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2007年02月05日(月)
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イマキュレー・イリバギザの書いた『生かされて』を読んだ。
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イマキュレー・イリバギザの書いた『生かされて』を読んだ。 正確には先週、いや、先々週かな、読んだ。 何の気なしに立ち読みしていて、止まらなくなり、買ってしまった。 ほぼ一気に読んだ。
読後、手近な所においてある。 が、再読の手は、まだ伸びない。読む気持ちにならない。
ルワンダの内戦というか、大量虐殺で生き残った、フツだかツチだか (ほら、もう忘れている。それだけ遠いし、違いがわからない。)の女性が書いた本。
ニュースは聞いた覚えがある。 100万人近くが、異国から攻めてきた軍隊にではなく、近所の人の振りかざすナタで殺されたという。
セルビアでも同じようなことがあったって聞いたことがある。 総数は少ないにしても、関東大震災の朝鮮人虐殺の事例もある。 いやな話だと思い、それきり。一つのニュースとして忘れていた。
この本は恨みつらみではなく、許すことの大切さや、幸せのイメージングの効果を書いている。 その心境は尊敬に値するし、そこに嘘は無いと思うが、でも、飲み込むと引っかかる小骨は消えない。
幸せのイメージング(未来をリアルに脳内に描くことで、望みを実現すること)の力の多寡で、生死が分けられてはたまらないし。 神に祈ってどーにかしてもらうというより、そもそも、顔見知りをぶった斬る性質を持つ人間を作った神様ってどーよ、とか。(造物主としての力量を疑う)
家族を殺されても許すという人間の聖の部分と、燃え上がって殺しまくる邪の部分。 その振幅が激しすぎて、疲れてしまう。 自分の心の中でも、いらっとしたり、でも、まぁ許そう優しくしようと思ったりという揺れはあるけれども、 それの増幅100万倍。
雑誌のプチ欝解説とか、人間関係の悩み相談室とか、人の心理を扱ったコメントって案外多い。 職場でも家族でも趣味サークルでも、常に人間同士の心の行き違いが大きな問題となっているようだ。 虐殺とか極端に振れた事例を見ると、そんなの全て誤差レベルとも思える。 いや、虐殺というともう全く別物みたいに思うことが実は誤りで、ボリュームが異なるだけで、奏でているメロディは同じなのかもしれない。
この本は描いている事象が事象なので、事実の持つ力にまず引き込まれる。 かなりえぐい。 かつ、無力感を覚える。
その後、希望を胸に灯して読み終われるかは、個人の資質なのだろう。 私には無理。
作者を尊敬はするし、肯定もするけれど。 "許す"という行為は、ある種自分を楽にする考え方だとも思うので、方法論としても賛成だけれども。
でも、今、自分が同じような目にあって、同じように"許し"を選択するとしたら、 外形は同じであっても、私の場合は自己欺瞞の表象だろう。
多分。 狭量というのが一つ。 幼いというのもあり、世界が狭いというのがあり。 どれも同じことを言ってるじゃんというのが結論。
と、書いておいてなんですが。 良い本でした。
alain
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