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2004年06月08日(火)
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憎悪の理由は殺意の理由じゃない。
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犯罪が行われた時、刻々と動機を伝える報道は被害者に追い討ちをかけるものだと思う。 「デブだって言われた。」とか、こんなイヤなことされた、言われたとか、毎日毎日伝えられると、なんか、ほぉらこんなことしてると殺されるんだよ、と念押しされてるみたい。
嫌いだと思うことと、喉を掻き切ることは繋がらない。 憎悪の理由は殺意の理由じゃない。 どんな悪い事をしたとして、それが一定量溜まれば、それは殺されてもいい理由になるというわけでもあるまいし。 どっちもどっち、だったとして殺された側には反論のしようがないあたりも悔しい。 しかも、そのことに速報の必要も感じない。 せめて1週間とか10日とか時間をおいて、まとめてから一回言えば済むのではなかろうか?
ってゆーか、憎悪の理由なんてどうでも良くない?。 好き嫌いは生理的なものでつぼは人によって全然違う。 私はガムをくちゃくちゃ噛んでる人がすっごく嫌いで、隣でやられると『私が金正日だったら銃殺』とか思うけど、そんな人それぞれの憎悪の刺激点を100集めても、人生色々以外の何もわからない。
嫌われる理由を知って、さぁ嫌われないように振舞いましょうね。ということがそんなに重要なことには思えない。 私が知りたいのは殺す理由だ。 表現の手段として殺す事を、カッターナイフで喉を切る事を選択した理由が知りたい。 自分が殺さないために何に気をつければよいか、自分の周りの人に殺す事を選ばせないために何をすればよいかを知りたい。
前に人のホームページで、佐賀でバスジャックした少年のホロスコープ分析をしたってことが書いてあって、彼の図は全然異常でもなんでもなく、かわいい男の子の図だったという。 犯行の日、確かに象意は読み取れたらしい。"刃物を持っての自己表現"。
でも、選択肢は包丁を持ってバスをジャックし、人を殺す以外にもあったはず、と書いてあった。 例えば、釣りに行って魚を釣って、美味しいお刺身を作って人に振舞う。。。とか。 彼がそういう表現手段を持っていたら、何もバスを乗っ取る必要は無かったのだ。
柳美里は小学生の頃、自分をいじめる相手をあらゆる手段で殺す物語を書いていたと言う。
友達に悪口をぶちまけるでも、ペットに悩みを聞いてもらうでも、ピアノを弾くでも、歌うでもなんでもいい。 たまった感情をぶちまけるのに、何か自分なりのツールを持たなかった、その貧困さ(こんなになんでもあるのに、心を乗せるものだけがない。)に寒々しい思いがする。
その貧しさの理由が一番知りたい。 そんな社会をどうすればいいのか。多分簡単にはわからないけれど、一歩を踏み出すのならばまず何を?ということが知りたい。
話は変わって。忘れそうなので夢話。 ・サンダルがない夢。 これはわりと簡単。靴は社会的人格。で、ゴミ捨てとかで近所に行くのに履いているサンダルがないってことは、私的人格において、どーすれば良いのか、ご近所などのプライベート空間での自分の位置などがわからない状況を表しているのではないかと思う。
もう一つの夢は混沌としている。覚えている断片はこんな感じ。 ・ショッピングモール。広くて新しい。 ・メキシコである。 ・3階くらい。母とトイレに行き、トイレの前で待つが、母が出てこない。 ・私を呼びに来る人がいる。3人くらい。一人はMさん。後は不明。母はもう戻っているという。 ・なので戻る。(何処にかは不明) ・つるつるの床をスケートで滑るように歩く。 ・特に私はとても滑らかに滑り、どーやってそんなに滑るの?とか聞かれている。 ・店からK氏が出てくる。 ・店の前で転倒。滑るので起き上がれずばたばたしている。 ・私たちはスピードをつけて滑っているので止まらない。じたばたしている彼を飛び越える。
・ショッピングモールのあたりの地区は日本人駐在員の多い地区で、自分がいるショッピングモールは日本人向けになっている。 ・窓から他のスーパーが見える。 ・前に見たあの店だ。と思う。(実際に前の夢でその店を違う角度から見ている。) ・ここより、現地の人が言っているスーパーの方がものも豊富だし、安そうだし、いいなと思う。
うーん。K氏を飛び越えるあたりが象徴的。言うなればモトカレなので。 あっちのスーパーの方が魅力的。って見るところも、なんつーか現状に不満ありありな気持ちが良く出ているような気がする。 さて、本日は?
alain
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