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2006年03月14日(火)

昨日に引き続き、リンダリンダのDVD

辛抱たまらず、うっかり副音声で見てしまう。昨日に引き続き、リンダリンダのDVD。
2枚ディスクを両方とも。
休憩前/後なので、約3時間。
昨日の就寝時間は午前四時。止めましょうよ。不摂生は。

と言いつつ。非常に気分はよい。
よーするに楽しけりゃいいということなんでしょう。

いやぁ副音声いいですよ。
どーでもいいゆるい会話も良かったけど、演技については北島マヤの影響が強すぎて、
憑依というか、役になりきって心のままに転げまわる・・・みたいな印象があった。
経験ないもので、あくまでイメージとしてしか、捕らえられなくて。

副音声を聞いて、世界が変わった。
演技とはまさに技で、表現スキルなのだということを知った。
ものすごく緻密な計算、体の向きから会話の間から、その時の自分の気持ちの盛り上がりの調整から、
で成り立っていることがわかって、とても興味深かった。

自分の声とか、写真とか、鏡とかを見るのが、私はすごく嫌いで、恥ずかしいというか、
いたたまれない思いがして、目を伏せてしまう。

自分の表現を売る商売と言ってしまえば、それまでだけど、役者の自分の客体化ってすごい。

副音声を聞いていると、キャラを作っているにせよ、山本さんは特に、
もう自分の気持ちと、自分の体というものが完全に別物になっていて、
テクニックの表現として、自分の演技を評するというか、自画自賛していたことに、かなり感動した。

例えばF1でマシン転がす人が、『このコーナーワークはうまくいったんだよ。』と語るような感じ。

見習いたいって思った。
表現をちゃんと伝えられるように、意識的にやらなければということ。

自分の体の動かし方、目線とか姿勢とか声とか、普段おざなりにして、
無意識でぐだぐだやっていたことを、ちゃんとコントロールする。

思いを垂れ流さず。
かつ、伝えたいことは効率的に伝えられるように。
自分を演出しなければ。
と、客体として扱うことになれれば、自分をもっとちゃんと見られるようになるのではないだろうか?

自分で正視できない自分を、人はがん見することが出来るのだから。
自分で見ておかないほうがやばい。(と、理屈ではそうなのだが、照れるがな)


それにしても、山本さん。
三谷さんが、組!の時に緻密に計算して演技をする人と山本さんを評していて、
評された本人は『全然、計算なんかしていない。』と否定していたが。

自覚がないのか、他の演技者たちはもっとすさまじく計算くんなのか、どうなんだろう。
常に関心が周りの人にあると言っていたので、職業上のこだわりとしての自己表現スキルと、
人の心情への関心で自分のほとんどを使い切っていて、自分の気持ちに目を向ける余裕がないのかもしれない。

と思ったものでした。


alain

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