気がつきゃライブの時間だぜ
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2007年04月15日(日)   ◎文楽四月公演@国立文楽劇場

 2年ぶりかな、文楽。
 しばらく行かないと 太棹の音が恋しくなります。

 四月公演の第1部は 近松門左衛門の 「心中宵庚申」 がかかるし、
 蓑助さんが お千代を遣うし、
 住大夫さんも出るので
 出かけることにしました。


 日記にも書いたんですが、
 幸運にも 入り口でチケットをいただいて
 今回は タダで見ることが出来ました。


 
 しかし、久々に見て思ったことは

 
 『文楽ってPUNKやなあ』




 だって、もう、
 お話の筋、ミドリのライブよりめちゃくちゃですよ。


 最初にやった 
 「玉藻前曦袂 (たまものまえあさひのたもと)」 の三段目。

 筋はややこしいから省略しますけど
 母親の発案で
 姉と妹が命をかけて 双六をするんです。

 負けた方が首を切られて 献上されるんですよ。

 娘二人は 白小袖の死装束で双六してる。


 双六なんて楽しいものが
 こんな残酷に使われてることに
 わたしは ものすごいショックを受けました。


 しかしこれは、荒んだ物語でもなんでもなく
 涙を誘う悲しいお話。

 現にわたしは
 二人が 双六をする姿に涙がとまりませんでした。



 でね、結局 妹が負けるんですけど
 殺されたのは姉で
 殺すために来た金藤次って侍は
 実は 姉娘の本当の父親だった、って
 
 もう なんだかかんだか わけわからない、
 文楽特有の御都合主義的な中味なんです。



 そんなあほな・・・・、と思いつつ
 大夫さんの浄瑠璃と 太棹の音と 人形のせつなさに
 泣いてるわたしは なんやねん?



 これが 文楽なんですよね・・・・・。




 そして 次は 「心中宵庚申」。

 これまた わかんないお話です。

 仲のよい夫婦が心中するんです。


 これも 筋はいろいろややこしいんで書きませんが

 (筋はややこしくないけど 人間模様がややこしい)

 真面目に働いて 真面目に人を恋して 真面目に生きてる二人なのに

 「ああ、つらいやろなあ、
  今の世の中やったら もう知るか、ですむことやけど
  あの時代のあの立場やったら
  死ぬしかないんかもしれへんなあ。」

 って 思ってしまうほどに 追い詰められる。
 
 
 恐ろしい話です。



 でも、あれですね、
 現代に生きてるわたしでさえ
 めちゃショックをうけるようなお話を
 江戸時代の庶民は 普通に楽しんでたわけですね。

 ある意味、刺激を求めてた?

 いろいろしがらみの中の
 大きな鬱積があったのかもしれないなあ、と思いました。




 
 大夫さんでは 今回、
 咲大夫さんと 嶋大夫さんがよかったです。

 咲大夫さん、泣きました。


 人形はやっぱり 蓑助さんです。


 あと、浄瑠璃の見事さに 気付きました。

 三味線は イントロもベースもリードもおかずもアウトロも
 みんな こなしてるんですよね。

 それが ボーカルと合いまうときの妙と言ったら
 なにも足せないし なにも引けない、
 突き詰めたシンプルさがあると感じました。


 また、大夫さんの義太夫の節には
 非常に宮本さんのボーカルに似たものを感じました。

 音を上げたり下げたりするときの節回しっていうのか、
 喉の使い方が よく似ているように思いました。




 途中で地震がありました。
 床 (大夫さんと三味線の人がいるところ) を
 照らしているライトが
 激しくぐらぐら揺れました。

 わたしは 出先で地震にあうのが初めてなので
 一瞬 ど、どうしよう、と思ったのですが、

 この時舞台にいた
 咲大夫さん、燕三さん、玉英さん、和生さん、文雀さん、玉女さんは
 誰一人 あわてるような素振りは みじんも見せず、
 なんら変わることなく
 舞台を勤めておられました。


 その様子を見ているうちに
 わたしも 落ち着いてきました。

 この人たちが 舞台を演ってるあいだは 大丈夫だ、って。


 そして きっとこの人たちは
 一度舞台に立ったら
 なにが起ころうと 舞台を捨てることはないのだろう、

 芸と心中するつもりで
 舞台に立つのだろう、


 と思いました。



 それならば わたしも、
 この人たちが それほどにかける舞台ならば
 わたしだって 命をかけてみていこう、って
 なんだか 変ですけど
 そんなものを感じました。


 


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