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2010年08月22日(日)

SWITCH9月号 Karl Helmut × SWITCH の感想

ケータイの機種変更をした。
何やら通話方式が古いとかで来年には使えなくなってしまう機種だったのだ。我ながら物持ちが良い。

5月に土方歳三資料館で購入した、和泉守兼定蒔絵シールを貼る。
意図していたわけではないが、色合いもぴったり!!


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さて、SWITCH9月号。

ピンクハウスは自分で着る気はさらさらないが、"想いを込めて作っている服であり、
1シーズン着て捨ててしまう服の対極にある"という志は尊重する。

ピンクハウスではないけれど、そういう想いの籠っている服を買おうと思うし、そうしている積り。
買うことは消費者として出来る唯一の応援であり、支持の表明。

でも、ずーっと着てるから、長い目で見ると案外お金使ってなかったりもする。
高校生の卒業式用に清水買いしたKENZOのスカートはリフォームして未だに着ている。
もう死ぬまで着てやる。と考えると5万円も高くない。50年着れば10年で1万。
(50年着ることが現実味を帯びている)


以下は、山本さんのインタヴューを読んで連想を走った順に。

まず、白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)
「一点の汚れもない白い球であろうとさらに磨くべし。」

そこから枝分かれして、
前にも書いたことがあったが、橋本治が『虹のヲルゴオル』の中で、
"美少女はどんなに汚れても水を流せば白いまんまの便器のような存在"と言っていたこと。
便器ではなんなので・・・。

例えば、真っ白の茶碗。白磁というのか?
目の前に浮かぶのは釉薬が溶けて表面がガラス状のヤツ。

私の中で表現者としての山本さん(あくまで表現者もしくは演技者としての)はそんな印象。
汚れず、強く、完全形(もしくは完全形であろうとする。もしくはあるべきと思っている。もちろんいずれも主語はHE)な存在。

だけれども、日本の美は欠けがない茶碗のみが評価されるわけではない。
接ぎがあったり、焼きの過程で起こる不作為な色むらや滲み、時に灰の跡ですら、美となる。
その、"抜け"の感覚、ほころびやゆるみが産む不作為なおかしみを彼の演技から感じたことがない。
(演技ではないところにはありありなのだが・・・)

あぁだから、まるっと本体をくるんでしまうコスプレ(時代劇を含む)にはハマるのに、
いわゆる"小さな幸せを淡々と描く"系の映画へのキャスティングがないのか・・・?

阿野さんのようにきっちり仕上げてしまうコメディならあるんだけど、もしくは時田さんのように。
いずれにしても全力で完全なんだよなぁ。


と、考えたあたりで、あーなるほど。
どうしてこの人がこんなに気になるのか分かってきた。

欠けていないものはいつかはかける。満月が欠けるように。
いつ壊れるかいつ欠けるかのハラハラ・ドキドキなスリルがまず一つ。
次に綺麗なものこそめちゃくちゃに壊してみたい、壊れるところを見たい。可虐心が二つ目。
白さを守りたい庇護心もまぁ無くはない。三つ目。

比率はどうなんだろう?
意識上では1,2が多そうだが、意識下もありそうで、明言は避ける。

水星逆行にどんぴしゃはまる『GODSPELL』が破壊とはとても思えず、
むしろ"尚可磨"だろうし、『テンペスト』がトリガーになる気もしない・・・。

生物である限りいつかは有機物が腐敗して崩れていくものだが、ぐずぐずになっていくのを見たいわけじゃないのだよ。
欠けてなお、傷跡が美になるような再生を。

言うなれば一閃の金接ぎが入った白磁。
渋さと技量と愛嬌で、完全無欠な白磁とはまた異なった味わいが感じられそうだが、それはもっと先のお楽しみのようだ。


というのが、読後の感想なのでした。


alain

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