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「作家の成長・方向転換についてこれない読者は、時にやっかいだ。」 とのエッセイをどこで読んだのかは忘れた。
分からんでもないが。
でも、離れていくものがあっても、それが素晴らしいものであるならば、新たな読者も獲得できるのでは? 新たに字を覚える世代はかつてより少ないとはいえ、途切れることなく続いてく。
ということは、先細りというのは、どう、説明付けようとも、要に下り坂ということだろう。 頭に浮かぶのはあの人とかあの人とか。 でも、1つ。魂注いだ素敵な作品が出来ればそれで良いじゃないか。ジョナサンだってそうだ。
もう一つ。 好きは自分の中の何かとの感応であって、ある作家のある時代の一部分だけ好き、というのもあり、と思う。
WOWOWの『洋楽主義』とか『Queen』特集番組を見た。 初めて、しっかり年代を追って見た。
私は初期のが好きなんだ、と知った。 8作目のアルバム『ザ・ゲーム』だと、もう別にQueenじゃなくてもいいや、と言う感じ。 きらきら・ちゃらちゃら。ゴスロリにも通じる美意識 が好きなんだろうな。
日本で受けたっつーのは納得。
改めてQueen聞き直して、ほぉんと再確認。古びないなー。
前に松本人志が"普遍的な笑い"を作りたい のようなことを言っていた。
普遍的は言い過ぎとしても時がたっても流行遅れにならないもの、ファストフードのように消費されるものがあるのはわかる。 自分の身近な例では、服。
デザイナーの趣味嗜好が出ている服は寿命が長い。 何年着ても何時のだかわからん。
逆に。マーケティングの具体化のような服は翌年はOUT。
流行の流れに吹き飛ばされず、永遠に佇むのは、 風を受けて進みつつも、結局自分の行きたいところに行く、わがままな美学者 なんだろうなと思う。
alain
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