K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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2007年09月16日(日) 植民論

えっと。最近哲学してないので。
たまには哲学してみました。
お題は「人間の傲慢性」かね。
そこがどうして植民論に繋がっていくかといいますと。
人間の傲慢性が何に基づいているのかを考えたとき、「植え付け」に辿り着くからなのです。
以前現代文の授業であつかった「知る」についての文がありましたが、まさにあんな感じですよね。
あの文はそれから神の降臨だ、シライシがうんたらだのまさに「意味不明」な方向へ走っていきますが。。
でもその意味不明という感覚もこちらからの一方的なものであるし。
こちらの感覚を植え付けてしまっているわけですよね。
まあ、そんな事を言ってしまうきりがないので・・・。
そんなの人間の感情だから傲慢とは違う!と言われてしまえばそれまでなわけで。
これはあくまで大げさにいうとですからね。
そこで、人間全体に敷衍することができる意見に集中するためにはですね。
無意識的な傲慢性を抽出する必要があるわけなんですよ。
人間の種族としての傲慢性からこの論を展開してみようと思います。
「こっちの方がおいしいよ。」というとするね。
別段何ら不思議は無いけれども。
「そっち」を食べてないのに「こっち」の方が美味しいというのはこれすなわちいかんぞ。
これこそ植え付けにほかならないんですね。
まあもっとささいなことからも抽出出来ると思うけど。
その人を好きになってしまったのに。
「君目力あるよね。」と、あたかも自主的に好きになったのではないかの如く装う輩とかさ。
まあいいです。
人間がいかに傲慢であるかはこれでお分かりでしょう。
だから植民地とかいう単語が生まれてきてしまうんだよ。
思想の植え付けから、文化の植え付けまで。
もう自由なんて言葉は一人のためだけにあるような世界さ。
そう考えると、絶対王政がうまれた理由もわかる気がするよ。
ロシアはそれで発展したしね。ピョートル大帝ね。
北朝鮮はこれにすごく近いよね。
それでもこの国で自由があるのは、個人個人がその欲望を抑えてるからなんだと思うんだ。
だれかのわがままを通すためにはだれかが我慢しなければならない。
そんなの自明の理だけど、「植民」という観点から気付かされたのであった。

今日は久々にテヌシしてきました〜。
やべえめっさ疲れるわ!半袖からパンツまで濡れちゃったよ。
汗かき過ぎ・・・。
まあとりあえず、こいけにも勝ったし(勝手に自滅してんの)
球技大会までばんがろう!
昼練さしてくれないんかな。
ぼくは球技大会に本気ですからね。まけませんからね。

そんでガクシツいっておべんきょおべんきょ。
準拠終わっちゃった・・・。だって基本問題やってないしね。
因数分解できる人間が九九の授業に付き合う必要があろうか、いやない。
発展補習のプリントをやってて別世界に居る気分だった。
明日もガクシツ行って、国語の課題がめっさやらんと。
高校生は勉強しなければならないこれも自明の理。

クラのアンサンブルふつーにうまかったよ。
ぼくもがんばらんと・・・。

最近いろいろと辛い事が多いですが
一生懸命生きている感覚がして
とても人間臭い
ほんとうに生きているというか
哲学者になりたいというか
社会に溶けたいというか

愛は無いけど

人生は在るというか

なんというか


多田K馬 /K馬への報告 /これ押すべし(≧ω≦)ノシ

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