟曰く、

「入院して治療した方がよさそうだ。」

親父は弟が勤務する病院で緊急入院する運びとなったのです。

入院してからは、親父には毎日抗生物質の点滴投与が続きました。いつまでも微熱が続いているため、集中的に抗生物質を点滴投与することで徹底的に風邪を治そうという弟の意図でした。おかげで親父の高熱は下がり、日々回復してきているように思えたのですが、親父の顔色は一向にさえません。

「どうも力が入らないんだ。」

この言葉を裏付けるようなことが検査データの中でありました。それはCRPという炎症反応を示す値がなかなか下がらなかったのです。通常、CRPはゼロまたは限りなくゼロに近い値なのですが、親父は入院当初は9を越えていました。抗生物質の点滴投与でCRP値は3まで下がったものの、それ以上、下がず、下がり止まりの状態が続いていたのです。
主治医である弟はどうすべきか悩んでいましたが、一時的に自宅へ帰り療養しても差し支えないではないかという判断に至り、一時的に退院となった。2月初旬でした。

以降、親父は弟の病院は通院治療をしていたが、CRPは一向に下がりません。

“一体何が原因なのだろう?”
弟に何度も尋ねましたが、弟もはっきりとした理由がわからず悩んでいたようでした。
そのような中、親父があることを訴えました。それはお通じがよくないこと、便秘でした。病院に入院して以来、まともに便が出ないというのです。最初のうちは、抗生物質を大量投与したことによる副作用ではないかということで、下剤を処方され服用しながら、浣腸も何度か行いました。ところが、便秘は全く改善の兆しすら見えなかったのです。2週間以上便秘が続いていました。

“これは何かおかしい!”

親父自身、長く続く便秘に不安なものを感じたらしく、

「もう一度入院して詳しく診てもらった方がいいな。」

親父は弟に頼み、再度入院した。これが2月中旬。

弟は消化器官を中心に精査することを決断しました。便秘が単に抗生物質による副作用によるものか、それとも他の理由があるのかを見極めるために。

親父は大腸を内視鏡検査してもらったり、レントゲン写真を撮ったりしたところ、大腸そのものが蠕動運動していないことがわかりました。単なる抗生物質の副作用だけでは考えられない何かがある可能性があったのです。
そこで、弟は急遽いくつかの血液検査とCT検査をしたのですが、CT検査で写し出された画像の中に、思いもよらぬ病魔が写っていました。その病魔とは・・・。

明日に続く。


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