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銀座でたまたま入ったベトナミーズ・レストランはやっぱりイマイチ。東京では東南アジア料理も上品に味付けされていて、現地の大衆食堂のような味を期待して行くと落胆する。店員はみんな流暢な日本語を話す。ひとり黙々と食べながらハノイで訪れた日本語学校のことを思い出した。
銀座の明治屋まで行かなければライスペーパーすら手に入らなかった頃、食材を買い集めてベトナム料理に夢中になっている姪として、叔父がそこの学校でボランティアで教師をしている知人が帰国した際に紹介してくれたのだ。たった一分くらい顔を合わせて、
「一度遊びに来たらいいよ。」
と手渡された名刺を握り締めて、2年後アポイントもなしにベトナムに行った。そこの住所にはもういなかったものの新しい居場所はすぐにつきとめることができた。叔父の知人意外の教員はみんなわたしと同年代の完璧な日本語を話すベトナム人だった。食事に行ったり案内してもらったりして顔馴染みになったけれど、みんなシャイであまり打ち解けなかったように思う。ある日、軽く5分くらい授業に参加してみないかと誘われ教室に入った。生徒はビジネスマンばかりだという。先生が、質問がある人!と言ってもみんな消極的で恥ずかしそうにしている。しかし、初めにいきなり来た質問は、
「日本にいるベトナム人は本当にそんなに悪いことばかりするのか?」
だった。知っているベトナム人はあまり良くなかった。悪いことをする為に来る訳ではないのだ、きっと。選択肢がないだけだ。それに貧困から抜け出したい人々を利用して搾取する日本人はもっと悪い。でも言わなかった。
「悪い人もいるけど、良い人もいる。」
と答えた。みんないつかは日本に行くのかと聞き返したら、一揆に空気が重くなったように感じた。ひとりが、
「みんな行けません。すごく難しいです。この中のほんの数人だけ。」
と答えた。
職員室に戻ったら知人とベトナム人の教員達がもめていた。知人は授業中、日本に来ても男は過酷な労働して、女はダンサーになってしまうという現実を話してしまったのだ。それに対してベトナム人教員達は、
「あなたの仕事は日本語を教えることだけ。夢を壊すことではない。」
と怒った。心底ベトナムとベトナム人を愛している知人には見るに耐えないことだったのだろう。
教員のひとりが隣のカフェに誘ってくれた。作家が集うカフェらしく客を一瞥しながらあの人はこんな話を書いているとか教えてくれた。コーヒー一杯30円。当然彼の分もわたしが払うつもりだったのに、彼がさっさと払ってしまって、気にしないでと言う。彼にとっても痛い出費ではないだろうけれど、わたしが払ったほうが断然簡単だったのに。もうひとつお土産があった。ホーチミンのレストランでウエイターの男の子に、箸置きが可愛いね、と言ったら帰りにそっとくれたのだ。オーナーのパーミションがあったかは知らないが。今はそうではないことが解ったけれど、その時はたかられた経験しかなかったから、それが酷く健気に思えて胸がジンとした。
あの店員達はほんの数人の「選ばれた人々」なのだろうか。銀座の真ん中で法外な賃金で働いているとは考えにくいから、成功したと言える部類の人々なのだろうか。