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2010年12月23日(木)
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12/22(水) GODSPELL ソワレの感想
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前日に満月。しかも月食。さらに太陽が山羊座に移動(つまり冬至)。 中々に派手っちい日だ。 見に行くならこの日か?!と見に行きました。
22日 GODSPELL ソワレ。
確かに派手なだけあった。 聞いた話ではマチネでは電車事故。 ソワレでは一部からマイクの雑音が一度二度あり、結局アフロくんのマイク故障。 さらには精薄っぽい人が終始うなっている客席。
MY楽にして、何と言うか。。。 GODSPELLを見て「おんどりゃ死ねや!」とか思っては行かんと思いつつ、あーもう。 彼女も彼女なりに楽しんでいるのであり、人の楽しみ方をあれこれ縛ってはいかん。と思いつつも。あーもう!
溜息ばかり。 舞台に浸る度60%減。
が、これは3回目だから言えることだろうが、集中力が殺がれた分、見えたものがある。 (初にして最後という人も居ただろうし、もう気の毒としか言えない)
それらこれらを脈略なく思いつくままに終着点も決めずに書き出す。 細かいことは前2回に書いたから、3回目通しての思いをつらつらと。
======================================================== キリスト教について、なぁんか嫌だなぁと思う時にまず頭をよぎる言葉が出てくる。
「神とは裁くものなのか」
なんだっけ?これ。 とずっと考えていて、ようやくわかった。 『百億の昼と千億の夜』でのユダの言葉だ。
小学生の頃、親戚の家で、萩尾望都のマンガ版で読んだ。 ずっと心に残っていた。本を買って自分のモノにしたのは成人後。
キリスト教に何に眉をひそめるかというと、 「悪いことをすると地獄に落ちるよ」ではなく、「神を信じない」ことをも罪悪とすること。 ノアの箱舟にしても、ああ、これはまた『はみだしっ子』なのだが(子供の頃見たものが全てってホントね)
「邪魔ものを全てぶち殺せ!」「皆殺しにして新しく築く!ノアの箱舟の話だよ!」
それを体現したのがアメリカか。 キリスト教における神は人を分別する。基準は神の言葉を聞くか否か。 そんな風に自分の言うことを聞くか聞かないかで人を裁き、貶める人のが神なのだろうか? というとこが、キリスト教に親和出来ない最大の理由。
なので、正直GODSPELLの各寓話については、表現力(脚本と役者と演出について)は評価しつつも 内容は受け入れ難い(ものもある)
では神ってなんだろう?
今思うのは『神とは感謝する』もの。 裁くものでもなく、お願いするものでもなく、あらゆる生命を作り生かして下さっている大きな力に感謝する、 今ここにいることをただ感謝する そんなもの。
あぁこれって、耕平くんが歌う『ALL GOOD GIFTS』の歌詞と同じだね。 だからこれは染みるのか。
Jesus=山本さんについて。 ここ一カ月で、西田敏行さんには月と評され、高橋克典さんに太陽と呼ばれ、明星さんには海を感じられる。 アマテラスとツキヨミとスサノオのスリーセブンだ。
何故か大自然に例えられる。 そういえば、Jesusは人々を教え導く存在なのに何故か父性を感じない。
では父性って何?
思うに父性や母性は自分より弱いものに対する心性であり、母性は能動的(具体的にはあれこれ世話を焼くこと)であり、生物として身体として今日を生き抜くことをサポートすること。父性とは静的であり(要するに教え見守る)か弱き個人が社会に対峙した時に生き抜くことが出来る力をつけさせること。 それは規範であり、統制であり、知識であり、財力であり、権力、総じて言えば、義務と責任と力 である。
として思うと。 Jesusは身近で今日の栄養を口に運んでくれる母性ではなく、さらに、外界と接して生き抜く「力」を鍛える父性でもない。
じゃぁなんだろう?
思いついたのが、ユングのアーキタイプで言うところの"老賢人"。 現実の社会的な権威とはるかに超える仙人。 仙人はしばしば"童子"に姿を替えて現れる。
大人のような、子供のような。(Byとみい) 純粋無垢なのに純潔でなさそう(ByTeppen)
あぁこの評と同じだ。そうかー。 老賢人=枠を、身体とか社会とかいう枠を、超えた存在なんだ。 だから母性でも父性でもない。それより大きい。じゃあなんだ?
思うに場なんじゃなかろうか。 あらゆるものがその可能性を枠に縛られずにのびのびを己の命を伸ばせる場。
それは要するに自然。山であり海であり光であり地球であり宇宙である。 なるほど、だから、自然物に例えられてるのか。
繰り返しになるが、GODSPELLのキリスト教の寓話には頷けないところもある。 が、場は感じた。
あらゆる生命をそのままの形で許容する愛の場。 先に書いたが、舞台に浸る度60%減だった所為(おかげ?)で、個々人のスキルについてしっかりと味わうことが出来なかった。 なので、よりはっきりと感じたものは、愛の磁場だった。 "ただならぬ包容力"(by 明星さん)との表現と重なるね。
精薄っぽい人が発する雑音には溜息ばかりであったけれども、これもまた巡り合わせであり、 出会いだったのだろう。と今思う。(3回目の余裕が大きい)
GODSPELLの幕が開き、回を重ねるごとに客席は盛り上がりを増し、あと数公演のところまで来た今、 山本さんがどんな気持ちでいるか、は理解することが出来ない。 この舞台に立つまでにどれだけの紆余曲折を労力をかけてきたか、も理解することは出来ない。 今後、情報として知ったとしても、永久に理解することは出来ないだろう。それは当人しかわからない。
が、この場所の楽しさをわけあうことは出来る。 舞台の熱量を、演者の情熱を、愛情を、その場を一緒に感じ、共に味わうことは出来る。
それは他の人についても同じ。 ある人が朗らかに笑える今に至るまでに、どんな日々を経てきたか。 それを理解することは出来ない。
ただ、今の笑顔をいつくしむことは出来る。 過去もなく、未来もなく、いまここの自分を愛す。関わった人を物を愛す。 それが私にとっての、No Day But Today。 もしくは「例えばここに生きていること。それ以上確かなことなどなく」
この舞台の感想のGOALはこれでした。 指にまかせて書いていたら何かまとまったね。(って思うの私だけ?)
最後に。 細かい感想を。
・山本さんの年齢域のサビアンで見ると、『いきなり笑いだす少女の顔』 受容性を意味しており、拒否しないことで自分に必要なものを引き寄せる姿勢。 そして、これにアスペクトととるのが土星でサビアンが『ベストを着ていない聖歌隊』 特別に煌びやかな衣装を着なくても、集え歌えばそこに崇高な気持ちはある、と。 日常服の聖歌隊w。もうばっちり。素敵過ぎる。 ・演出がどこがとは指摘できないけれど変わっていたところがちょこちょこあった気がする。 ・なつきの声が大分落ち着いていて良かった。 ・上手い人でも微妙に声がぶれる。Teppenくんとかも。 が、全くぶれないで音を取るのが、まみさん。みやちゃん。明星さん。美紀ちゃん。 山本さんは言わずもがな。 ・「あぁエルサレム」と突然嘆かれても気持ちが醒める。 ・美紀ちゃん好きだ。 ・まみさん絶唱。絶好調。 ・山本さんの声も伸びやかで絶好調でした。 ・「寂しさのあまり死んでしまいそうだ。」胸が締め付けられるほどに切ない。
ここまで来たら、最後まで皆笑顔で全公演を終えることを願うのみ。 こんな時はやっぱり、神様にお祈りしたくなる。願いたくなる。 神様って何だろう?
あ、戻ってしまった。 明星さんのソロに戻るように。 LOOPがつまり生きてくことか。
alain
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