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2007年04月08日(日)
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『ヘドウィグ アンド アングリーインチ』TOUR FINALを見た!
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魂を持っていかれた・・・ 終わった瞬間の率直な感想。
演技とか歌とかの五感面の感想を言えば、とにかく歌が圧巻。 2000人入るホールに響き渡るMidnight radioには、比喩ではなく本当に身体が震えた。 表現力、歌唱力、佇まい。
遠近法で絵を描くときって、中心点を決めて、建物の角度とかって全てをそこに集めるよね。 それと同じく。
観客の思い、バックの音楽、照明などの裏方、当日の舞台だけでなく、事前の全ての作業に関わってきた人たち、 全ての思いを一点に凝縮させて、真っ暗な夜空に一点、白く強く輝く星のように、彼はそこにあった。
ここ2,3年だけど、山本耕史さんが好きだーと公言し、 公開メディアの9割は雑誌立ち読みを含めてカバーし、舞台も何度か見ている。
でも、もう頭かかえちゃう。 私は今までこの人の一体何を見てきたんだろうって。 一人スマンカッタ祭りだ。
そして、帰り道に思った。 これだけのものを見せるのに、彼はどれだけ努力をしたのだろうかと。 単純にあの長大な台詞と英語の歌詞を覚えるだけだって、信じられない。
私は凄い人のFANになってしまったのだなぁ・・・。 と、今更ながらに思う。
もう、毒を喰らわば皿までも。(使い方違う?) 彼の行くところは、どこまでも追いかけて、見届けてやろうじゃないの!
次に、五感でなしに、感じた感想。 前回の新宿FACEとは何か違う。 以前の感想は、2月20日の日記以降何回かに分けてぽつぽつ書いていたんで、読み返してみた。 (メモ残しておくとこーゆー時良いよな)
うん。 やっぱり。
方向性は同じだけど、質的変換がある。
自分でも書いててすっかり忘れてたんだけど、観劇後の気分は『浄化』。 これは前回も今回も同じ。
今日の日記の冒頭、『魂を持っていかれた』って書いたけど。 そうなの! エネルギーを貰うとか、舞台の感想であるじゃない? でも、この舞台には貰うじゃなくて、持って行かれる、吸い取られる、ないしは、託す、 というOUTの指向性を感じる。
見終わった後、何だか妙に、胸のあたりがすかすかする。 あえてビジュアル化するならば、身体が海綿。 魂を抜かれた感じ。 決して不快なものではなく、元気がなくなるとか萎えるというのとも違う。 風と水の通りが良くなるとでも言うのだろうか。
と、ここまでが新宿FACEと今日の厚生年金会館TOUR FINALとの共通点。 つまりは舞台から受ける根本印象には違いはない。
そして、今度は相違点。 新宿FACEの時の印象は"波"だった。
寄せては返し、柔らかく包みつつ癒して浄化してくれる波を思わせる舞台だった 柔らかく生命を育む地球の命の源である海の水だった。
が、今回の舞台には海は感じなかった。地球も感じなかった。 暖かさも柔らかさも感じなかった。 というか、物理的な感触がない。
『魂を持っていかれた』と言っても、鷲づかみにされたー!とかじゃなく、 4次元的にというのかな、"いつの間にか消えた?!"という無くなり方をしていた。
感じたのは。宇宙。 音もなく、空気もなく、どんな大きな星の強い光も途中で力尽きてしまう、広大な宇宙。
静寂。完全な均衡。つまりはエネルギーの消滅。つまりは無。
エネルギーってものが動くときに発生する。 発電を考えたって、水が高いところから低いところに流れるから電気が生まれる。 食べ物は消化されて成分が変化するなかで、カロリーになる。
何も動かない。完璧にバランスが取れて入れて、かつ何を吸い込んでも揺らがない。 今回の舞台にはそんな宇宙の暗さを感じた。
ROCKで、あれだけ爆音で、激しい舞台なのだけれど、観劇後の印象は、一言で言えば"静謐"なのだ。
舞台で演じられるHedwigの波乱の過去や純粋で強すぎる愛、ついでに付け加えると持っていかれた私の魂。 それら全てをブラックホールじゃないけど、すーっと飲み込んでニュートラルに中和し、果てしなく広がる無がそこにあった。
なぁんてことを考えて、帰り道にとっことっこと歩いていて、唐突に思い出した!
レスリー・キーの取ったヘドウィグの宣伝写真。 表参道に写真展を見に行った時に写真についていたメッセージ。 「Stageは汗、Stageは息、Stageは血、Stageは鼓動、Stageは命、Stageは・・・無・・・」
そうだー。あれだ。 今日の舞台は、まさに"無"だった。
素晴しいものを見た。 一生で何度もない、素敵な時間を過ごせたと思う。
清水玲子の『秘密』という本では、死後、脳の摘出し視覚的記録を再生することが可能という設定が出てくる。 死んでから人に再生されるのはイヤだが、今日の見た絵をディスクに焼けたら、どんなに嬉しいだろうとは思う。 (あーでも音もないと寂しいな)
alain
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