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ちょうど1年前に書いた「切ない」という感情について。それから何度も同じところを彷徨ってみたが、今のところ外国人にもそういう感情があるだろうというところに治まっている。そもそも「切ない」という感情は曖昧で複雑で深い。確かにわたしが持っているこの感情は説明し難いが、前回この記事を書いた時に薦めてもらった「せつない話−山田詠美編」の中によい参考になる解釈を見つけた。
<以下抜粋>
どんな時に「せつない」と感じるのか、自分自身の心の動きを考えてみようとする。すると、この言葉は、どうやら涙腺に関係しているらしいことが解る。涙腺に関係しながらも、涙にはあまり関係していないという不思議な代物である。万が一、涙に関係している場合も、五粒以内の涙である。瞳から流れ落ちるのが五粒以内の涙であれば「せつなさ」を原因としているのであるが、それ以上であれば、その原因となる感情は「悲しい」と呼んだほうが正しいだろう。
悲しいのだけれど、悲しいと呼ぶ程でもない。苦しいのだけれど、それを口にだすほどでもない。せつない感情は、涙腺を刺激しながらも五粒以内の涙で解決することの出来ない複雑なものである。
これは外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許された感情のムーヴメントで、この感情を作り出すフィルターは、ソフィスティケイティッドされた内側を持つ大人だけが所有しているとも書かれている。
五粒に凝縮された濃度の濃い涙。わたしはどんな時にこんな涙を流しただろうと考える。いつでも感情の激しいわたしには特定の出来事を思いだすことは出来ないが、人間が草臥れていくのを見るとき胸の内にこんな涙が迫ってくる。帰国したわたしを空港まで迎えにくる母親の背中が前よりも丸まってしまっていることに気付いた時や一時的な鬱病にかかった父が自分の名前を忘れてしまった時。どこにもいかないでとしがみつきたいのに手を振り解かれることが解かっている。どうにもせき止められない時間の経過にわたしは五粒に凝縮された涙を流す。