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2006年11月04日(土)   運命(あるいは必然)

全世界から見捨てられたふたごのように頬を寄せ合って眠る猫2匹。2匹はまったくふたごなどではないし兄弟ですらない。1匹は母の気まぐれで、もう1匹は私の気まぐれで、市場の角のペットショップから2000円分のエサの「おまけ」としてうちにやって来た。2匹をつなぐ糸などどこにもなかったはずなのに、運命とは、あるいは必然とは(と言い換えても良いだろうか)いやはやなんとも。

だがしかしどのような「気まぐれ」も、あらかじめ定められているそうだ。人の一生は本のようなもので、何年何月何日何時何分にこのような選択をする、そのように考える、等々、あらかじめそこにすべて書かれているのだそうだ。そういうふうに考えたら、少しは楽になるだろう? とその友人は言った。私はそうは思わなかったのでうーん、と語尾を濁した。

同時に3つか4つくらい選択できれば良いのに、と思う。

同時に3つか4つの生を生きることができれば良いのに、と思う。

ある私は糾弾し、ある私は絶望し、ある私は逃走、ある私は懇願する、といった具合に。なぜ現実態はひとつしか存在しないのだろう。あのようにも、そのようにも、ありえただろうに。

猫2匹は頬を寄せ合って幸せだろうか。ほかの在り方を夢見ていたりはしないのだろうか。


nadja. |mailblog