K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
今までのK馬|古くさいK馬|近未来的なK馬
私は「人が人の道理に背くの道理」という一見パラドックスのようなものを知っています。 法律で結婚を許されていない若干17にしてはあまりにも早い準厭世観であると思うでしょう。 けれども、私の境遇を考えてみれば、或は遅かったのかもしれません。 そうして何度も仮面を付け替えては、今日まで生き延びて来た命なのです。 同じように見える核でも、私のは繊維質なのです。 均質な核に対して、押し固められた繊維質の核なのです。 簡潔に言ってしまえば、私はカメレオンなのです。 私ほど自分らしさという言葉が似合わない人は居ないでしょう。 私の天球上を、個人に乗ったられたことが何度かありました。 夫れ私が私の天球上を支配したことなど唯の一度もなかった様に思います。 私は定期的に真理の周りを回っています。 しかしごくたまにその真理の周りに(今思えば全く別の真理の周りに)他者を認めるのです。 いえ、本当のことを言えばもっと以前より他者の存在を数多に認めていました。 ただそれは小さすぎて私の軌道になんら影響は無かったのです。 急接近に対して関数的に回っていた私は、動揺して周期を乱します。 しかしそれはまるで意図的に崩しているかのような乱れ方なのです。 私は天球の支配を許すということを、幼い頃からよくしていました。 けれど、支配したものは支配したままそのまま素通りしていくのです。 一時的な支配のあと、私は溜まらなく不安に陥るのが普通でした。 今考えればとても滑稽なものです。 支配から解放されたのに、逆に不安を覚えるのです。 あなた方にはわからないでしょうが、私にはその支配が快かったのです。 そこで私は天球下の安定を求めて、私を素通りして真理を回るその支配者を追うのです。 しかし皮肉なことに、それは私よりもずっと早いのです。 どうやらどれはより大きい天球を支配しようと漂っているらしいのです。 私が動揺して乱れるのはその大きさを主張せんがためだったのかもしれません。 私は自分の愚鈍を悔いました。 そんな素通りが何度かあり、乱れた結果、私は以前よりぐっと真理に近づいていました。 そして朧気にもそれを垣間見ることができたのです。 賽子の1つ浮いているものを見ました。 ただ私も同じようなことをしたことがあります。 他者のクレーターを明らめたこともあります。 大きい重力に引き寄せられて、他者を掠めたこともあります。 回顧すれば解るものの、当時はそれが何でも無いものだったのです。 私は愚鈍で在ると同時に視野の狭い人間でもあります。 夢中になったら盲目になってしまうのです。 それは何かに熱中出来る良いことだと捉えることも可能ではあります。 しかし私の盲目は、夢中になっているものさえ見えなくなる人間なのです。 私は夢中になると可能な限り接近する傾向(強欲の象徴やもしれません)にありました。 それが逆に私を盲目にし、自分が今何を見据えているのかも解らなくしてしまうのです。 だからこそでしょうか、自分が夢中になりたいものには遠目から第3者的立場として過ごしているのが今日の常です。 それは同時に不条理な支配を回避することでもありました。 私は始めに「私はカメレオンだ」と言いました。 それは鏡でも良かったのです。 ある種の特異な烏賊や梟でも良かったのです。 或は水でも的を得ていたでしょう。 唯、私は奇怪な爬虫類が好きですから、あえてそう形容したのです。 今列挙したものは有形であり無形であるという性格であり、それが私なのです。 形而下の現実に居りながら、形而上の私は刺激されることで初めて形而下の世界に戻ることができたのです。 「我思う故に我在り」ではないのです。 関数的ではないのです。 私はただただ迂遠であるのみです。
ここに書いたのは本心であることを誓います。 こうわかり辛い文章で書くのはわかって欲しくないからではありません。 そうであったら私は何も明らかにせず胸に秘めていたでしょう。 唯、だからといって誰にもわかって欲しくないということでも無いのです。 矛盾していることはわかっていますが、私はそういう人間なのです。 初心だと言えばそれまでですが、私の真意を知るに足る人に知って欲しいのです。 けれど、この真意がわかったとしても決して過度に干渉はしないで下さい。 それがここまで読んだあなたの責任です。
文学っぽい(笑)
多田K馬
/K馬への報告
/これ押すべし(≧ω≦)ノシ
/わたちのともだち
人よ
|