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2006年08月02日(水)   あるいは装飾品としての書物

図書館に行き借りてた本を返し新しい本を借り出してきた、だけの一日。蒸し暑い。利用している図書館には蔵書検索用の端末がずらりと並んでいるのだが、隣にいた大学生風の若い男がやたらと大げさにため息をついたり舌打ちをしたりするので「何、そんなに、困ってんの」と話しかけてあげる、ほど私は優しくはないのであった。彼はなにやらウィリアム・ブレイク関連の著作を探していたようなのでその気になれば相談にのってあげることくらいはできたかもしれないが。

「夜のみだらな鳥」も「エレンディラ」も貸し出し中、「大洪水」は見当たらず、の私だって相当ため息をついたり舌打ちをしたりしたかったんだよーだ。

大仰な身振り、には当人が意識的か無意識的かに関わらず、常に他者に向けた過剰な期待を認めることができる。

私も10年ほど前はそんな利用者だった気がする。メモ書きでびっしり埋まったノートを誇らしげに、まるで見せびらかすかのように机の上に広げ、せわしなく検索をかけ、書き込み、ため息をつき、舌打ちをし、首をかしげ、またこなれた手つきで検索をし、ハンターのような鋭い視線で画面を睨み、目当ての著作を見出しては意気揚々とカウンターに駆け込む、といったような。

ベストセラーものやハウツーもの、話題の書、といった「通俗的な」セレクトとは一線を画しているのだ、専門的な、学術的な、難解で困難な著作を私は読むことができるのだ、とでもいわんばかりの、選別的な身振り。

そういうのにつられて声をかけてきた物知り顔の男性がいなくもなかったが。

非常にくだらなかったと思う。

10年ほど経った今、手に取る著作が装飾品でない、と断乎として言い切ることはまだできない。だがそのいやらしさについて自覚的である以上、検索画面に向かってかすかに眉をひそめてみせる、くらいのことしか、できなくなった。


nadja. |mailblog