My life as a cat
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2018年11月23日(金) トリエステの坂道を歩く

隣人のドミニクがトリエステの旅の土産にピンツァ(Pinza)というパンを買ってきてくれた。

「朝食にいいよ。マーマレードとか塗ってさっ」

・・・。見た目はフランスでいうブリオッシュ。イタリア人が朝食にいいというからには甘いに違いない。彼は以前どらやきをあげたら朝食に食べたと言っていたっけ。スライスすると中は黄色い。齧ってみる。うん、とびっきり美味い。卵たっぷりでふんわり甘く、オレンジやレモンの柑橘系の味がする。わたしは発酵クリームをホイップしてたっぷり乗せてデザートにいただくことにした。

トリエステといってまず思い浮かべるのは須賀敦子の「トリエステの坂道」。夫と読んだウンベルト・サバの詩の世界を彼の亡き後ひとり歩く。なぜ自分はこんなところへひとりで来てしまったのかという戸惑いや不安が文章の節々に表れていて、真っ青なアドリア海などといってもどこか寂しい雰囲気が漂っていた。ひとりでイタリアまで留学して立派にその社会に溶け込んで生きた人でも、夫とくるはずだったところをひとりで訪ねるのは、まったく別の勇気が要ることだったに違いない。

そしてもうひとつは「さあ帰ろう、ペダルをこいで」というブルガリア映画のワンシーン。共産国だったブルガリアから小さな子供を連れて脱出した若いカップルが辿り着いたのがトリエステの難民キャンプだった。来る日も来る日もミート・ソースのスパゲッティがでてきて、うんざりしながら食べる。小さなお小遣いをくれたので町へでてみる。でもそのお金で買えるものなど何もなくて、ブティックのショウ・ウインドウを眺めてため息をつきながら家族3人でとぼとぼ歩くだけ。命からがら逃げた先は天国なんかではないことを思い知る。このシーンが底抜けに悲しくて、忘れることができない。

ウンベルト・サバにしても須賀敦子の解説によれば、ユダヤ人としてトリエステに生きる苦悩があったというようなことが書かれている。

時代の中でオーストリアとイタリアの間を揺れ動いたこの町は、アドリア海の明るさとは裏腹に灰色の思い出に取り巻かれているのではないか。地図上で位置を確認しただけでもその複雑さが想像ついてしまう。空想の中でトリエステの坂道を歩きながらピンツァを味わった。


Michelina |MAIL