My life as a cat
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2010年12月25日(土) 断・捨・離

だんしゃり 断・捨・離とは、
自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。
不要・不適・不快なモノとの関係を、
文字通り、断ち・捨て・離れ
引き算の解決方法によって停滞を取り除き
住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、
新陳代謝を促す・・・

住まいが、片づかないという悩みはもとより
身体の不調、煩わしい人間関係、忙しすぎる状況をも
解決していきます。

ー やました ひでこさんのウェブサイトより


NHKの番組で特集されていた「断捨離」。わたしが社会に出る頃には日本社会はもう「得る」ことよりも「捨てる」方向に向かっていたのだから、目新しいことではないけれど、この番組でコメンテーターがこんな事も述べていた。

「あらゆる情報をあちらこちらから入手できる現代において、必要な情報だけを残して、不要な情報を捨てるということも大事です。」

情報を捨てる。最近、自分より若い年代、つまり20代そこそこの同僚などと話していてふと心配になってしまうことがある。会話の中で、ほらっ、あれ何だっけ?とお互いに思い出せないことがあった時、彼らは数分後にはネットで調べてくるのだ。それどころか彼らの述べる「意見」すらどこかの記事からの切り抜きをオウムのごとく口にしているだけのように感じることがある。食べ物でも「賞味期限」の数字を信じて疑わない。そんなものは自分の舌で判断すればいいんじゃないか、と思ったりするが、彼らは自分の舌よりも誰かが明記した情報を固く信じる。過多な「情報」に溺れて自分の「平衡感覚」のようなものを失っていくのはもったいない。

こんな話も思い出した。先日、しばらく音信不通であったある友人の近況を人伝に聞いた。わたしが知っている彼女はリッチな男性と結婚したセレブなマダムだった。ゼロの数がカウントできないような高価なリングをさらりと「すごいでしょ?」と見せてくれる嫌味のない彼女が嫌いではなかったが、旦那の妄想する「良き日本人妻」像に完全に彼女が嵌め込まれているようなこの夫婦の様相はわたしを息苦しくさせた。パーティ好きな彼らはよくパーティに招待してくれたが、会話が下劣な方向にずれると旦那が身を乗り出してくるところや、おなかが落ち着いたらすぐにワイフに後片付けをさせるのが少し苦手だった。ここまでがわたしの知っているところ。ところが、その後旦那のビジネスが破綻し、破産宣告を申し入れ、二人は無一文にり、今は古くて小さなアパートに暮らし、妻は働きに出て、旦那は力仕事をして地道に生計をたてているらしい。その話をわたしにした友人が恐る恐る彼女に会ってみたら以前よりもいきいきと暮らしていたというのだ。太ったら離婚するなどと発言し、妻にダイエット用のタブレットなどを服用させていた旦那は、一文無しになっても一緒にいる道を選んでくれた妻に感謝するようになり、小さなアパートで二人の愛情はより深まっているそうだ。不要なものを全て取り除いたらそこに大きな愛が見えたというお話だ。

さて、わたしは久々に有給を取り、ただでさえ超ごきげんなタキのもとにダミアン・サンタがチキンを抱えてやってきた。ダミアン・サンタとチキンを貪り、常にわたし達の間ににょきにょきと割って入り、骨折でもしやしないかと心配になるくらい興奮して見せた。ダミアン・サンタはわたしにもプレゼントをくれた。フードプロセッサーと彼が"ルネサンスの匂いがする"と表現した素敵なネックレス。どちらもわたしの「欲しいものリスト」に入っていたもの。わたしもタキもダミアンもみんなハッピーなクリスマスを迎えた。


Michelina |MAIL