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| 2006年05月09日(火) |
えーー!お久しぶり! |
すれ違う瞬間にふと目が合って、ものすごいスピード感のある懐かしさがこみあげた。カレン!!ミケリーナ!とお互いに奇声をあげて立ち止まった。3年半以上も前のシェア・メイトとばったり再会してしまったのです。
カレンは香港からの移民で、若い見た目とは裏腹にお姉ちゃんのような存在で、いつも頼りないわたしをあれこれと面倒みてくれた。チャイニーズ・ビッチとはここでよく使われてしまう言葉だけれど、彼女は都会の知識人らしい先進国的な常識というものが備わっていていたからたちまち仲良くなった。そこに年下のチャイニーズ・マレーシアンのジャニスも引っ越してきて三人でドライブにでたりするようになった。ジャニスも移民で、どのみち二人ともここでの生活が長かったからあれこれと面倒を見てくれて、わたしはいつも妹のように二人の後ろに嬉々として着いて行くだけだった。一度、ジャニスがマレーシアから来たという男の子を連れて帰ってきて、三人で夜のキングス・パークを散歩した。いつになくジャニスは恥ずかしがりやの小さな女の子のように振舞っていて、この二人はどういう関係なのだろうと想像した。彼をホテルで降ろしてからの帰り道、「ねぇ、わたしは彼が好きなの。どうしたらいいのかな。」と呟くように小さな声で打ち明けられて、到底できないことを解りながら咄嗟に「好きって言えば?」と答えて、彼女を失望させた。次の日の夜、彼が家にやってきて泊まっていくという。ジャニスの部屋は彼に貸して、彼女はカレンの部屋に寝るといってせっせとマットレスを運んでいた。わたしが「好きなら、一緒に寝れば」と提案するとジャニスは目を真ん丸にして「えええ!!」と悲鳴をあげていた。カレンも日本人のBFがいたけれど、そういったことになるとわたしが一番お姉ちゃんのように逆転してしまった。クリスマスには敬虔な仏教徒でベジタリアンのジャニスの手料理を食べた。そしてそれが三人で摂った最後の食事だった。次の夜、二度も強盗に押し入られて、三人とも知人を頼って散ってしまった。しばらくして、カレンと公園で待ち合わせて再会した時、彼女はしばらく香港に帰るのだと言って"If you need any help,just e-mail me"とアドレスと英語の辞書を残していった。英語に慣れた今ならわたしも「何かあったら連絡して」というくらいの意味でこの言葉を使うけれど、その時はHelpという言葉がとても大きな救済のように思えて、いざとなったら連絡できるところが出来たことを心強く思った。
まだここにいたなんて!!と驚かれて顛末を話すと、「残念ね。わたしもあの時のBFとは距離に負けて去年別れてしまったの。」と言っていた。「じゃぁ、わたしは仕事中だからそろそろ行くわ。If you need any help, just call me」と三年半前と同じように言い残してくれた。