今年も 『鏡開き』 となりました。
今日は陶芸教室の打ち合わせを兼ねて 磯子の保育園へお餅つきの助太刀に行っ てきました。鏡開きの日にお餅つきという のも乙なもの、まして保育園ですから元気 なお子達がわいわい、餅つきの歌も大合 唱です。いや、実に楽しいお餅つきでした。 お子達はちっこいながら仲間の声援を浴びながら先生の力を 借りてお餅を搗いて、みんな満足そうでした。お米をとぐ ところからきちんと体験をし、おもちに変わっていくところ も体験し、とてもいい経験になったことでしょう。
うがった大人の目で見て 『食育』 を本気で考えるならば 『食事』 と 『殺生』 を同意義に伝えなければなりません。 稲という植物が子孫を残すための種である米を高熱で蒸し、 叩き潰して喰らう行為は残酷にほかなりませんが、その殺生 は人が生きる上では肯定されます。動物の卵を食べることも またしかり。卵ご飯などはお子様も大好きでしょうが、考え てみればいかにもむごい食べ物です。
曰く、生きることは殺すこと。でも、小さなお子達にそれを つきつけるのはあまりに酷というもの。断末魔の叫びもない 血も出ない植物の、その美味しさを味わうことで良いのです。 その行程も知らず、加工済みの食品だけを摂っていては畢竟 命の大切さは身に沁みないことでしょう。大きくなって、人の 生きる意味に直面したら、きっと今日のお餅つきの経験が ヒントになることでしょう。
世の中には、即席を通り越して宇宙食のようなサプリメントが 蔓延し、ファストフードは日常食になっています。こんな物で すら原材料の一部分は 『命』 です。どれだけ複雑な世の中 になったとしてもこの部分だけはきちんと踏まえたいものです。
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