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2006年11月05日(日)
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『いやな事に対処する方法論』を検討する。
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もちろん思い込みではあるのだけれど。 情報求むー!の看板を気持ちの中で頭上高く掲げると、引っかかってくるものがある。
今、掲げているのは、『どうすれば傷つかないでいられるか?』ということ。
人との関わりを一律OMITしているというのは、ハーモニーベルでもフラワーエッセンスでも指摘されて、 自覚もある。 何かのトラウマだと指摘されたが、心当たりも、 ある。2つある。
本人の記憶にはなく(=再生出来ず)、ぽつぽつと周りの人に聞いただけだが、 私には、3歳前後で親戚たらい回しのような状況になり、すっかり邪魔者扱いされ、 微妙に心を病んだ過去があるらしい。
2つ目。 そんなかんなで、物心ついた時には素直に大人に甘えることが出来ない子供であったが、 一応親しげに人に接しようと努力はしていた7歳の時。 義理の父親に「媚売ってるみたいでいやらしい。」と言われたことがある。 このシーンは今でもすごくクリアに覚えている。
多分、大きなトピックとしてはこの2つ。
で、人にはデフォルト関わりを持たないでやってきた。 最近、特に不自由もないが、飽きたので、ちょっと関わりを増やしてみようかと思った。 と、なって、考えなければならない問題が出てきた。 世間にドアを開くと、入ってくるのはいいことばかりじゃない。 いやな事に対して自分はどう対処すれば良いのだろうか?と。
まぁ、こうやっていちいち方法論考えることもそれはそれで悪癖ではあるのだけれど、 一度に全てを改善するのは無理だから、これはとりあえずほっておく。
『いやな事に対処する方法論として、自分はどれを採用して、これから人生渡っていくべきか?』
まず、一般的に流布されている対処法。"忘れる"ないしは"解消する" これは納得いかない。 記憶として一旦取り込んだものが消えるか?ということにまず疑問がある。 忘れたというのは再生出来ないだけで、全てのことは残っているんじゃないかという懸念がある。 それは押入れにしまったまま忘れてしまった思い出の品と同じものであり、あり続けるっていうことは、 今後何かのきっかけで開けないとも限らないし、また、そこにあるっていうだけでも、なんか黒いオーラとか発散して気分はよくない。
"解消する"については、さらに違和感がある。 どうやって?というのが全く想像つかない。 雲散霧消というのは、先の理由から出来るのか?という懸念がまずあり、 他に目線をそらせたところで存在は消えないだろうし、何かペンキのようなものを上て糊塗しても、あるという事実が消えるわけじゃない。
だったら、HOW?と。 まぁ、こういうことを人に聞けるようになるといいんだろうけどね。まだハードル高すぎ。
最近、2つばかり、情報を得た。 世田谷パブリックシアターの下の本屋で立ち読みしたYOKO ONOのインタビュー。 煎じ詰めるとこんな感じ。 ・その人にはそれを表現しなければならない理由があったのだと思おう。 ・人に傷つけられるのはしょうがないこと。 ・少なくとも、自分で自分を傷つけることだけはしないようにする。 ・生き残るすべを身に着ける。
世界中からバッシングされた人の言うことだけに重くて深い。
そしてTVで仮屋崎省吾が言っていたこと。 ・いやなことは全部取り込んで。ぎゅーっと発酵させて「今に見てろー!」という勢いに変換する。
両名ともに、別に好きというわけではない。 が、語る言葉に経験と葛藤に裏打ちされた強さがあるのは感じ取れる。
やってみますか。
alain
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