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長年生きてあれこれ経験すると、自分の能力というものがそこそこ見えている気になってしまう。挑戦する前から″出来ないかもしれない″と思うようなことは多々ある。
以前職場の先生のお話を書いた。半年前、彼にある課題を出された時は、出来ないよぉ、と心の中で泣いたが、それも今ではひとりでこなせるようになり、
「あの時はなんてヒドイ人なの!って思ったわ」
と笑い話にできるようになった。わたしが日々成長出来る理由はこの先生の精神の持ちようによるところが大きい。毎度、難題を持ってきて、出来る・出来る・あなたなら出来ると暗示をかけるように言いきかせるのだ。そして飴と鞭を使い分けて人を操るのが非常にうまい。
「解らなければ何度でも聞いてください(飴)。でもあなたなら3回くらいで覚えられると思います(鞭)」
こうしてわたしは先生にバカだと思われたくない一心で予習と復習を必死で繰り返すのである。
先日テレビであるジャーナリストの話を観た。念願叶ってカナダ軍の平和維持活動でアフガニスタン支援に参加した彼は、そのたった数ヶ月後に村人に斧で頭を殴打され、意識不明の重体となった。一生植物状態だろうと宣告されたにもかかわらず、意識が戻り、まぶたが動かせるようになった。記憶も精神もしっかりしていた。医者は今度はそれでも立って歩くことや自分で食事を取れるようになることは不可能だろうと宣告した。しかし彼と彼の家族はそれでも諦めない。毎日毎日必死でリハビリを続けた。やがて自力で食事を口に運べるようになり、話すことはほぼ問題がないというくらいまで回復した。彼はアフガニスタンに旅立つ時、″帰ったら結婚式を挙げよう″と妻に言い残していた。そして″彼はとにかく有言実行の人″と妻が信じた通り、二人は結婚式を挙げた。式の途中、かなりきつそうではあったが、彼はなんとか自分の力で車椅子から立ち上がった。
人間の可能性というのはなんて無限なのだろう。志あるところに力が宿るのだろう。この男性も家族もとにかく志が強い。出来る・出来る・出来るという強い思い込みが彼に立ち上がる力を与えたのだろう。
出来る・出来る・出来る・わたしなら出来る、そう信じて、出来ない、という想像は捨ててしまおう、経験がどうであれ。限りある人生の中に潜む無限の可能性を無駄にしないように。