毎朝、庭の女郎蜘蛛の巣に難儀しています。一晩で あちこちに糸を張り、ちょっと歩くと顔や頭に絡んで 不快です。まあでも人間は糸が嫌なくらいで命を危ぶ まれることはありませんから良い方なのでしょうか?
画像のカマキリはとても難儀なよう です。蜘蛛に比べれば大きな固体で すが、糸に絡めとられ体力が続かな くなれば哀れカマキリは蜘蛛の餌食 となってしまうでしょう。その運命や 如何に! 画像は午前中に撮ったも のですが、夕方にはもう居ませんで したので、難を逃れることが出来た のでしょう。一見残酷な世界に見えますが、命ある ものは命をいただかないと生きていけないのですから、 何ら不思議の無い捕食活動ではあります。が、生々 しい現実を目の当たりにすると、改めて実感します。
人間は分業を進めて、殺戮行為を自分の手で行うこ とが少なくなりました。しかし、食材が商品として手に 入っても調理は屠殺以降の解体に他ならず、大殺戮 の一部分であることに変わりはありません。飽食が 当り前になって作っては捨てているコンビニ文化の 裏側に、おぞましい命の使い捨てが隠れています。 人間はその感覚を少し考え直すべきだと思います。
生卵をかち割って鶏の雛細胞を殺してご飯にかけて 食べるとき、魚を丸焼きにして食べるとき、引き抜いた 大根を切り刻んで食べるとき、人はその殺戮を意識 するべきでしょう。食欲の秋 『お命、いただきます』
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