気がつきゃライブの時間だぜ
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2009年07月12日(日)   ◎第29回宵々山コンサート@京都円山野外音楽堂

7月12日、京都円山音楽堂で行われた
宵々山コンサートに行ってきました。

このコンサートは36年前に、
永六輔さん、高石ともやが主宰で始められたコンサートです。

コンサートと名付けられていますが、
音楽だけではなく
いろんなジャンルからのゲストが招かれ、
その素晴らしい芸と人の重みを伝えてくれるコンサートです。


わたしがこのコンサートに初めて参加したのは
第4回目のコンサートでした。

始発電車で出かけ、蒸し暑い中、
10時間以上も列に並び 入場しました。

その時のゲストは、
一代目高橋竹山、黒柳徹子、石川鷹彦。

高校生だったわたしに
高橋竹山さんの津軽三味線の良さがわかったかと言えば
それはとてもそうだとは言えないでしょう。

でもその後、何度か津軽三味線を聴く機会がありましたが、
どうしてもしっくりくるものがなく
「わたしのイメージしてるのんと どっかちゃうなあ。」 と思っていました。

そしてある時、わかったのです。

わたしの中の津軽三味線は
あの高校生のときに聴いた、高橋竹山さんの演奏だったのです。

つまりは、若い一番多感な時期に
最高の演奏をすでに聴いてしまってたわけです。


わたしにとって 宵々山コンサートとは
そんなコンサートでした。

まっさらな、なんの予備知識もないところに
その世界の高い水準にある芸を体験させられるコンサートでした。

それに気づくまでは
だいすきなザ・ナターシャー・セブンの演奏が聴ける
コンサートのひとつだったのが、
それ以降は
「今年のゲストは誰なんだろう。」 と
ゲストを楽しみにするコンサートへと変わっていきました。


ゲストはほんとに多彩でした。

赤塚不二雄、タモリ、岸田今日子、おすぎとピーコ、松山千春、
小田和正、加藤和彦、谷啓、淀川長治、中村八大、君原健二、
桂米朝、やしきたかじん、笑福亭鶴瓶、三上寛、遠藤賢治、渥美清、
浅草木馬館の安木節のおばあちゃんたち、かまやつひろし、ミヤコ蝶々
谷口又士とオールドボーイオールスターズ、由紀さおり、岩崎宏美・・・・・

ゲストというよりは レギュラーで出演していた人たちも
たくさんいました。

杉田二郎、北山修、自切排人とヒューマン・ズー、諸口あきら・・・・


わたしが今でも夏がすきなのは
このコンサートを心待ちにしていた
あの頃の記憶がのこっているからなのです。



そんなコンサートもザ・ナターシャー・セブンの解散とともに
一時期休止されました。

しかし、休止されていた時期にも
必ず宵々山コンサートの日には
円山音楽堂のスケジュールをおさえて
宵々山コンサートの再開に情熱を傾けた人たちがいました。


そして、1994年、再び宵々山コンサートが開催されました。
そこでも たくさんのゲストが呼ばれました。

岡本文弥、ゴローショー、ソウル・フラワー・モノノメ・サミット、
茂山家の若い子たち、灰谷健次郎・・・

そして、なんといっても 1998年、
ザ・ナターシャー・セブンが再結成されました。

ザ・ナターシャー・セブンの再結成は
わたしのなによりも大きな願いでした。

もう一度ナターシャーが聴けたら
ほんとに死んでもいいと思っていました。

永六輔さんが 「ザ・ナターシャー・セブン!!!」 と紹介したときの
震えるような感激は 今でも忘れられません。


それから5年間、ザ・ナターシャー・セブンは
年に一回宵々山コンサートで演奏をしました。

しかし、いろいろな事情に加え、
メンバーの坂庭省悟さんの死、城田じゅんじさんの刑事事件があって
ザ・ナターシャー・セブンの演奏は
もう二度ときけなくなってしまいました。

そのショックと、
コンサートに行くことで思い出してしまうだろう辛い出来事に、
わたしは しばらく宵々山コンサートにはいきませんでした。


今年も 「今年で最後」という話は聞いたものの、
最初は行くつもりはありませんでした。

ところがある日、TVで見た、
「遠くへ行きたい」の再放送に出演していた
永六輔さんの姿を見て ちょっと驚きました。

それが2006年の放送だったにもかかわらず、
わたしが知っている永さんとはくらべようもないくらいに
年老いておられたのです。

わたしが 過去を乗り越えられずにいた間に
この人はこんなにも年を重ねていたんだ。

わたしは、宵々山コンサートでどれだけのものを得ただろう。

いや、そんなどころじゃない。

自分の感性のすべて、生き方のすべてを
このコンサートで培ってきたんだ。

そして、わたしの青春だった。

行かなくっちゃ、今年は。
お礼を言わなくちゃ。



当日。

阪急電車に乗っていると メールが届きました。
以前、ずっと一緒にコンサートにかよっていたTちゃんからです。

「今、円山で並んでるけど、来てる?」

もう何年も連絡を取ってなかったのに
宵々山コンサートというパスワードでメールが来るんや。

もう、青春時代にもどったように
とてもうれしかったです。

で、会場で落ち合って一緒にコンサートを見ました。
あの頃のように。


永六輔さんは もっともっと年老いておられました。
かつて宵々山コンサートに出演され、
亡くなってしまった方々の音源を流して
宵々山コンサートを振り返るコーナーがありました。

そこに 高橋竹山さんの三味線が流れました。
聴いたとたんに、

「あ! この音や! わたしの知ってる津軽三味線や!」

と、思いました。


初めて宵々山コンサートに来て 
この椅子にすわって この音を聴いていた
高校生の自分が ここにいました。

そして思いました。

わたしの音楽は あのときに始まったんだと。


メインゲストは 和太鼓の藤本吉利さんでした。

力強さといい、切れのよさといい、
素晴らしい太鼓でした。

心の底から感動しました。


津軽三味線に始まったわたしの宵々山コンサートは、
そらを駆け巡るかのような
大きなエネルギーに満ちた太鼓の音で締めくくられました。

これは、きっと、
宵々山コンサートで得たものは
これからもずっとずっと生き続けるのだというメッセージだと思います。



ろうそくからろうそくへ、
火を移していく火入れ式の後、
桂米朝さんが登場して 「米朝締め」で、
このコンサートは終わりを迎えました。

高石ともやさんが、
別れの歌の数々を歌う中、
舞台セットがどんどんと片付けられていきました。

もしかしたら、来年、
宴が終わったあとの 「二次会コンサート」 が行われるかもしれない。

でも、わたしたちが
あんなに心をひとつによせた宵々山コンサートは
もうこれでほんとに終わってしまうんだ。

時が流れるって、こういうことなんだ。

言い知れぬ寂しさの中、
無事に終焉を迎えた宵々山コンサートを見届けることができて
ほんとによかったと思いました。

わたしはまだ、これから生き続けていきます。
この宵々山コンサートの思い出とともに。




終演後、昔なじみの裏方さんに御挨拶したくて
ちょっとしたツテにまぎれて ステージ裏へ入り込みました。
その人を見つける前に
永六輔さんとすれちがいました。
偶然目が会ったので わたしは思わず
「お疲れ様でした。」 と言いました。

永さんは、
「誰かな、知らんな。スタッフだったかな。」 というような表情で
少し笑って 通り過ぎていかれました。

最後にこの言葉を言えて よかった。



裏方Mさんは後片付けに追われていました。
声をかけると 「おお!」 と笑ってくださいました。

「おつかれさまでした。」 というと、
もっともっと笑顔になって

「終わった〜!!!」

って、うれしそうに言っておられました。


その笑顔と言葉に
わたしたちの青春は
なんて素晴らしかったんだろうと思いました。



その日に撮った写真は こちら です。
舞台までかなり遠かったので
スライドショーにしてみていただけると
なんとか雰囲気が伝わるかな、と思います。


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