INDEX
prevnext
2007年12月25日(火)

ボーナスとクリスマスプレゼントと寄付

3つのお題みたいだが、ここ数日考えていたことに題をつけるならばこうなる。
世間のクリスマスシーズンとは全く関係なく、気持ちはかなり沈んでいた。

そーいや、先日の音叉セラピーで施術者に言われた。
「何か、色んなことを考えている感じがしました。
混乱とかぐちゃぐちゃしているというわけじゃなく、嫌な感じじゃないんだけど、
とにかく色々なことをひっきりなしに考えている人だな・・・って思った。」と。

鋭い。確かにそうです。
でも有る意味楽であったりもするんだが。
だって心の真ん中に「これってどーゆーことだろう?」っていうお題を抱えている時って、
心の80%がそれに注力しているから、他の事に振り回されることがなく、落ち着いていられる。
仕事で出社したりした連休だったから、かえって良かったとも言える。
メインの考え事以外は淡々と事務処理としてこなせば良いから。

ようやく気持ちにオチがついたので、まとめて書いてみる。
今回は、発端はある不愉快な感情から。

ボーナスが出たんですよ。
いや、これはいいの。
(額もまだ幾らだか知らないけど、口座に入っているらしい。別に用事も無いので見てもいないが。)

ボーナスが入るとね、ここ最近日本育英会に寄付をしているんだ。
額はわずか3,000円ぽっきり。
半年間働いて無事にボーナスが貰えた事への世間様へのお礼でもあり、次の半年への呼び水でもあり。
そんな気持ちで。

今までって、寄付をするとね。
ちらしというか新聞(さりげないお礼の言葉あり)と次の振込み用紙とを送ってくれた。
今年も寄付すっかーと、そして気づいた。振込用紙貰ってない・・・。
「ふーん。」(← 面白くない)

と咄嗟に思って、そして沈んだ。
私は感謝が欲しかったんだって、あからさまに見えてしまったから。

バザーとかボランティアとかチャリティーとかに対して、微妙に近づきがたいのは、ここの一点にある。
一般に無料、もしくは、格安にて物質や労力やサービスを提供する奉仕活動に対して、
自分の気持ちの回路をどう動かせば良いのか、まだ決められないのだ。

例えばそれは、行う側としても、受け取る側としても。
わかりやすいのは行う側の想像だ。

例えば、Bigissue関連で言うと。
ボランティアで炊き出しをしたとしよう。
材料を自腹きって買って、せっせと調理をし、配膳をして。

その結果「何か味が寝ぼけてね?」とか「悪くは無いけど・・・まぁ普通。」とか言われたら、
自分はどう思うかということ。

悪く言われて気持ちの良い人はいない。けっ!畜生!と思うのはまだ良いんだ。
その上、絶対間違いなく。
「ただで食ってるくせにごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」って思うはずだ。

でもこれって可笑しい。
代金を支払わずに受け取ることと、自分の好みを言うことは全然関係のないことじゃないか。
動機が善意なら、デキがどうであれ黙って有難く受け取れってか?
じゃあさ。
「ただでしてやってるんだから文句言うんじゃない」っていうのならば、逆にお金を払えば何を言ってもよいのか。
お金の多寡と発言の権利は反比例するのか?
それじゃあ札束で顔はたくようなオヤジと一緒だ。

どんな交流でも作用と反作用だと思っている。
商品とお金の交換。←と→で向きが逆。
じゃあチャリティは?と思うと、提供の代償は何なんだろう?

感謝の強制か?褒め言葉と賛美の強要か?
「ありがとう」以外は聞きたくない。
どうして素直に褒め称えないかな。私の高潔な奉仕の精神を。

人の気持ちっていうお金じゃないものを要求しているのならば、それはお金取るよりたちが悪いじゃないか。

あぁイスラムとかヒンドゥーって良く出来ているなぁと、ここで思ったよ。
かの地では、施しを貰うほうは別に感謝なぞしないのだと。
"施し"という徳を積む行為をさせて上げているのだから、礼を言われても良いくらいだと。
皆が思っているか否かは知らないが、考え方としてあるとは聞いている。

この場合、作用と反作用は綺麗に完結する。
施し→に対して、←徳であって、相手が有難く受け取ってくれるか否かに関わらず、常に等価交換が成り立つ。
思考の逃避でもあるけれど、宗教って社会の知恵だね。
余計なループをせず、生産的なことに頭を使えって言うことなんだろうな。


寄付もそうだが、同じ意味でクリスマスプレゼントも苦手だ。
相手の反応を期待して、期待しているだけならいいんだ。
思ったとおりに相手がリアクションしてくれないことに対して、自分ががっかりしたり
(勝手に思い違いをして失望する)腹を立てたり、そんなことをしそうな自分がなー、情けない。

プレゼントを選ぶのに、そこまで気持ちががーっと行ってしまい、かなり暗くなってしまう。
なのでほぼ、気に入っても気に入らなくても時間がたつと消えるお花とか食べ物飲み物を選ぶことがほとんど。


と、まぁこんなことを考えていた。
浮き浮きしながらプレゼントを選んだり、現地でボランティア活動したりする人って、
どう気持ちに落とし前つけているのかを知りたい。
あと、東京に住む身としては、被災者になった時に、どう寄付と善意に反応するか?とかも。
「コンビニのおにぎり、きらい。」とか言っちゃあいけないんだろうな。
善意からお金も取らずにくれてるんだから。でもきらいー・・・・。

話は戻るが。
結局育英会への3,000円の寄付はどうしようか。

するつもりです。
まぁ3,000円くらいだし。一応続けてきているし。

反作用はどうおくかというと、額が額だし、自家発電でなんとかなる。
自己満足ともいう。
”誰かの役に立っている、かもしれないという可能性”と”自分褒め"で、逆ベクトルのエネルギー還流は成り立つ。

ただ問題は。
自家発電によるフィードバックって規模に限りがある。
したがってそんなエネルギー循環をしているかぎり、OUTPUTは一定以上に大きくはならない。

他者からのフィードバックが個人のOUTPUTを育てることができる。
あ、そういうことか。
だから宗教があるんだ。決して揺るがない無形の他者としてとても便利だ。
日本の場合は、和という、まんま世間評価がフィードバックで、そうか"和"が宗教と並列に扱われるのも納得だ。




alain

My追加