陶 房 日 報  とうぼうにっぽう 
陶房かまなりや

2011年10月03日(月)      じょろう

毎朝、庭の女郎蜘蛛の巣に難儀しています。一晩で
あちこちに糸を張り、ちょっと歩くと顔や頭に絡んで
不快です。まあでも人間は糸が嫌なくらいで命を危ぶ
まれることはありませんから良い方なのでしょうか?
 画像のカマキリはとても難儀なよう
 です。蜘蛛に比べれば大きな固体で
 すが、糸に絡めとられ体力が続かな
 くなれば哀れカマキリは蜘蛛の餌食
 となってしまうでしょう。その運命や
 如何に! 画像は午前中に撮ったも
 のですが、夕方にはもう居ませんで
 したので、難を逃れることが出来た
のでしょう。一見残酷な世界に見えますが、命ある
ものは命をいただかないと生きていけないのですから、
何ら不思議の無い捕食活動ではあります。が、生々
しい現実を目の当たりにすると、改めて実感します。

人間は分業を進めて、殺戮行為を自分の手で行うこ
とが少なくなりました。しかし、食材が商品として手に
入っても調理は屠殺以降の解体に他ならず、大殺戮
の一部分であることに変わりはありません。飽食が
当り前になって作っては捨てているコンビニ文化の
裏側に、おぞましい命の使い捨てが隠れています。
人間はその感覚を少し考え直すべきだと思います。

生卵をかち割って鶏の雛細胞を殺してご飯にかけて
食べるとき、魚を丸焼きにして食べるとき、引き抜いた
大根を切り刻んで食べるとき、人はその殺戮を意識
するべきでしょう。食欲の秋 『お命、いただきます』

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