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2012年03月24日(土)
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くろねこルーシー ざっとした感想
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くろねこルーシー。 30分と短い時間と低予算(おそらく)を上手く使って、出演者とエピソードをしぼり、掌で慈しむ小品に仕上がっているとの印象。 なのに、ぎゅつと心をつかまれる感じがしないのは、もう好みとしか言えない。
一つには、占いって心に寄り添うものなのか?というところに、どうにもすわりの悪さを感じるため。 何をどう伝えても良いとは思わないけれど、聴きたい言葉を言ってあげるのが占いってところが、自分の考えとは違う。
結論は既にそれぞれの人の胸の中にある。あとは背中をそっと押してあげる。 確かに結論を出すのはその人だ。背中を押して欲しい人もいるだろう。だからそういう占いがあってもかまわん。 ただ、私の考えは違う。 私は、例えばホロスコープはエネルギーの視覚化だと思っていて、理解して使うもの、と考えている。 地図や天気図のように。 先の行動でも、過去の反省と分析でも、他者への理解でも、一種の取扱説明書の位置づけ。
「この城を落とすぜ」と決めるのはその人だけど、じゃあ夜襲なのか、闇夜を待つのか、この城は横腹が弱いぜとか、その手の戦略を読むのが占いだと。これは私の考え。 この人落とすには、どういう服来てイベントごとは派手に行くか、家庭的にちんまりやるか・・・とかね。 (例えがことごとく好戦的なのはどうかと)
なんとなく違和感がある。
あと自分が多少なりとも占いかじっててなんだが、ものすごく偏見で、男子一生の仕事としてどうなの?!との思いが拭えず仕舞い。
じゃあ何ならいいんだよ!っつーと、どんな仕事でも需要や必要性なんてあるようなないようなもので、 所詮は暇つぶしでしょという気もしているから、何であっても同じとは思うのだが。うーん。おかしいね。
もう一つがいい歳して今更?!という気持ち。覚悟だの、親子関係だの。 30年生きてきて今かよ!と、誠におめでたく、頭が春な緩さに馴染めないため。 キャラクターの年齢設定過ってないかなぁ・・・。 専門学校生作なら等身大でよかろうよ。
美紀ちゃんも母も占いの先生もハローワークの人も、怪しい占い師の弟子も、みな好きで、 後味も良く気分良く見終えられるのだけれども、気持ちは全く揺れず。
さらに付け加えるならば、どうもきっちり3次元の(つまりは等身大のリアル)役をやる山本さんにいま一つ馴染めないため。 そういや、慎吾ちゃんもそうだ。 結局似たもの同士だったのか。
だから、映画からあまりお声がかからないのか。 今の映画界、特に中規模作品は、等身大大好きなんだもの。 隣に並んでもたれたいような優しい作品もあるけれど物語の作れなささを、現実って平板だからで逃げてるような作品もある。
さらには、「みんな冴えないよね。」「いけてないよね。」の同調圧力と言うか。 被害者に成りたがりというか。
ニュース見ていて思うんだけど、"ガソリン価格が下がってガソリンスタンド悲鳴"とかはニュースになるのに、逆はならない。じゃあ今みたいにガソリン価格上がった時に、"なにもしないのに利幅2倍っすよ。笑いが止まりませんよ"とかの報道は全くなく、やるのは"運送業者悲鳴"ばかり。
嫉妬と自分より下を見て安心したい心理 なのかなぁ。。。要は一種の洗脳?!と思えてしまい、 どうにもぐだぐだした日常の柔らかさを描く映画に食指が伸びない。
おまけに、等身大を狙いすぎて、モール作った『思いで横丁』みたいに、マーケティングのみのぺらぺらのもあって、こいつは安っぽすぎて論外。 もっと軽やかなファンタジーもいいのにな。所詮は作り物なんだから。
あ、別に山本さんに映画に出て欲しいわけではなく。 舞台が何をももって代え難く、さらには選択肢には満足しているので。 ただ、そういう流行だからかな、と思ったまで。
と、色々思うところはありつつも、『くろねこルーシー』楽しい作品でした。 多謝。何より眼福でありました。
alain
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