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| 2006年02月16日(木) |
Japanese story |
"Japanese story"というオーストラリア映画を観た。日本からやってきたビジネスマンのヒロミツを会社の都合で案内することになってしまったオージー女性のサンディ。はじめはお互いに閉ざしていた心も広大なアウトバックをの中ですこしずつ溶け出していくのだが・・・・という話。
出だしは全てにおいて「最悪」のひとことに尽きる。だって社長の息子であるヒロミツの態度たるや、レディスファーストとかそういった文化的背景云々ではなく、ただただ人として非常識で失礼極まりないし、平和ボケで抜けている。オージーからみた日本男児像ってこんなに酷いものなのか、いやここまで酷くない、でも大袈裟に描かれているだけで決して間違ってはない、、、と虚しさと口惜しさとバカバカしさの混じったなんとも嫌な気持ちにさせられる。まずアウトバックへ何の予備知識もつけずに来て、意志疎通くらいできる英語のスキルがあるにも関わらず、英語で話しかけてくるサンディにニコリともせずひたすら「はい、はい」と応答する。重いラゲッジを自ら車に積むことはせず、「お客様」気分で女性のサンディに積ませる。そしてサンディの運転する車の助手席で携帯電話を取り出し彼女に日本語が通じないのをいいことに「ドライバーが女でさぁ、すぐまくし立てて気の強いのなんのって。え?うん、目は青い。え?うん、やっぱケツはでかい、、、」と話している。飲みに行けばすぐに潰れてしまうし。
中盤はそんなヒロミツが大自然の中でサンディに心を開いて行くのだが、結局のところ、日本男児って蓋を開けてみれば悪い人間じゃない、ただちょっと思いやりに欠けて気が利かなくてデリカシーがなくてひ弱なだけなの、よく笑うし、ジョークも言うのよというフォローがついただけのような展開。
そしてここには「黙って耐える女」という日本人女性像も描かれているのだが、オージー女性と比較すれば日本人女性がいかに忍耐強いか解るから、これも大袈裟ながらも間違ってはいない。ただおかしいのはヒロミツは現代日本男児像であるのに、妻に描かれる日本人女性像は古代大和撫子のままであるということ。
映画は午後1:30の奥様劇場のような出来映えだけれど、異文化を持つ人々に映る日本人像に少なからず衝撃を与えられる。わたしなどもここから日本に帰るとこの国の男は国際化などと唄いながら鎖国に向かっているのではないかと思ってしまう。サムライのほうがよほど国際人的な要素を兼ね備えていたのではないだろうか。